子どもの頃は、一粒でも残っていると母に叱られたものだった。
「もったいない」という世界に誇る日本人の美徳が失われているのを感じて、自分を恥じた。
そして、もう一つ。
「自分を生かしてくれている神や人、命を支える食物や、その食物を生み出す天地の恵みなどへの感謝の気持ち」。
「いただきます」も食材への感謝心をもつ。これで、残菜が少なくなったという報告もあるという。
●もったいない
「もったいない(勿体無い)」とは、仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語で、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している。
彼女が「もったいない」という言葉に初めて出会ったのは、2005年2月に気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書(通称:京都議定書)の関連行事のため、毎日新聞社の招聘により日本を訪問。その時、同社編集局長とのインタビューのときだった。
その「もったいない」に感銘を受けた後、この意思と概念を世界中に広めるため他の言語で該当するような言葉を探したが、「もったいない」のように、自然や物に対する敬意、愛などの意思(リスペクト)が込められているような言葉が他に見つからなかった。
消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用(リサイクル)、尊敬(リスペクト)の概念を一語で表せる言葉も見つからなかった。そのため、そのまま『MOTTAINAI』を世界共通の言葉として広めたという。(Wikipedia 参照)
●日本の現状と将来のありかた
しかし、皮肉なもので、肝心の「もったいない」本家本元の日本では経済成長至上主義により、国家的規模で使い捨てを奨励してきた。
日本人に沁みついた節約精神は、経済成長の敵である。消費が盛んにならないと経済が成長しないことは自明の理だ。大量生産し、新製品は性能が良くなるばかりか、値段も安くなる。暫く経って故障したときに、修理代より、もっと便利な新型の値段が安いことに驚く。
そして、使い捨ての生活は確かに快適だ。1ヶ所に穴の開いた靴下を繕いながら履くより捨てた方が楽である。しかも、消費を増やせば経済が活性化して所得も増える。貴重品だった靴下も相対的にずっと安くなり、穴が開けば平気で捨てられる値段になった。新品の靴下に替えても経済的な損失がなく手間もかからないとなれば、誰が古い靴下を繕いながら履くだろうか。
ところが、敬老の日に寄せて【その1】でも言及したように、世界で最も少子高齢化が進んでいる今、もはや経済成長至上主義は通用しない。日本の目の前に見えているのは明らかに「下り坂」である。
そのキーワードは「もったいない」だと思う。
ところが、最近、江戸時代に関する本ばかり、7冊も読んだ。
これらの本を読むと、これからの日本は、戦争ばかりしていた富国強兵策の明治時代より、平和で循環型社会だった江戸時代に学んだ方が正しいようだ。
日本人は、「散る桜の花びら」や、「吐息の一つ一つ」にまで命が宿るとされ、森羅万象に対して、慈しみや感謝の念をもって接してきた。その心根が「もったいない」という価値観の根底に流れている。
いや、日本はまだまだ発展する、という人がいる。円安で日本を訪れる外国人が増え、口々に「日本は素晴らしい国だ」と言っているではないか。2020年、東京オリンピックの開催が決まったではないか…と。
自民党総裁選で3選した安倍首相は8月26日、立候補宣言で「国は転換期にある。平成の先の時代向けて新たな国づくりを進めていく」と述べ、9月20日の勝利宣言で「憲法改正の取り組み」を真っ先に掲げた。
立候補宣言の「新しい国づくり」は具体的には何かを明確に示せてはいないが、どうやら対立候補者の石破元幹事長との討論からすると、いまだに「軍事大国」や「経済大国」にこだわっているようだ。
勘違いも甚だしい。今地球で一番緊喫な危機は「核戦争」と「地球温暖化現象」である。
過去最大の5.3兆円の国防費、原子力発電にこだわり一向に進まない自然エネルギー発電。
日本は諸外国に比べ「少子高齢化」以外にもリスクが多い。「地震大国」、「1,000兆を超える財政赤字」、「食糧自給率」、「領土問題」など。
少しは不自由になっても、もうすぐ生活を改めなければいけない時代がやって来ることは間違いないはずだ。
そのとき必ず「もったいない精神」が役に立つと信じている。