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読んでから見るか、見てから読むか

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 前作、映画「終わった人」の最後に、「買って見たい本と観てみたい映画がまた増えてしまった」と書いた。(注:画像と映像はアップの後で入れました)

 待てよ、このフレーズに近い言葉は、最近どこかの新聞記事で見たことがあると思い、調べてみると、あったあった。
名作は本で読む?映画で読む?


 以下、その内容の一部を。

 「読んでから見るか、見てから読むか」。文庫本を相次ぎ映画化した角川映画はかつて、世間に問いました。こんなキャッチコピーが生まれる前から、ベストセラー小説は映画でも大ヒットしたり、名作文芸は名画になったりしたものです。本と映画はどちらが先か。40年来の悩みが、ついに決着!……したでしょうか』

 という言葉で始まる。

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 結果はのように約3分の2を占め、本の方が映画に比べて予想以上に優勢だった。

 その理由をbeは、『誰もが知る「名作」を本か映画で味わう場合、映画の大半は、小説やマンガなどの書籍を原作にしており、本のオリジナル性を大事に考える人は多いから』と解説している。
「ハリー・ポッター」は意見が分かれる

 「名作は本で読む?映画で読む?」については、の中にあるように、「ハリー・ポッター」シリーズに対する意見が大きく分かれたようだ。先に本を読みたい・読んだ人が242人、映画を観たい観た人は191人とどちらも多い。

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 イギリスの女性小説家・ジョアン・ローリング(ペンネーム: J・K・ローリング、現在52歳、写真左)は、児童文学書として、1997年、「ハリー・ポッター」シリーズの第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』(写真右)を刊行した。

 内容は、1990年代のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターの学校生活や、ハリーの両親を殺害した張本人でもある強大な闇の魔法使いヴォルデモートとの、因縁と戦いを描いた物語だ。

 それが、全く無名の新人による初作であるにもかかわらず、瞬く間に世界的ベストセラーになり、子供のみならず多数の大人にも愛読され、児童文学の枠を越えた人気作品として世界的な社会現象となった。

 これは73の言語に翻訳され、2016年に本編の後日談を描いた事実上の最終巻の第8巻『ハリー・ポッターと呪いの子』までの世界累計発行は4億5000万部以上になり史上最も売れたシリーズ作品となった。

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 2001年から8本のシリーズで公開された映画(2011年完結)も、シリーズ世界歴代3位の興行収入と大きなヒットを記録。当初から全7巻の構想であり、第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の原書が2007年に発売された。ハリーを演じたダニエル・ラドクリフ(現在28歳、写真)は最後の作品まで続投した。


 beにこんな意見が載っていた。

 「映画も面白かったが、本の方が想像を大きく膨らませることができた」(神奈川、48歳女性)、「映像の方がよりファンタジーの世界が広がる気がした」(東京、56歳女性)。

 外国作品を原書で読むだけでなく、京都の女性(50)のように「ハリー・ポッター」の翻訳本に違和感があり、映画を見て「スネイプ先生は自分が原書で感じたイメージ通りだった」と、3通りで比較する人もいた。

 活字愛の強い「本派」は、映画監督の解釈や演出が気になる様子。一方、「違いがあるから面白い場合も少なくない」(長野、48歳女性)と、両方楽しむ人がかなりいた。

 という。

映画の良さ

 これも上述のbeから。

 映画の利点は、わかりやすさにあるだろう。

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 「『ロード・オブ・ザ・リング(指輪物語)』(写真左)と、『ナルニア国物語』(写真右)は本で挫折した。外国人の名前が難しく、名訳過ぎて言い回しについていけなかった。映像で見たら困っていたところが解決し、めでたく読み直せた」(千葉、53歳女性)

 秋田の女性(54)は「子どもの読書感想文の宿題で、映画のDVDを見せたら、小説にはないシーンの感想を書くことが多く、手直しに苦労した」。映画の演出がより印象深かった、ということか。

