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国境の日本史【その2】

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 今回は日本の領土問題について。
 
 前作で紹介した、武光誠「国境の日本史」によると
 
 「日本は、長い歴史の中で領土を侵略されることの無かった希有な国である。 しかし、安定した中央集権が存在しなかった日本の中世においては、日本の領土が外国に置かされる危機が3度あった」
 
 「元寇」と呼ばれるモンゴルの侵攻。文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)
 
 結果はご承知の通りである。
 「応永の外寇」と呼ばれる李氏朝鮮の侵攻。(1419年)
 
 倭寇の取り締まりを目的として、1万7千人余りの李氏朝鮮の軍勢が倭寇の本拠地・対馬を襲った。
 
 結果的には糠岳の戦で対馬の守護大名である宗家の軍勢に敗北した。この戦いの後の和平交渉で宗家は李氏朝鮮に臣属することが取り決められた。
 長崎ポルトガルに8年間領有された事件。(1579年~1587年)
 

 鉄砲伝来(1543年)のあと、1549年以後、キリスト教のカトリック宣教師も日本で活躍し始めた。キリスト教に改宗したキリシタン大名も出現し、肥前の大名・大村純忠がキリシタンになったため、大村領にはポルトガルの貿易船が盛んに来航するようになった。

 

 1579年に長崎港とその周辺の半径10kmをカトリックの修道会の一つ、イエズス会に寄付した。

 

 これは日本の中にポルトガル領が出来たことを意味するものだった。長崎が第二のゴアマカオになる危険性が十分にあった。

 

 豊臣秀吉島津氏と戦い九州を配下に治めた1587年にバテレン追放令を出し、キリシタン禁止令を打ち出したため、日本の土地がポルトガルに奪われずに済んだという。
 国境は国と国の境である。近代的な国家が存在しなければ、国と国の間にきっちりとした境を引く必要はなかった。
 
 江戸時代以前の農村や漁村では、村を通りかかった「他所者(よそもの)」の行商人や旅人を「まれ人」呼んでもてなす風習があり、外国からの漂着者も「まれ人」として篤くもてはやされ、そのまま日本の農村や漁村に住み着くものも多かったという。
 
 つまり、近代的な国家の成立以前は、国境という観念が存在せず、海の向こうから来る人が、有益な知識を教えてくれる「善人」なら仲間に加えた。そして海賊のような「悪人」のときは、団結して戦っただけであった。
 
 15世紀初めから「大航海時代」が始まり、ヨーロッパの強国が世界中に進出して、各地に植民地を置き、19世紀半ばから20世紀の初めにかけ領土を拡大する「帝国主義」の時代を迎える。
 
 領土紛争は「先占」といい、「どの国のものでもなかった新たな土地は、その土地を自国の領土だと宣言した国のものである」という考えに基づいて解決が図られた。
 
 植民地支配が否定された第2次世界大戦後は、先占に代わる「実効支配」、すなわち「領有権を持つのは、その土地を統治している者である」という考えがとられるようになった。

 さて、これからはいよいよ現代の領土問題である
 
 日本の主要な領土問題は竹島尖閣諸島北方領土に絞られる。現状は下表の通りである。
 

項目
竹島
尖閣諸島
北方領土
紛争相手国
韓国
中国(台湾)
ロシア
日本の歴史的正当性
日本がやや有利
日本の正当性は明白
日本の正当性は明白
実効支配
韓国が有利
日本が有利
ロシアが有利
利用価値
主に漁業
海底資源
地熱発電・鉱物資源

 
 日本が抱える領土紛争は、いずれも一筋縄ではいかないものばかりだ。
 
 前述の実効支配が優先するのであれば、日本は尖閣諸島しか見込みがない。
 
 双方の主張が相容れないならば、国際司法裁判所ICJに解決を委ねるべきという考えもあるが、関係国双方が賛同しなければ、国際司法裁判所は介入しないのが決まりであり、既にこれがムリなことが分かっている。実効支配をしている国がそれを拒否するのは必然である。
 
