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ダニーボーイ(Danny Boy)

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 ダニーボーイ」(Danny Boy)は、誰も知らないアイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」(Londonderry Air)から、事実上の国歌になり世界中に広まった名曲。 様々な歌詞によって歌われ、特に「ダニーボーイ」のタイトルのものが有名である。

 「あなたが戦いから戻るのを、死んでも待っているから、どうか帰ってきてください」という、戦争に赴く息子を思う親の気持ちを切なく歌い上げる切ないメロディーは、アイルランド国民のみならず世界中の人々の心を魅了して止まない。

 「ロンドンデリーの歌」のタイトルは北アイルランドの州の名に由来する。

 この曲はロンドンデリー州(デリー州)リマヴァディジェイン・ロスにより採譜され、「アイルランドの古代音楽」(1855年)という書物に収録され、「ロンドンデリーのジェイン・ロスの収集による」無名の曲=「ロンドンデリーの歌」として知られるようになった。

 彼女が聴いたのはタイトルも歌詞もない器楽曲としての演奏だったが、いつどこで誰から聴いたのかなどについて謎が多く、詳しいことはわかっていない。

デリー/ロンドンデリー名称論争

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ロンドンデリー(Londonderry)は、デリー (Derry、「カシの森/カシの木」の意)とも呼ばれていて、州、行政区、都市の名前だが「デリー/ロンドンデリー名称論争」というのがあり、法律上は、都市と州の名称は「ロンドンデリー」であり、地方行政区画の名称は「デリー」である。(はロンドンデリー州)

 デリーという名称はナショナリストが好んでいて、北アイルランドやアイルランド共和国のカトリック教徒の間で幅広く使われ、逆にユニオニストの間ではロンドンデリーという名称が好まれるが、日常会話では市内に住むほとんどのプロテスタント教徒はデリーと言っているそうだ。
 
<州> ロンドンデリー州 (County Londonderry、人口約24万人) は、アルスター地方にある州。アルスター地方は9州あるが、北アイルランドには6州あり、3州はアイルランド本国。州都はコールレーンである。

行政地区>デリー・シティ・アンド・ストラバン(Derry City and Strabane、人口約15万人)は、イギリスの北アイルランド北西部の行政区。 2015年4月1日に、デリー地区とストラバン地区が合併して設置された。
 
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<都市>
ロンドンデリー
(人口約8万5千人)は、北アイルランドで2番目に大きく、アイルランド島において4番目に大きい都市でもある。

 こんなに複雑なのは理由がある。

 まずは1613年。ジェームズ1世の勅許状により都市になることが承認され、デリーの前に「ロンドン」を付ける形で市名がロンドンデリーに変更された。デリーという都市名がより一般的に知られているが、ロンドンデリーという都市名も一般的に使用されていて、法的名称として残っている。
 
 そして有名な、北アイルランド紛争IRAという過激集団もいた。アイルランド島の北はイギリスの領土という問題だ。

 1960年代の後半から1990年代にかけ、宗教差別を発端としたユニオニストナショナリスト両勢力の私兵組織が騒乱やテロを繰り返す、いわゆる「北アイルランド問題」が巻き起こり、1972年にストーモント議会が廃止されてイギリス政府による直接統治が始まった。1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1998年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によってベルファスト合意が形成され、これに基づいて全政党が参加する北アイルランド議会が設置され、その後は概ね平穏のようだ。
ダニーボーイの誕生

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 ダニーボーイの作詞者は、弁護士であり有名なソングライターでもあったイングランド出身レデリック・エドワード・ウェザリ(1929年、80歳で没、写真)と言われている。

 彼がダニーボーイの歌詞を創作したのは、第一次世界大戦を数年後に控えた1910年、彼が62歳のとき。最初は、彼自身が作曲したメロディでダニーボーイを発表してみたが、どうも受けが悪く、しばらくの間お蔵入りすることになってしまう。

 そうこうしているうちに2年が経過していた1912年のある日、アメリカに移住していた義理の妹が、彼の元にあるメロディを送ってきた。彼はこのメロディーを聞くや否や、すぐにこれが2年前に自分が発表した「ダニーボーイ」の歌詞にピッタリのメロディーであることに気付いた。メロディーが変わったので歌詞にもいくつかの修正を加えた上で、1913年に新生「ダニーボーイ」として発表したところ、そのメロディーの素晴らしさと歌詞の切ないストーリーとが相俟って、たちまち多くの人の絶賛を浴びることとなったという。
ダニー・ボーイの人気の広がりの秘密…アイルランド移民

