「幸運か不運か」について、2回ブログに投稿したが、その続編で最終版を。
●サッポロビール「黒ラベル」のCM
幸運か不運か【その2】の最後に、サッポロビール「黒ラベル」のCMに触れた。
「自分のことが好きですか」という問いについて、坂本龍一さんの答えは?
黒ラベル 大人EV 65歳 ロングバージョン篇 B
その質問に対する答えは、映像にあるように、「もちろんですよ。-甘いですよね。いいじゃないですか。可愛がってあげましょうよ、自分を」だった。ーこれが素直でいい。
最後に、『自分(筆者)に置き換えてみると、欠点だらけの人間だが、それを冷静に見つめられる自分が好きだ。欠点をなじるのではなく、わずかでもいい自分の良いところを見つけ、「運が良かった」と、これからもポジティブに生きていきたい』とも書いた。
「ポジティブ」な考え方かどうかは、間違いなくその人の人生=運命を左右すると思う。
●ネガポ辞典
一つの事象なのに見方を変えるとネガティブ(否定的)にも、ポジティブ(肯定的)にも捕えることができる。
作成者のうちの一人、当時札幌の大学在学中だった蠣崎さんは、中学時代にぽっちゃりとした体型を気にしていたとき、母親から「あんたはとろい」と身も蓋もなく言われて傷ついたのが、友だちから「マイペースなところがいい」と慰めてくれた。
どうせ同じことを表現するなら、前向きになれる言葉を選ぶようにすれば、生きる自信が沸くはずだと考えたのが、この本の出版に結びついたのだという。
使ってみたい「ネガポ」な言い換えの例が【前向きになる!】ネガティブ→ポジティブ変換辞典 に載っていた。
【飽きっぽい】【計画性がない】の見方を変えれば【視野が広い】【行動力がある】【気持ちの切り替えが早い】になる。
今やっている事柄から次の事柄へ関心を移すのが早い、自分が興味を持てる事柄を見つけるのが得意、少しでも気になることあったら、ためらいなくそれに挑戦できる、というふうに変えてしまうのだ。
このことで思い出すことがある。
自分のコンプレックスの一つに「三日坊主」というのがあった。
「日記」を続けることには何度も挑戦した。1962年(昭和37年){中学1年~2年}の「年間の構想」に、「日記帳を1年間続けて書くこと(いかなる場合にも)」とあるが、今まで一度もこの目標を達成したことがない。
60歳の定年で会社を辞めるとき、お世話になった社会保険労務士と会食し、その悩みを打ち明けたことがあったが、思わぬ言葉に心が救われた記憶がある。
「○○さん(筆者のこと)は好奇心が旺盛なので、一つのことが長く続かないのは当たり前です。気にすることではありませんよ」
しかし、このブログを始めてもうすぐ9年になる。記事数を見ると2460作である。
これを見ると、あながち「三日坊主」とは言えないかもしれない。
考えてみると、仕事はもう47年も続けている。結婚生活も40年を超えた。これが飽きっぽい性格なのだろうか。
思い込みで自分の可能性を閉ざしていたようだとも思う。
「自分の性格を一方的に決めつけない」方がいいこともこのブログで教わった。ー人間、やれば出来るじゃないか!
