最近は、めっきり酒量が減った。年金生活で手元不如意になったのと、お酒の付き合いが減ったことが原因だが、お酒には習慣性があり、飲まないでいると飲まなくて済んだり、たくさん飲めなくなった。…歳のせいもあるのだろう。
30年来の行きつけだったスナックから電話があり、久しぶりに出かけたが、お酒もさしておいしいと思わないし、カラオケも喉がつかえて何曲も歌えない。もうとても以前のような午前様はムリだ。
元々根っからの酒好きという訳ではないからだろうか。
本当の酒好きは、升酒に「塩」を肴にして飲む。(写真)
そんな人も周りにいたが、肝臓を悪くして早死にをしてしまった。自分は、酒に肴が無くては飲めないタイプだ。
●酒の肴
「肴」(さかな)とは、酒を飲む際に添える食品を意味する語。「酒肴」(しゅこう)、酒にあてがうことから主に関西では「アテ」という。自分はもっぱら「おつまみ」と呼んでいた。もともと副食を「な」といい、「菜」「魚」「肴」の字をあてていた。酒のための「な(おかず)」という意味である。
●酒の肴には定番があった
その行きつけだったお店もそうだが、酒の肴には定番品があった。
ちなみに、「あたりめ」と「するめ」は同じもので、昔の商人が、損をするという意味の「する」と似ていたため、縁起をかついで「あたり」を使い、「あたりめ」になったと言われている。「あたりめ」と「するめ」は呼び方が違うだけだ。
これらを見かけないのは、今やお酒の主流が「日本酒」や「ウィスキー」から「焼酎」に代わったせいもあるのだろう。
●枝豆
豆自体が世界各国で食されており、親しみやすい味であること、自ら皮を剥くという変わった食べ方、皮自体も柔らかく食べやすいという理由から食されている。 また、子供の食育の一環としても食されており、野菜を食べない子供が、枝豆が飛び出る姿が面白く、遊びながら食べられる・小さいサイズで口に入れやすい・柔らかいという利点がある。
▼だだちゃ豆
さやの毛が茶色で、くびれも深く、見栄えは必ずしも良くないが、甘味と独特の濃厚な風味を持っており、香りも強い。やや小粒の状態で出荷され、短めの時間で茹で上がる。
栽培する土地が合わないと風味が落ちてしまうことから、生産地が限られている。収穫期も短く、保存も困難だったため、長らく幻の豆と呼ばれたが、近年の輸送手段の向上等により全国的に知られるようになった。特に人気があるのは鶴岡市・白山(しらやま)地区のものである。
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「おやじ」「お父さん」を意味する。江戸時代、献上された枝豆に対して庄内藩の殿様が「この枝豆は、どごのだだちゃの作った豆だや?」と尋ねたことから、それ以来「だだちゃ豆」と呼ぶようになったという説など、諸説ある。
今では全国的に有名になった「だだちゃ豆」だが、早くから知っていたのは訳がある。以前勤めていた会社の工場が鶴岡市にあったことと、くだんのスナックのママが鶴岡市出身だったからである。そのとき食べたときの感動の味は忘れられない。
今が旬の収穫時だ。(http://www.dadacha.jp/参照)
●お酒のつまみが登場する歌
▼八代亜紀、舟唄
八代の歌としては初の男歌だったが、阿久悠作詞、浜圭介作曲の本曲を初めて八代が聴いた時、最初のフレーズを聴いただけで「必ずヒットする」と直感したという。
歌詞は、神奈川県の俗謡として花柳界で歌い慣わされていた「ダンチョネ節」からの本歌取をしている。
1981年に製作された映画『駅 STATION』(降旗康男監督/東映)の劇中では、居酒屋で高倉健と倍賞千恵子が見ている紅白で八代が歌う場面が挿入されている。
「♪お酒はぬるめの燗がいい」「♪肴はあぶったイカでいい」という歌詞が冒頭に登場するが、八代本人は「あぶったイカは好きなものの、酒は呑めない」とのことだ。
今は亡き酒好きの義父がよく歌っていた歌で、この歌を聴くたびに義父のことを思い出す、感傷的になる曲だ。
八代亜紀/舟唄(1979年)
▼河島英五、野風増・時代おくれ
内外のミュージシャンが驚くほどパワフルな音量と大声で唱いあげる姿、「男らしさ」にこだわった歌詞が特徴。
コンサート活動は、大都市だけでなく山間部や僻地でも行い、音楽を通じてファンと交流することに主眼を置いた。
歌手の長女・河島あみるの結婚式に参列後の2001年4月16日、肝臓疾患のため急逝した。亡くなる2日前にライブに立ったのが最後の仕事だった。亡くなる前日に体調を悪くし、病院に運ばれるも既に手遅れの状態で家族に看取られ息を引き取った。
河島の墓は彼の故郷・奈良市の十輪院に建てられており、墓石には生前、河島が手帳に書き残した夫人への感謝のメッセージが刻まれている。
なお、河島の忌日となった4月16日は『桜風忌』と呼ばれている。(写真)
「のふうぞ」とは中国地方(主に岡山県)などでのやんちゃ・生意気などという意味の方言である。それに「野風増」という漢字をあてられている。
山本寛之がリリースした5年後に、河島英五らによってカヴァーされヒットした。
歌詞には、息子が20歳になれば2人で酒を酌み交わしたいという内容があったが、河島本人は歌詞通りに息子・翔馬と杯を交わすことは叶わなかった。(右歌詞)
河島英五/野風増(1985年)
白鶴酒造のコマーシャルソングに起用された楽曲で、酒場を舞台に、自身の生き様を静かに見つめ考える男性の心情を描いている。作詞は阿久悠、作曲は森田公一。
発売年である1986年は、のちにバブル景気などと呼ばれる空前の好景気の入口にあたり、流行を追った「トレンド」なる言葉がはやりつつあった時代の最中、「時代おくれの男になりたい」とあえて綴られた歌詞が特徴のひとつとして挙げられる。
「酒と泪と男と女」と並び、彼の代表曲のひとつになっている。
河島英五/時代おくれ(1986年)
▼坂本冬美、能登はいらんかいね
<歌詞>
欠けた徳利に たらこのつまみ(写真)酒の注ぎ手は 見そめたあの娘 能登はいらんかいねー ふるさと能登はヨー 寝酒三合に 口説きを混ぜて 今夜は輪島の 夢をみる
能登はもう44年も前になるが、一度、傷心の「能登一周」一人旅をしたことがある。
この歌が生まれた17年前の話である。その年、一生の思い出になる失恋をした。
そのとき泊った民宿で、悲しさと寂しさのあまり枕がぐっしょりと濡れたことを思い出した。
そしてその日、一人でふて寝していると、太鼓の音が聞こえる。何だろうと行ってみると、この曲中にもある「御陣乗太鼓」(写真)だった。今調べてみると「名舟大祭」といって、今年は7月31日と8月1日に行われたようだ。
人に逢えばいつか別れがやって来る。そんなことを思うゆとりなど当時は欠片もなかった。能登といえば、青春時代の辛い思い出が蘇って来る。
坂本冬美/能登はいらんかいね(1990年)
こんな文章や映像を見ながら、ビールの肴にしているところだ。