東急田園都市線
縁というのだろうか、通勤を中心に田園都市線を利用することが多い。(写真) 田園都市線は、渋谷駅(東京都渋谷区)から中央林間駅(神奈川県大和市)までを結ぶ鉄道路線。渋谷から中央林間まで27の駅があり、各駅停車だと55分かかるが、駅間が平均2分と、短いのが特徴だ。 田園都市線は踏切のない路線として有名で、駅の数の割に早いのはそのせいもあるのだろう。●社会人になり立てのころの田園都市線...
View Article神奈川県の鉄道
自分のふるさとは広島県だ。しかし、転勤のためとぎれたこともあるが、社会人になってから移り住んだ神奈川県と年数の差が広がっている。前者は22年だが、後者はもう30年で完全に神奈川県民になろうとしている。 ただし、生まれ育ったふるさとは何よりも代えがたいもののようで、野球は絶対に広島カープである。...
View Article学校の先生
昨日(11/28)に妻と病院に行ってきた。どうも早合点したようで、当日にも入院するかも知れないと思い、仕事では本日交代の人を頼んでいたが、12月12日(火)に入院、検査とその結果により手術、14日(木)には退院することに決まった。...
View Article先生と言われるほどの…
前作は「学校の先生」だったが、会社で働いていたとき「先生」と呼んでいたのは、顧問弁護士、税理士、司法書士、社会保険労務士、研修の講師だった。 「先生」とは辞書によると、1 学問や技術・芸能を教える人。特に、学校の教師。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。「国語の先生」「ピアノの先生」 2...
View Article鼻歌(ハミング)
音楽が好きで良かったと思うのは、くつろいでいるときはもちろんだが、疲れたとき、イライラしているとき、音楽は心を癒してくれるからだ。 そんなとき、ハミング(鼻歌)や口笛を吹く場合もあるが、こんなことをしている人を見てギョッとすることもあるので、人がいる時は決してしない。心の中で歌うことはよくある。...
View Article数字と言葉のトリック【その1】
統計が好きだ。ブログでも統計を取って、その結果を紹介している。 安倍首相の言う「印象操作」(画像)とは意味が違うが、印象で物事を捉えるのが全て悪いとは思わない。 しかし、「数字はうそをつかない」という言葉もある通り、往々にして感覚だけでは判断ミスを犯しやすい。●統計データを盲信してはいけない ただし、統計データを信じすぎると痛い目に合うことも知っておく必要がある。...
View Article数字と言葉のトリック【その2】
一昨日(12/12)心臓の検査入院をしましたが、カテーテル検査の結果、異常なしということで、昨日(12/13)退院しました。一泊二日の「病院旅行」をした感じです。 今後とも宜しく願いします。...
View Articleなぜ国難の時期に衆議院を解散、総選挙を行ったか
12月15日(金)の朝日新聞の13面にこんなべた記事があるのに気づいた。 北朝鮮、米に不満 「60日実験止めれば直接対話という約束、ほご」 米誌報道 米誌フォーリン・ポリシー(電子版)は(12月)13日、北朝鮮の当局者が、核実験やミサイル発射を60日間停止すれば米国との直接対話の道が開けるとの「約束」を、米国が破ったと不満を訴えていると報じた。...
View Article日野原重明氏が最期に残した言葉
言い方を変えれば「辞世の句」というのだろうが、偉人の最後の言葉には印象が残るものが多い。 例えば、◆べー卜ーヴェン(ドイツの音楽家、1827年、56歳で没、画像)...
View Article日野原重明氏の思い出
前作、日野原重明氏が最期に残した言葉で紹介した「生きてゆくあなたへ」(105歳 どうしても遺したかった言葉)(写真)を早速買って読んだ。 対談形式になっていて、日野原重明氏が、一つ一つその質問に答えている内容だ。 第1章:死は命の終わりではない 第2章:愛すること 第3章:ゆるすことは難しい 第4章:大切なことはすぐにはわからない 第5章:未知なる自分との出会い...
