前作に続き「生涯現役のすすめ」というタイトルであるが、自分で進退を決められる自営業と違い、サラリーマンにとって、「生涯現役」を全うするのは簡単なことではない。
●サラリーマンの生涯現役…定年の壁
サラリーマンで生涯現役を迎えるのは、ほとんど「まれ」である。「定年」という壁が立ちはだかるからである。管理職であれば、定年の前にもう一つ、「役職定年制」というハードルのある会社も多い。
役職定年制とは、ある一定の年齢に達すると役職者から外れる制度のことを指す。
会社によりいろんな呼称があるが、自分が在籍した会社では、部長→担当部長、課長→担当課長と呼び、ラインから外れる。要するに部下を持たなくなるのである。原則として、基本給は下げないが、役職手当がなくなるか、大幅に減らされる。
会社にとってのメリットは、人件費の削減と、別の役職者が誕生するので、必然的に後進に道を譲ることが出来ることだ。人材が豊富な大企業だとやむを得ないことかもしれないが、人手不足の中小企業では現実的ではないと思う。
このブログでは、何度も50歳を超えた自分の転職の経験をお伝えしてきたが、その中の2社で「役職定年制」にぶつかったことがある。それも、どちらも入社前に導入していたわけではない。入社後に作られた制度だ。
まず最初は、希望退職で53歳に辞めた後に入った会社である。それは突然で、いわば晴天の霹靂だった。「役職定年制」になると、もうそこで働く意味がないと思い、導入される55歳になるとほぼ同時に、以前から誘われていた友人が経営する派遣会社に転職した。
そして、さらに転職し、55歳で入社した会社も58歳のとき、役職定年制が導入された。その時は執行役員だったので対象から免れたが、60歳の定年の1年前から役職定年になった。
最後に、前社の社長から、自分が人事の責任者だったので、「会社で役職定年制を導入するか」どうかの打診があった。もうそのときは多分対象外だったが、いやな思い出が蘇ってきた。即座に「止した方がいい」と答えたものだ。
役職定年は来るべき定年の助走期間である。
採用時、先入観をなくすため、履歴書に「学歴」を書くのを廃した会社もあると聞くが、そんな会社は日本では「天然記念物」である。
「定年制度」とは、言いかえれば「人事評価制度」が正しく機能していないほとんどの会社のやむを得ない制度だといえよう。見方を変えれば、定年制のない欧米の方が厳しい雇用制度かもしれない。
定年制のデメリットは、全てを「年齢」という物差しで測り、個人個人で異なる能力や、やる気などを切り捨てる側面があることだ。
傍で観ていても、もったいないと思う人材が「定年」というだけで退職する一方、どう見ても世渡り上手というか、おかしな人たちが無駄な人件費をむさぼっているのが日本だ。
「定年とは諦念のことと見つけたり」(お粗末!)
●長く働くためには
役員になれば別だが、大企業では65歳以上で働くのはほとんど絶望的である。もちろん、役員だから安心という訳でもない。今や役員でも定年制を敷く会社も多い。
勢い、人材が不足している中小企業で就職先を見つけることになるが、高齢者をうまく使って発展している会社も多い。手前みそだが、自分もその端くれだと思っている。60歳で入社した会社で68歳近くまで働いた。
一般的に、定年後人材に企業が期待するのは「安い」「辞めない」「休まない」の3Yである。
企業にとってみればこういう人材はすごく貴重である。高齢者はもう娯楽におカネを使うことも少ないから、給料が安くてもやっていける。働いていれば自分で健康管理をするし、これといった用事も少ないので、そんなに休まなくても大丈夫。高齢者の募集は少ないから、一度いただいた仕事は大事にしたいと思うようになる。
社会貢献というか、自分の時間を有効に使ってみんなを喜ばせられたら、そちらのほうがうれしくなる。
自分が長く働けたのは幸運の一言だけだったが、報酬を多くもらいたい人にとっては、職人としての「匠」の力か、特定の「資格」を持っているのが強い。
例えば、資格を持っている人が社員にいないと行えない事業もある。
自分のいた会社は建築や省エネ関係にも携わっていたが、施工管理技士、技術士、エネルギー管理士などは引き手あまたで、持っていて絶対に損をしない資格だと思った。