●「老後の生き方」本が一杯
ところで、書店のコーナーはいつも時代の雰囲気を反映する。
一時は「嫌韓」の作品が所狭しと並び、専用コーナーまで設けているお店もあった今は、「老後の生き方」に関する本が並んでいる。
また懲りずにこんな本を買った。
帯封の「定年後最大の問題は何か知っていますかー健康?お金?いいえ、孤独です」という言葉が気に入った。
ネットの解説には、「あの『人間の証明』のベストセラー作家と、『おごるな上司!』の実力派弁護士が教えるミドル世代のための生きるヒント。時間割のない時間をうまく使い、「人生テーマ」を見つけるための生き方・考え方とは何かを説き明かす。
日本人なら誰もが、「定年後」を考えると、不安で心が曇りがちになるもの。本書では、「他人とのかかわり方」「趣味」「夫と妻の関係」「夢の実現」等、森村流・堀田流、生き方の極意をすべて公開します」とある。
共感するところが多く、とても面白い読み物だ。
●自分が幸運だったと思う理由
■心不全
相次いで日本の名バイプレーヤーが亡くなった。
大杉漣さん(2月21日没、66歳、写真左)と、左とん平さん(2月24日没、80歳、写真右)だ。
しかも二人とも死因は「心不全」である。
「心不全」は病気の名前ではない。心臓の機能が低下して、体に十分な血液を送り出せなくなった状態を「心不全」と呼ぶ。
その原因は心臓病だけではなく、様々な病気によって心不全の状態が引き起こされる。
心臓の機能に原因がある場合は、虚血性心疾患(狭心症、心筋梗塞)、心筋症、心筋炎、心臓弁膜症、不整脈、先天性心疾患など。心臓の機能以外に原因がある場合は、高血圧、貧血、腎臓病、悪性腫瘍に対する化学療法・放射線療法、甲状腺機能亢進症・バセドウ病、過度のアルコール摂取、ウイルス感染症、薬物中毒などがある。
「大杉漣、死す」のニュースにゾッとした人も少なくないだろう。役者として働き盛りの66歳での急死は、自分にとっても決して他人事ではない。
恐ろしいことに、前兆もなく発作に襲われることもある。そのため胸や腹部にいつもと違う痛みを感じたら、急性心不全を疑ったほうがいい。
テレビ東京によると、大杉さんは2月20日に行われた同局のドラマ『バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~』(毎週水曜 後9:54、画像)の撮影に参加。
撮影を終えて宿泊先に戻り食事をとっていたところ腹痛を訴え、松重豊と関係者らに付き添われて救急病院へ。そのまま、21日の午前3時53分にテレビ東京の関係者、同ドラマの共演者、そして家族に見守られながらの最期を迎えたという。
次の日、何度も入院したことのある総合病院を訪ねた。まさか、心筋梗塞だとは思ってもみなかったので、全く心の準備は整っていなかった。商談の予定もあり、診察が終わるとすぐに会社に行く予定だった。
先生の言葉に驚いた。「すぐに入院して手術しなければ命が危ない」。それから2時間後にはCCUの手術台に乗っていた。何という手際のよさ。それが命を支えた決定打だった。
■失業
ブログでは何度も披露しているが、50歳を超えて何度も転職を重ねた。(図)
しかも、このうち自己都合退職は、図ではB社からC社になるが、友人から誘われたこの1回だけである。他は自分から好んで辞めたわけではない。
政府は有効求人倍率の自慢をするが、いろんなトリックがある。その一つに、高齢者は依然として就職難だということだ。
40代の転職も大変だというのに、50代の転職活動は今も厳しい。また、「一難去ってまた一難」。運よく入社したところで、その会社になじんで長く働ける保証はない。
自分にとって転職とその間の失業は「災い転じて福となす」。
失業時の苦しみは心の糧になり、転職先の業務で大いに役に立った。例えば「社員採用」だ。面接者の気持ちが良くわかっていたのでそれに生かすことが出来た。
もう一つは、上述の楠木新氏が休職期間を「定年後」の予行演習ととらえたが、自分はこの失業期間がそれに当たった。
会社を離れたときの人間関係、一日の過ごし方、今までは会社が負担してくれた保険や交通費、健康診断料などのありがたさを嫌と言うほど味わったのだ。
■スナック通い
一人でぶらっと行きつけのスナックに行くのが好きだった。