 「初めて見た字幕つき洋画『ある愛の詩』(映像)が印象的だったので、訳本の小説を買って読んでは映画のシーンを思い出した」(大分、58歳女性)という鑑賞法もある。


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 本と映画の違いを楽しむなら、謎解きをするミステリー作品がよさそうだ。「『ダ・ヴィンチ・コード』(写真)は本を読んだあとに映画を見て、初めて腑に落ちた」(山形、52歳女性)という経験は、多くの人にあるのでは。

 ベストセラー小説の映画化が必ずしも名作とならない一方、無名の小説が大ヒットすることはしばしばある。「007」シリーズや「ゴッドファーザー」(映像)原作より映画の方がおなじみだろう。


 映画「風と共に去りぬ」(映像)は、当時の大ベストセラーだった原作小説を読んだことのない人が、急ごしらえで脚本を書いた、なんて逸話がある。なまじ作品に愛着のない方が本質を見極めるのかも


 宮城の女性(59)からこんな指摘があった。
「前世紀までの本は、読み手の想像力をかきたてるような書き方。今の本は、初めから映像化を考えて書かれているようだ」
映画が原作を超えた「砂の器」

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「映像が原作を超えた」と、本派からも評価される数少ない映画が松本清張原作の小説(1961年、写真左)で、後に野村芳太郎監督により、映画化(1974年、写真右)された「砂の器」だ。

 このポイントの一つに、犯人の喋った方言がある。

 犯人が「ズーズー弁」だったので、東北の人間と思ったところ、実は出雲の人間だったというくらい、出雲・伯耆は東北弁に近い言葉を話す。

 自分は故郷が広島県で、山口県にも住んだこともある。

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 ここは「西部(西日本)方言」の中で「中国方言」という「方言区画」に属している。ところが、鳥取県西部と島根県東部の出雲・伯耆地方だけは「中国方言」ではなく「雲伯方言」という、ズーズー弁に近い話し方をするのだ。(図)

 東北方言と雲伯方言の音声の類似性がこの物語の鍵となっているのだが、「砂の器」を読むまではこのことは知らなかった。 ここに興味が引かれた。

 「小説で感じた人間の性の悲しさが、映像により増幅され、思わず涙ぐむことがあった」(長野、66歳男性)、「映画は原作を軸にして新たな解釈や設定があってしかるべきだ」(大阪、61歳男性)。


自分の「読んでから見るか、見てから読むか」

 この経験を人に語れるほど自分は本を読んでもいないし、映画を見てもいないが、約1ヶ月前、拙ブログ・本を読む意味【その2】でこの件について次のように書いたことがある。

 「よく小説が放映化されるケースが多いが、映画の方が良かったと思う経験が一度もない」

 これは逆に映画大ヒットのあとを受けて、同年にミステリー作家のアンソニー・ブルーノの手でノベライズされたもの。

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 1995年で少し古い話になるが、当代の人気俳優・ブラッド・ピット主演、今はセクハラ問題で渦中にある、モーガン・フリーマン共演の「セブン」(写真)という映画があったが、小説のほうがはるかに面白かった。

 自分は小説の方を先に観た。

 あたかも殺人の現場に居合わせたような恐怖の「ゾクゾク感」は、映画では決して味わえない。

 特に最後のシーンは、映画では表現が難しいと思う」
 それにしても「映画は受身的、読書は能動的」というのは間違いないと思う。自分が登場人物になったり、想像力を膨らませるのは読書の方が優る。また、文字を追う、言葉、文章を理解すると言う行為は頭脳の刺激と言う面でも多大な効果があるはずだ。

 しかし、自分はこの件についてまだ評論する資格はないと思った。もっともっと本を読み映画を観るという経験を積む必要がある。

 いずれにしても、映画「終わった人」は原作か、映画のどちらかは必ず見ようと思っている。

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