最近は図書館で何冊も本を借りていることを、お伝えしているが、ブログにしたいネタもたくさん見つかり、それがなかなか実現できないもどかしさを感じている。
●ブログが思うように作れない
その理由は幾つもある。
「老化」「老化」と歳のせいばかりにするのもどうかと思うが、集中力の減退、視力の低下、腕がしびれて思うように動かないとかがその言い訳だ。
そして、パソコンの不調。同じテーマなのに何度も【その1】【その2】…とするのは、画面が途中で切れるからである。以前からお伝えしているが、まだ続いている。
それが、アプリが重たくなっているのかと思い削除しまくったのが、誤ってエクセルやワードまで削除し、今はデータが作れなくてブログ作成の楽しみが減っている。
ゴールデンウィークはブログ作りに絶好の時期だった。
前述の理由でグラフに出来ないが、ブログを始めた2009年の4月29日~5月5日の投稿数は3、2010年-20、2011年-15、2012年-16、2013年-9、2014年-5、2015年-6、2016年-1(PCが壊れていた)、2017年-10、そして今年の2018年-5と、思えば、ピークの2010年はこの期間に20作も作ったのだ。もうそんなパワーは無くなった。
●山折哲雄との出会い
最近の本との出会いにこんなものがある。図書の利用記録には3月21日とある。このときは全部で7冊借りた。
そのときも短時間で本を選んだ。
その一つが「わが人生の三原則」(中央公論新社、2013年、写真)だった。表紙に「病を得て老いていくことこそ、本当に生きて、本当に死ぬことにつながるのではないか。新しい時代の「生老病死」を考える」とある。
奇しくも今週の5月11日が87歳の誕生日。文章も分かりやすくて、なる程とうならせる。自分のことを「老化」「老化」と嘆いてばかりではいられない。
●朝日新聞土曜版beに登場
それが、借りたすぐ後の3月31日(土)に、朝日新聞土曜版beに、「<お知らせ>来週からbeが変わります」という記事が載っていた。
土曜の朝にお届けする「be」は、4月から新しい読み物の連載を始めます。
最初にお知らせしたいのは、9面で毎週、宗教学者の山折哲雄さん(86)のコラム「生老病死」を掲載することです。山折さんは、国際日本文化研究センター(京都)の所長などを歴任し、日本人の死生観・宗教観から日本文明に至るまで、大胆な考察や提言で知られます。ご自身も様々な病や痛みと闘ってこられたことから、エッセーにはみなさんの人生のヒントがちりばめられると考えています。
とあり、早速、次週の4月7日に、「(生老病死)息をのむ、日野原さんの天晴れ」というエッセイが載っていた。
聖路加国際病院名誉院長で、昨年の7月18日に105歳で亡くなった、日野原重明氏(写真)との10年前の出会いと、没した1年前に出版した俳句集「10月4日 104歳に 104句」(ブックマン社)のことが書かれていた。
恥ずかしながら、山折さんが、有名な人であるのをこれで知った次第である。
●今借りている山折哲雄の本
その後、「涙と日本人」(日本経済新聞社、2004年、写真左)、「日本文明とは何か」(角川叢書、2004年、写真中央)、「危機と日本人」(日本経済新聞社、2013年、写真右)を借りまくった。
現在は、上述の「わが人生の三原則」も借りていて、都合4冊を読んでいる。
どれも面白いし、ブログネタとしてもたくさんある。「長寿」「自殺」「平和主義」「非暴力」「涙と日本人」などが、そのタイトル候補だ。
●柳美里(ゆうみり)との関係
3月21日、「わが人生の三原則」と同時に借りた本が、柳美里著「貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記」(双葉社、2015年、写真)だった。
この本を借りた理由もさして無かった。しいて言えば自分の貧乏な境遇の打開策として、何か参考になることがあればという程度である。
解説には、「月刊『創』との「原稿料未払い騒動」完全収録。 芥川賞作家の柳美里が『創』から原稿料を支払われないとして、話題となったが、本書はその『創』の連載を「お金」「貧乏」にまつわる話を中心にまとめ、新たに加筆した問題作だ。『創』出版との印税未払いの顛末記も書かれており、芥川賞作家が困窮する衝撃のエピソードが明かされる。全国には300万人の非正規雇用者がいるが、彼等に向け「貧乏でも幸せ生きる」意味を問う作品となっている」とある。
ネットで調べると、「宗教学者・山折哲雄氏が作家・柳美里と京都で重ねた対話」(BestTimes 2017年3月10日)という記事があった。
