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映画館【その2】

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日本映画の衰退

 日本の映画は、1960年に、史上最高の547本を製作し、ピークを迎えた。しかし、観客動員数は1958年の11億2,700万人を最高に、急速に下降し、1963年には半分以下になり、2017年には何と15%、1億7,400万人となっている。(左グラフ)

 当然、映画館の数も同様に減少したが、1993年を底に増え続けている。(右グラフ)それは、グラフの中の説明書きにある通り、1999年までは「映画館数」でカウントしていたが、2000年以降は「映画館スクリーン数」に計測対象が変わっているからだ。

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 これは、同一施設内に複数のスクリーンが用意されている「シネコン」(複合映画館、シネマコンプレックス、写真)
が主流になりつつある状況に対応したもの。

 現在はスクリーン数において、日本国内の映画館の8割以上をシネコンが占めている。60年余りの間の映画館数の変化をグラフ化してみる(2018/01/27、ガベージ・ニュース) 

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 映画の衰退の原因は明らかだ。

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 1953年にテレビ(写真)が登場し、1959年の皇太子明仁親王(今上天皇)ご成婚の中継が大きなインパクトを与えた。また1960年にはテレビのカラー放送が本格的に始まり、それとともにカラーテレビも世帯内に普及していき、映像娯楽の主役は映画館での映画鑑賞から自宅でのテレビ観賞に移り変わっていく。その変化が歴史の証人のごとく、グラフとして表れている。

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 そして、1964年の東京オリンピックで一気にテレビの普及が進んだことと、ドル箱だった石原裕次郎(1987年、52歳で没、写真左)、小林旭(79歳、写真右)などが活躍した「アクション映画」「時代劇」がマンネリ化で飽きられてきたからである。
映画各社の対応

 映画各社はその立て直しのため路線変更を強いられたが、それは「任侠映画」「ちょっとエッチな喜劇」だった。そしてその後にやってきたのが「日活ロマンポルノ」に代表される「エログロ路線」である。

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東映は、鶴田浩二(1987年、62歳で没、写真左)、高倉健(2014年、83歳で没、写真中央)、(現在は富司純子(72歳、写真右)らを擁して「任侠ブーム」を作る。それに、エログロ路線」も取った。

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 なお、藤純子の当たり役『緋牡丹博徒』(1968年~1972年)は、この10月27日、肺気腫で急死した
江波杏子(76歳で没、写真)が、1966年から大映で『女賭博師』シリーズをやっていて、それなら東映は女の任侠ものをやろうということで始めたものだ。

映画「緋牡丹博徒 お竜参上」(1970年)




東宝は、「ちょっとエッチな喜劇路線」だった。
 
 森繁久彌主演の喜劇「駅前シリーズ」(1958年~1969年、全24作品のうち、1965年は「駅前医院」「駅前金融」「駅前大学」が公開された)。

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 写真左より、森繁久彌(2009年、96歳で没)、伴淳三郎(1981年、73歳で没)、フランキー堺(1996年、67歳で没)の三人が主演。準主演として三木のり平(1999年、74歳で没)、加東大介(1975年、64歳で没)。マドンナと呼ばれた淡島千景(2012年、87歳で没)、淡路恵子(2014年、80歳で没)、池内淳子(2010年、76歳で没)と、主要な俳優の全員が鬼籍に入った。

映画「駅前団地」(1961年)


 同じく、森繁久彌主演の喜劇「社長シリーズ」(1956年~1970年、全33作品のうち、1965年は「社長忍法帖」「続・社長忍法帖」が公開された) 

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 この作品には、上述の森繁久彌加東大介の他、写真左より、久慈あさみ(1996年、74歳で没)、小林桂樹(2010年、86歳で没)、司葉子(84歳)、新珠三千代(2001年、71歳で没)、団令子(2003年、68歳で没)、草笛光子(85歳)、小沢昭一(2012年、83歳で没)、藤山陽子(76歳)らが出演した。

 その他、加山雄三主演の「若大将シリーズ」(1961年~1971年、全17作品のうち1965年は「海の若大将」「エレキの若大将」)
 
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 写真左より、加山雄三(81歳)、田中邦衛(85歳)、有島一郎(1987年、71歳で没)、飯田蝶子(1972年、75歳で没)、江原達怡(81歳)、星由里子(2018年、74歳で没)、酒井和歌子(69歳)、坂口良子(2013年、57歳で没)らが出演した。

映画「エレキの大将」(1965年)


イメージ 6 植木等ハナ肇とクレージー・キャッツ(写真)主演の「クレージー映画」(無責任シリーズ、日本一シリーズ、クレージー作戦シリーズ、1962年~1971年、1965年は「日本一のゴマすり男」「大冒険」)もヒットした。

映画「日本一のゴマスリ男」(1965年)


日活は、「ロマンポルノ」

 日活は、日活三人娘、吉永小百合(73歳)、和泉雅子(70歳)、松原智恵子(73歳)や、浜田光夫(74歳)、高橋英樹(74歳)、渡哲也(76歳)、山本陽子(76歳)、藤竜也(77歳)、梶芽衣子(71歳)、杉良太郎(74歳)らを輩出したが、退潮を食い止めることが出来ず、業績は急激に悪化した。

 日活のポルノ映画進出は苦肉の策だった。

 ところで、成人映画には、3つのジャンルがある。
 
1.映画館で公開されているもの
 ①ポルノ映画(日活ロマンポルノなど大手映画会社で作ったもの)
 ②ピンク映画(それ以外のマイナーレーベルのもの)
 
2.オリジナルビデオ…Vシネマなど、プロモーションのため短期的に公開する場合もあるが、ビデオとしてのみに作成された映画
 
3.アダルトビデオ…オリジナルビデオと違い、ストーリー性が少なく、性的欲情を強く誘うもの

 白状すると、若いころ、このジャンルの映画は随分観たものだ。

 次の女優の出演映画はもちろんみんな観ている。

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 しかし、ポルノと言ってバカにしてはいけない。
 
 「日本映画界を支えてきた名監督たちは、みんなピンク映画出身だ」といっても間違いではない。それも多くは、日活ロマンポルノ出身である。
 

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 「おくりびと」(2008年)の滝田洋二郎監督(63歳)、「デスノート」(2006年)の金子修介監督(63歳)、「パッチギ!」(2005年)の井筒和幸監督(65歳)、「トウキョウソナタ」(2008年)の黒沢清監督(63歳)、「Shall we ダンス?」(1996年)の周防正行監督(62歳)、「セーラー服と機関銃」(1981年)の相米慎二監督(2001年、53歳で没)、「失楽園」の森田芳光監督(2011年、68歳で没)、そして、「血と骨」(2004年)で、現在映画監督協会理事長の崔洋一監督(69歳)までもが日活ロマンポルノ出身の監督である。

 そして、ここでは触れないが、今ではアッと驚く多くの有名女優や、有名歌手が日活ロマンポルノに出演している。

 続く。

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