日本政府が平和について不熱心、不勉強であることは、昨年の二つの出来事で露呈した。
●核兵器禁止条約
条約は、広島、長崎の被爆者の訴えをくみ取り、前文に被爆者の「受け入れ難い苦痛や損害」に留意すると明記。1945年の日本への原爆投下後、核兵器を違法とする条約が国連で採択されるのは初めて。核抑止力の否定につながる「使用するとの威嚇」も禁止した。
「(採択は)歴史的瞬間」ではあったが、核保有国の参加は絶望的、実際の軍縮に結び付く可能性は乏しいという。
米国の圧力を受けた日本は、先立つ3月会議で冒頭、「建設的かつ誠実に参加することは困難」と説明し、その後は欠席。
唯一の被爆国として核保有国と非核保有国の橋渡し役を自任してきた日本だが、今後、核廃絶をどう主導していくかが問われている。
●ノーベル平和賞
今年はアメリカのトランプ大統領かと冗談のような話題が飛び交っているノーベル平和賞だが、昨年は国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が受賞し、同年12月10日のオスロでの受賞式では、事務局長のベアトリス・フィン(35歳)と、組織の一員で広島市出身の被爆者でもあるサーロー節子(86歳)が、演説を行った。
これに対しフィンは、「日本政府は(核保有国と非保有国の)橋渡し役を担いたいと言っているので話し合いたかった。大変失望している。次の機会に期待したい」と述べ、来日中の広島市における講演では、核兵器禁止条約に参加しない日本政府を「(核廃絶を求める)合理的な国際社会から足を踏み外した」と批判した。(写真)
唯一の戦争被爆国である日本が条約に反対していることに「広島、長崎以外で同じ過ちが繰り返されていいと思っているのではないか」と指摘し、「被爆地と日本政府の隔たりは大きく、埋める必要がある」と訴えた。東京都の日本記者クラブでの会見では、「日本は国際社会の仲間外れになり得る」と核兵器禁止条約に日本が参加していないことを批判した。(画像)
ところで、5月10日の朝日新聞の記事、核禁条約「2年で発効、確信」 ICAN事務局長にこんなことが。
昨年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のフィン事務局長は8日、米ニューヨークの国連本部近くで記者団に対し、核兵器の使用や保持などを禁じる核兵器禁止条約の発効に今後2年間ほどかかるとの見通しを語った。
核禁条約の発効には50カ国の批准が必要。条約交渉を推進したオーストリアが国連に批准書を出したのに立ち会ったフィン氏は「多くの国々で批准(の手続き)が進んでいる。今後2年間で50カ国に達すると確信している」と述べた。
ICANの集計によると同条約を批准したのはメキシコやタイ、ベネズエラ、キューバ、オーストリアなど9カ国・地域。オーストリアの国連大使によると、ナミビアやコスタリカも署名を終え、批准に向かっているという。
国連で採択されても、批准となるとハードルが高いんだね。
昨年の12月10日、オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で、サーロー節子さんが行った感動の演説は次の通り。(写真)
(ノーベル平和賞の授賞式で演説するサーロー節子さん)(東京新聞、2017年12月11日)
偶然は重なるもので、前述のように、核禁止条約の批准の状況の記事が5月10日にあり、今度は本日(5月13日)、サーロー節子さん アメリカの母校で核廃絶を訴えというニュースがテレビに流れていた。現在86歳になるが、まだまだ元気だ。内容は以下の通り。
13歳のとき、広島で被爆したサーロー節子さんは、1954年にアメリカ・バージニア州にあるリンチバーグ大学に留学した際に核兵器がもたらす被害の実態を伝える必要を感じたことをきっかけに、その体験を世界各地で語ってきました。
サーローさんは去年、核兵器禁止条約の採択に貢献するなど、長年の活動が認められて、母校のリンチバーグ大学から名誉博士号を受け、12日に行われた卒業式で演説を行いました。
この中でサーローさんは、広島への原爆投下で自身は助かったものの多くの人が亡くなったとしたうえで、甚大な被害をもたらす核兵器が世界には1万5000発も残されているとして、「核兵器で人類が脅される異常な状態を許してはならない」と核廃絶の重要性を若い世代に訴えました。
サーローさんは演説の後、「いつか話を思い出して、核兵器の問題を考えるきっかけになればと思います」と話していました。
卒業生の1人は、「人類が直面している問題について語られ、核廃絶への強いメッセージを感じました。自分たちの将来を考える上でも聞けてよかったです」と話していました。
●コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~