View Article日野原重明氏の遺作「生きてゆくあなたへ」
前々作、聖路加国際病院名誉医院長で、105歳10ヶ月の長い人生を7月18日に閉じた日野原重明氏が最期に残した言葉で紹介した「生きてゆくあなたへ」(105歳 どうしても遺したかった言葉)(写真)を早速買って読んだ。 この本は、対話形式になっていて、日野原重明氏が、一つ一つその質問に答えている内容だ。...
View Articleこの1年
今年も押し迫ってきた。さすがに早朝の電車も人数が少ない。本日午前中で御用納めだ。 ようやく仕事が落ち着いたので、今年を振り返ってみた。 ちょうど1年前足掛け8年勤めた会社を辞めた。 あんなに思い入れが強かったというのに、すっかり昔のことのように思えてしまうのはどうしたことか。 自分の部屋にはその思い出が一杯詰まっている。...
View Article今年は戌年
明けましておめでとうございます。今年の初ブログです。本年もよろしくお願いします。 今年は戌(いぬ)年、戌年は十二支の中では11番目に位置している。 えとの「戌年」生まれの人は、男性が475万人、女性が502万人で総人口に占める割合は7.7%、十二支の中で最も少ない976万人となったそうだ。...
View Articleご長寿のヒーロー
昨年の年末にはテレビや新聞で、毎年の恒例として「墓碑銘」というタイトルで2017年にお亡くなりになった有名人の特集をしていたはずだ。(「はず」というのは、見ていないからだ)●長寿家系 日本は今や人類史上空前のご長寿社会になった。当然亡くなる人も増えている。...
View Article黒柳徹子【その1】
前回のブログの最後にお約束した通り、黒柳徹子さんの記事を書くに当たって、昨年末にいくつかブログを作った日野原重明氏に似ているところがあるなと思った。●日野原重明氏と黒柳徹子さんの似ているところ■一つは、二人とも幼いころは手の付けられない子供だったことである。...
View Article黒柳徹子【その2】
●若かりし頃の黒柳徹子 1953年(昭和28年)、東洋音楽学校(現:東京音楽大学)声楽科在学中(当時19歳)、「子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになりたい」と思い立って、「ひょっとしたら絵本の読み方も教えてくれるかもしれない」と新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募、テレビ女優第一号の一人としてNHK放送劇団の一員となる。(当時の写真)■ヤン坊ニン坊トン坊...
View Article黒柳徹子【その3】
黒柳徹子は多くの出会いによりその人格を形成してきた。〇好奇心と度胸と元気が人との交流を深めるための源泉 「徹子ザ・ベスト」(写真)の冒頭に「私は『好奇心』で出来ています」とあるように、彼女はいつも子どものようなフレッシュな気持ちで、人の話を聞いたり、時代背景を調べたり、好奇心のままに行動していた。そして、好奇心を保つ秘訣は「人でも自分でも、無理に『こうだ』と決めつけないことだ」という。...
View Article黒柳徹子【その4】
(黒柳徹子の交友関係についての続報だが、前作はどういうわけかこれ以上画面に表現できないので、続編とした。)■永六輔 永六輔(2016年、83歳で没、写真)とは「永六輔のガールフレンド」とまで言われた60年来の親友。...
View Article黒柳徹子【その5・最終回】「黒柳徹子の結婚観」
黒柳徹子の特集を始めていつの間にか5作目になった。日野原重明氏から続く「アンチエイジングの星」の生き方として何か参考になればと思っていたが、調べれば調べるほど彼女の生き方の凄さを知ることとなった。 その主たる情報源は、図書館で借りた「徹子ザ・ベスト」(2011年、講談社、写真)である。 彼女がこれまで超一流の現役で過ごしてきたのには当然、ワケがある。...
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