「作家デビュー30年、芥川賞受賞から20年と節目の年に初の新書『人生にはやらなくていいことがある』(ベスト新書、2016年、写真)を出版した柳美里氏。
『人生にはやらなくていいことがある』刊行に際し「書店に足を運んでもらえるきっかけになれば」と出版社、書店とタッグを組み、親交のある著名人の寄稿、作家生活を振り返ったインタビュー、お勧めの書籍を紹介する『柳美里新聞』なるものを発行。350店舗以上に無料で設置されている。
出版関係者や読者からは「改めて柳さんの本を読んでみたいと思った」と声が上がる。柳美里とはどんな人なのか? 宗教学者・山折哲雄氏が『柳美里新聞』に寄稿したエッセイを特別公開」
偶然、同時に借りた柳美里と山折哲雄の本だが、二人は対談していたのだ。
そして、柳美里は現在、福島県南相馬市在住という。
そのときは、ホテルも賃貸マンションも無かったので、震災で避難をして空家を探した。
南相馬市は、地域自治区といって、北より、鹿島区(人口10,894人)、原町区(同41,036人)、小高区(2,412人)という三つの地域に分かれる。(人口は2017.12.31調べ、図)
彼女は、2011年3月11日に発生した東日本大震災を機に、福島県・宮城県・岩手県に通い始める。2012年3月16日から、臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」にて「柳美里のふたりとひとり」のパーソナリティを務める。 2015年4月に鎌倉から南相馬に転居し、南相馬市在住作家としての生活を始める。
2017年4月、福島県立小高工業高等学校と福島県立小高商業高等学校において特別授業を受け持った縁で、南相馬市小高区で開校する福島県立小高産業技術高等学校の校歌の作詞を担当する。作曲は自身が依頼をした長渕剛が務める。
2017年7月2日、復興に協力するため、自らの仕事場とカフェを兼ねた書店の開業を目指して南相馬市内の原町区から小高区に転居、2018年4月9日に書店「フルハウス」を開店した。(写真)
2018年秋には自宅敷地内の倉庫で、劇場「LaMaMa OKADA」の開業を目指している。(なぜ自宅を書店に? 芥川賞作家・柳美里さんが福島で進めるプロジェクト)(柳美里さん書店「フルハウス」オープン)(Wikipedia参照)
柳美里が歌手の奥田美和子のプロデュースを担当したこともWikipediaで知った。
奥田美和子(現在36歳)が歌手を休業中の2002年、芥川賞作家の柳美里が原作の小説『命』を読んで感銘を受け、柳本人へ手紙を送る。熱意に打たれた柳が作詞とビジュアルをプロデュースすることにより、再び活動を再開したそうだ。なお、2005年にプロデュース業は終了したとのことだ。
この歌はコーヒーカラーがオリジナルなので、柳美里がプロデュースをしたかどうか知らないが、好きな曲だ。
奥田美和子/人生に乾杯を!(2004年)
そして、前日の憲法記念日に際し、5月4日の朝日新聞に柳美里に関するこんな記事が。(憲法を考える)揺れる価値:2 五輪に隠される多様な「国民」
「東京五輪を心待ちにしている日本中の人たちに、孫選手(注:孫基禎(1912-2002年、90歳で没、写真。日本統治時代の朝鮮出身の日本の男子マラソン選手。1936年のベルリンオリンピックで、アジアの選手として初めてマラソンで金メダルを獲得した。大韓民国建国後は同国籍になり、同国の陸上チームのコーチや陸連会長を務めた)の人生を知ってほしい。
彼の人生は私たちに国家とは何か、国民とは何かを問いかけている」
在日3世の芥川賞作家、柳美里はそう語る。柳さんの祖父も、40年に予定され、中止となった「幻の東京五輪」への出場が有力視される半島出身のランナーだった。
柳さんは今、福島県南相馬市で暮らす。東京電力福島第一原発から20キロ圏内でラインが引かれ、一時立ち入り禁止となっていた区域だ。事故直後から福島に通い、15年に移住。ラジオのパーソナリティーとして住民の声に耳を傾けてきた。
柳さんにとって被災者の姿は、朝鮮戦争によって故郷を追われ、今も分断されたままの故郷を持つ「在日」の自分と重なった。その被災者たちからはこう聞いたという。
「私たちは『避難した』のではない。『難民』だった」「国に捨てられた」
柳さんは「国家からはじかれる存在」に改めて気づいた。復興の途上にある飲食店主は、首都圏が中心の五輪特需で資材が高騰したため、店をたて直せなくなり、「再開は五輪後に先送りする」と話したという。
人と直接会わなくても、本で人の輪が広がることもあるんだネ。