今は行かなくなったが、会社で働いていたころは3軒ぐらいを掛け持ちして、「1週間に1度は必ず」といっていいぐらい訪れていた。
相当なアルコールが水の泡と帰したわけで、これを「無駄使い」と言ってしまえばそれまでだが、今に役立っていると思う。
会社や取引先の連中とばかり行けば別だが、会社の肩書や立場が全く通用しない世界で、ママや飲み友達などいろんな人と話が出来たのは、自分の財産の一つだ。
定年後、会社での立場と「ただの人」になったギャップに悩む人が多い中で、今の仕事である「マンション管理人」に違和感なく溶け込んで働くことが出来るのは、前述の失業経験も役に立っているが、スナック通いのおかげでもある。
■家庭環境
そこでは、こんなことが書いてあった。
「父(注:裁判官)は潔癖なくらい公正で、前にも繰り返し書いたように、むしろ目上に強いきかん気な人、母は金銭や身分で人の価値を決めたり、差別することを一切しない人だった。だから、今よりずっと差別や格差の多い時代だったにもかかわらず、私は差別的先入観には全く犯されずに育った。
金のあるなし、教育のあるなし、地位のなし…どれも、その人の価値には無関係というのが、我が家の基本的な雰囲気で、いわゆる目下といわれる立場の人にも、お世話になる目上の人にも、父母は同じように接していた。
少なくとも、差別やへつらいや羨望や嫉妬のようなとげとげしさを私は感じたことはなかった。現在の私の、よかれ悪しかれ、地位や権力や経済に対して音痴、無関心な性格は、幼児体験からの筋金入り。私が、だれはばからず自慢できる美意識である」
金のあるなし、教育のあるなし、地位のなし…どれも、その人の価値には無関係というのが、我が家の基本的な雰囲気で、いわゆる目下といわれる立場の人にも、お世話になる目上の人にも、父母は同じように接していた。
少なくとも、差別やへつらいや羨望や嫉妬のようなとげとげしさを私は感じたことはなかった。現在の私の、よかれ悪しかれ、地位や権力や経済に対して音痴、無関心な性格は、幼児体験からの筋金入り。私が、だれはばからず自慢できる美意識である」
「類は友を呼ぶ」。子供というものは、なまじな教育よりも、家庭内の言動のはしばしや雰囲気に敏感に反応して、己の性格を形づくっていくのだと思い知らされる。
自分の家庭が、そこまで胸を張ることが出来るかどうかの自信はないが、差別意識は全く無いのは確かだった。
最近マイブームの黒柳徹子さんの著書「トットひとり」の文中で、かつての人気音楽番組「ザ・ベストテン」(写真)で、鈴木雅之がリーダーを務めていた音楽バンド「シャネルズ」が出演したときのことを語っていた。
すると、黒柳は番組の進行を中断し「山陽放送で『シャネルズは黒人のくせに』と質問なすった坊やがいらしたんですけど」「『なになにのくせに』という風に、顔の色とか、国籍が違うと区別をする言い方をすると、私は涙が出るほどとっても悲しく思います」「国籍が違う、そういうことで一段高いところから人を見下ろすように言わないでください」と訴えたのだ。
自分もこういうのが大嫌いだ。だから「嫌中」とか「嫌韓」というのが信じられない。そう思えるのが誇りだ。
自分は日本人であり、まぎれもなく愛国者である。
「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京、毎週月曜夜8時~)は今、最も好きなテレビ番組である。
ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介する番組で、日本人に生まれて良かったことを改めて感じさせてくれる。昨日も感動で泣きに泣いた。
しかし、自分の国だけが素晴らしいと思うほど曇った考え方をしないのは、両親を始めとする家庭環境のおかげである。
もちろんオリンピックで日本人が活躍したことはとても嬉しい。
しかし、昨日で終わった平昌オリンピックで一番感動したシーンはこれだった。平昌五輪 「人間性も金メダル級」 ライバルたたえた小平奈緒を韓国メディア絶賛
こう思える自分も運が良かった。
自分は過去、いろんな人と別れたが、「裏切られた」という思いを持ったことは無い。
別れたことは残念だが、どんな人でも出会いは「運が良かった」と思うことにしている。
運が悪かったと思ったまま死ぬのは辛いね。