憲法記念日にちなんで、全国一斉に「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」(2016年、制作:アメリカ・コスタリカ、配給:ユナイテッドピープル)が上映された。
そして、横浜シネマリンでの再々上映が決定!6/2(土)-6/8(金)の1週間限定。まだ上映時間は未定のようだ。ぜひお近くの方はこの機会にご覧ください。
●コスタリカとは
中米の小国、コスタリカ。人口は490万人。面積は九州と四国を足したぐらいだ。
自分の情報は、美人の多い国、映画「ジュラシック・パーク」(1990年、写真)の舞台となったイスラ・ヌブラル島のモデルになったココ島がある国という程度だ。
もう一つ思い出した。日本の選挙制度で「コスタリカ方式」というのがある。ただし、Wikipedia によると、『「コスタリカ」の名は、コスタリカ友好議員連盟の会長であり、小選挙区比例代表並立制導入当時の自民党幹事長であった森喜朗が国会議員が同一選挙区における連続立候補を禁じたコスタリカの選挙制度を参考にして命名したものである。ただしコスタリカの選挙制度の目的は選挙において特定地域の有権者との癒着を防止することであり、日本のシステムは名前だけ頂いた、似て非なるものである』とある。
軍隊廃止の結果、地球の健全性や人々の幸福度、そして健康を図る指標「世界の幸福度指数(HPI)」2016の世界ランキングにおいて140ヶ国中で世界一に輝いているのがコスタリカである。またラテンアメリカで最も安全とされている国でもある。ちなみに日本は58位。(https://www.newssalt.com/8978参照)
しかし、平和を維持するためには不断の努力が必要だ。
いざ外国に侵略されたらどうするのかというと、国際法や国際社会に訴えるという。実際にニカラグアがコスタリカの一部領土に軍を送って占拠した際は、平和的に国際司法裁判所に訴え出て、勝訴している。
政府関係者は「君たちは軍隊がない国のことを想像できないと言う。私たちは、軍隊が存在する国のことを想像できないんだよ」と、コスタリカ人の平和感覚を説明している。-70年も軍隊がない国だから、誇張した発言ではない。その言葉が胸に沁みる。
上述の「核兵器禁止条約」は20年前にコスタリカが提案し、議長もコスタリカ人だった。コスタリカは自国だけが平和になること留まらず、平和を輸出する国になっているのだ。
ロシアの文豪で「戦争と平和」の著作もある、非戦論者のトルストイ(1828-1910年、82歳で没、写真)はこんな言葉を残している。
「戦争は、人びとがいかなる暴力行為にも参加せず、そのために被るであろう迫害を耐えしのぶ覚悟をしたとき、初めてやむ。それが戦争絶滅の唯一の方法である」(北御門二郎訳、北御門・澤地久枝共著「トルストイの涙」より)
ガンジーにつながる非暴力の精神だ。
●日本国憲法第9条
改めて、一部の日本人から目の敵にされている日本国憲法第9条を読んでみよう。
塚田薫著、「日本国憲法を口語訳してみたら」(幻冬舎、2013年、写真)が「これなら読める」「面白い!」と新聞・ラジオ・ネットで話題を呼んでいる。
日本国憲法第9条はこんな具合だ。
1項:俺らは筋と話し合いで成り立ってる国どうしの平和な状態こそ、大事だと思う。だから国として、武器を持って相手をおどかしたり、直接なぐったりはしないよ。もし外国となにかトラブルが起こったとしても、それを暴力で解決することは、もう永遠にしない。戦争放棄だ。
1項:俺らは筋と話し合いで成り立ってる国どうしの平和な状態こそ、大事だと思う。だから国として、武器を持って相手をおどかしたり、直接なぐったりはしないよ。もし外国となにかトラブルが起こったとしても、それを暴力で解決することは、もう永遠にしない。戦争放棄だ。
2項:で、1項で決めた戦争放棄という目的のために軍隊や戦力を持たないし、交戦権も認めないよ。大事なことだから釘さしとくよ。
まあ、「方言で読む日本国憲法」(2004年、大原穣子著、写真)を見てつかーさい。ちょびっと広島弁じゃないところもあるような気がするんじゃが、まあええか。
方言で読む 日本国憲法 第9条 《広島弁》
元男性アイドル歌手もこんなに変身した。
沢田研二/我が窮状(2008年)
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 忌まわしい時代に 溯るのは 賢明じゃない 英霊の涙に変えて 授かった宝だ この窮状救うために 声なき声よ集え わが窮状 守りきれたら 残す未来 輝くよ
麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ 老いたるは無力を 気骨に変えて 礎石となろうぜ あきらめは取り返せない 過ちを招くだけ この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう わが窮状守れないなら 真の平和ありえない この窮状 救えるのは 静かに通る言葉 わが窮状 守りきりたい 許しあい 信じよう
続く。