 今はお互いが自分に有利な情報だけを声高に言って、国同士の関係を壊している。
 
 大切なことは、自国と相手国の主張や背景をしっかり認識する事、その上で、実益の観点からお互いが冷静になって大局的な判断をする事である。
イメージ 1 まず、竹島について、韓国は、独立から間もない1952年に李承晩ライン(右図)を一方的に設定し、その内に入った日本の漁船・漁民の拿捕や、多数の死傷者を出した。
 
 その後の日韓国交正常化交渉で李承晩ラインの不当性や竹島の領有を日本が強く主張し、1965年に廃止されたものの、竹島については1954韓国海軍が占拠し、現在、独島警備隊が引き継いで駐屯している。
 
 竹島を巡る領土問題において、日本人が最も知らなければならないのは、韓国にとって、1905年の日本による竹島編入は、1910年の日韓併合への布石として捉えられているという事だ。韓国が竹島に対して、あれだけ強い拘りを見せるのは、根強い日本の侵略歴史に対する韓国の国民感情の表れだと云える。竹島は、韓国人にとって、独立と自尊心の象徴的な土地なのだ。
 
 1999年に日韓漁業協定が結ばれているが、日本にとって不平等感が強く、まずは日韓漁業協定の見直しから訴えていくべきであり、領土の主権だけを争点にすると、やってはならない戦争以外に打つ手はないだろう。
イメージ 2 竹島に比べ、尖閣諸島(右図)については、日本の法的立場は圧倒的に有利である。
 
 しかし、日本の国境周辺で、最も緊張状態にあるのが、この尖閣諸島である。
 
 中国の狙いは、尖閣諸島における日本の実効支配の事実を否定することにある。このまま領海侵犯の事例が積み重なってくると、日本側の統治や施政権の実効性が疑われる。そうすれば日本の優位性を崩す事が出来るという考えだ。
 
 1968年に地下資源が発見されてから、尖閣諸島の領有権を主張し始めた中国と台湾だが、特に中国の狙いは資源だけに留まらない。中国の領土拡張戦略は顕著であり、日本最南端の沖ノ鳥島も標的になっている。中国の強かな戦略に対して、日本側が対立を避けるだけでは事態は収まらず、その要求はさらにエスカレートするのが明白だ。
 
 ここはしっかりと日本の立場を主張していくべきだ。

イメージ 3 日本にとっては状況が悪化するばかりの北方領土問題は、明らかに戦後の自民党政権の失政・無策の責任である。
 
 領土問題が解決していないせいで、いまだに日ロ平和条約も締結されていない。この間、日本は大きなチャンスロスをしている。
 
 それは、戦争終了後10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった「北方四島(右図)は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」という相手が飲むはずのない要求を急に外務省が行い、これまで続けてきたからである。
 
 これは、1956年の領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したアメリカ・ダレス国務長官重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。
 
 唯一の希望は、親日家のプーチン2012年に再び大統領となった事だったが、ウクライナ問題でこれは遠のいた。

  いずれにせよ、日本の領土問題は、何もせずに時間が解決する事はありえない。
 
 このままにしておくと日本にとって不利な事態は加速し、相手国に対する不信感もさらに増すだろう。そして、その不信感は両国にとって大きな不利益をもたらす可能性が強い。
 
 今やるべきことは、相手を挑発するのではなく、隣国への理解と協調を忘れずに、東アジアの平和の維持を考えていくことである。
東海林太郎/国境の町(1934)
 
イメージ 4 東海林太郎のヒット曲「国境の町」は、中国黒龍江省南部に位置し、東をロシア沿海地方と27kmにわたって国境を接している「綏芬河」(すいふんが/スィフェンホー)(人口21万人)が舞台だと言われている。
 

イメージ 5 同市は、ウラジオストクまで210㎞、ロシアと100年余りの交流があり、異国情緒豊かな町だ。



ペペ・ハラミジョ楽団/フランキー・レイン 国境の南
 


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