●大谷羊太郎著「生涯現役のすすめ」を読んで
サブタイトルに「年齢を超える活力的生き方論」とあり、さらに、表紙には「人生八十歳時代の今、中高年世代は現役を引退して余生に向かうのではなく、まだまだ意欲とパワーを持って人生を謳歌する時代になってきた。本書は自分の体験に基づき、これまでの常識を打ち破り、中高年の年齢を超えて持っている潜在的パワーを指摘し、高齢化社会の活力的生き方の論拠を示す」と書かれている。
ところで、本を読む前の前提として、作者の人生経験と、本書の発売した年のことを知って置く必要がある。
彼は会社で働いた経験がない。そして、この本が刊行する前の1995年、「六十歳革命」(光文社)に一部加筆・修正して改題したのが本書である。大谷氏はそのとき64歳、本書の刊行の2000年は彼が69歳のときである。
〇第一部:長寿社会の到来で常識は変わる/六十代の老化度を検証してみよう/運動神経も捨てたものじゃない/私の健康法
〇第二部:顔は人生の履歴書である/人生を変えた一冊の本/闘争エネルギーが育つまで
〇第三部:意識が変われば人生も変わる/万事、気を楽にして生きたい/新時代にこう生きよう
と続く。
彼は五十代のなかばからそれまでと違う意欲を導入して仕事をしてきた。六十代に入ったら、いっそう仕事にのめり込んでいこうと思っていた矢先に、高校のクラス会があった。
そのとき、「いよいよこれから本気になってがんばるよ」とスピーチをしたら、みんなからドッと笑われたという。
結論的には、それは大多数のサラリーマン社会で生きている人間と、サラリーマンを体験していない人間の違いだと思ったそうだ。
六十代の人間が「さあ、これからだ」と意気込んでも、決して間違ってはいない。
サラリーマンには年齢という問題が常に意識にある。こうした機構の中で年月を過ごせば、六十歳からは人生を消極的に生き、「これからはない」という常識が自ずと育ってしまう。
「これからはない」という常識の根拠は次の4点にまとめられる。
①記憶力 ②健康 ③運動神経 ④気力
そのような体力知力では、とても第一線では活躍できない。後方に引いていただくのが、ご本人のためでもある。あとはどうぞ、ごゆっくりと趣味でもたしなんで、心静かに生きてください。
それに、後進に道を譲って身を引かれるのは、謙譲の美徳でもあります。いつまでも席にかじりついているのは、その美徳に反します。
六十代が近づくと、このような声が、どこからとなく聞こえてくる。思いやりのあるその説得に、本人もうなずく。そして、あとは引退しかないという常識が出来上がっていく。
世の中を支配している常識や価値観が、実はまるっきり誤っていた実例は、いくらでもある。老いたと、自分を信じたら、心もからだもその方向に進む。やがて、本当に老いてしまう。
それで、あえて「歳だから」という言葉を雑音とみなした、というのだ。
振り返ってみると、自分もサラリーマンとしてはちょっとした異端児だったので、その「常識」には囚われなかった。
それで、何とかこれまで持っていると思っている。著者の多くの言葉に共感する。
●生涯現役を目指していそうな人たち
第一次産業である、農業・漁業・林業が主力だった時代は、生涯現役が当たり前だった。それは、空気のいい場所で働くとか、規則正しい生活、体力を使うことで健康で長寿の人生につながっていたからだ。
ところが、工業化社会が到来し、ストレスの多い仕事が中心となり、人間は長く働くことが出来なくなった。
更に、ITなどデジタル志向が強くなると、アナログの代表格である「職人」の出番が減った。
「匠」の世界を極めるには時間がかかるが、その代り一生働いている人が多い。それは仕事が面白いからだろう。
サラリーマンで長生きするのは、社長を筆頭に管理者に多い。それは、管理する方が管理される側よりストレスが少ないからだという。
そんな人たちにあやかりたいとは思わないが、今の会社では80歳を超えて働いている人もいるという。
さすがにそこまでの気持ちは今のところないが、頭と身体が続く限り、後5年を目標に働き続けられたらいいなと思っている。