 アイルランドの主要輸出品は移民という言葉もあるぐらい、アイルランド移民は全世界に散らばっている。
 
 アイルランドは言わずと知れたカトリックの国で、ヨーロッパの西北の果てという地理的条件も重なり、厳格なローマ・カトリックが色濃く残る数少ない地域のひとつとなっている。

 イギリスの支配を受けていたアイルランドは、イギリスの国教会(プロテスタント)から厳しい宗教的迫害を受け、数多くのアイルランドのカトリック教徒が命を落とし、これらの迫害から逃れるために、数多くのアイルランド人達が新大陸を目指した

 アイルランド本国の全人口が約390万人であるのに対し、アメリカに約3,000万人、カナダに約500万人、オーストラリアに約500万人のアイルランド系の人々が住んでいるといわれ、祖国の人口をはるかに凌いでいる。

 しかし、この移民は、希望に胸ふくらます新しい門出というような前向きなものではなく、宗教的な弾圧、
1845年から1849年の数年間にわたって発生した「ジャガイモ飢饉」(The Great Famine)による深刻な食料不足、イギリスの圧制などに苦しむ人々が、「これ以上この国にいては生き続けることができない」という切実な想いから、やむを得ず行なうものだった。

 そして、アメリカでは、メキシコ戦争が終結してから間もない1848年の初め、獲得したばかりのカリフォルニアで金鉱が発見されることで、ゴールドラッシュの時代がやって来る。

 アメリカ国内では、誰もが一攫千金を夢見てはるばる西部へと荒野を幌馬車隊で長旅を続けることになるが、何もアメリカのみならず、アイルランドを含めた世界中の人々がこの黄金獲得を目論んでアメリカ新大陸へと移住していったのだ。

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 映画「タイタニック」(1997年)で、レオナルド・ディカプリオ(現在48歳、写真)は、アメリカに新天地を求める貧しいアイルランド青年役を演じた。なお、彼はアイルランド系ではない。

 アメリカ大統領・ジョン・F・ケネディロナルド・レーガンビル・クリントンもアイルランド系。「西部劇の神様」ジョン・フォード監督もアイルランド系で、ジョン・ウェインを多用した理由は、彼もまたアイルランド系だったからだと言われている。

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 そのほか、ハリソン・フォードクリント・イースト・ウッドグレース・ケリートム・クルースラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

 こちらは移民ではないが、最近ではゴルフのローリー・マキロイ(28歳、写真)も北アイルランド出身だ。
ダニーボーイの歌

 それでは、曲をいくつか。

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若いころ、シル・オースティン(2001年、71歳で没、写真)の演奏するこの「ダニーボーイ」が大好きだった。後半の盛り上がりが凄い。

 彼は、米国フロリダ州ダネロン生まれのアフリカ系米国人。テナー・サックス奏者(ジャズ・ブルース・R&B)、バンドリーダーとして活動した。


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ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)は、アイルランド出身の女性で構成される4人組の音楽グループ(過去には5人組、6人組の時代もあり)。結成後、ツアーやスケジュール等によりメンバーが変遷している。
現在は次の通り。タラ・マクニールスーザン・マクファーデンマレード・カーリンイーハ・マクマホン(写真)


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キリ・ジャネット・テ・カナワ(現在73歳、写真)は、ニュージーランド・ギズボーン生まれのオペラ歌手、声楽家。ヨーロッパ人とマオリ族の血を引いているが、生みの親は不明である。ごく幼いころにアイルランド人のネルとマオリのトーマス・テ・カナワ夫妻の養女となる。

 オークランドのセント・メアリーズ・カレッジにてオペラ指導者のデイム・シスターメアリー・レオの指導を受ける。メゾソプラノ歌手として活動を始め、その後、ソプラノ歌手へ転身する。男性でいう勲位(ナイト)の女性版である大英帝国勲章(デイム・コマンダー)を授けられ、ニュージーランド勲章、オーストラリア勲章も授与されている。2006年にヴィクトリア大学ウェリントンより名誉博士号(音楽学)を授与されている。2004年にサミュエル・バーバーの歌劇『ヴァネッサ』を最後にオペラ歌手を引退する。オペラ歌手引退後も引き続きイギリスを中心に、リサイタル、コンサートへ出演をしている。オペラのほか、オーケストラとの共演、収録CDを多数発表している。



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アンディ・ウィリアムス(2012年、84歳で没、写真)は、我々団塊の世代では、NBCで1962年から9年間、自らの名前を冠した音楽バラエティ番組『アンディ・ウィリアムス・ショー(日本ではNHK、1966年~1969年)でおなじみの歌手だ。


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ジャッキー・エヴァンコ(現在17歳、写真)は、アメリカ・ピッツバーグ出身の歌手。クラシカル・クロスオーバーの分野で活動している。
  
 2009年1月にラスベガスで開催されたタレント大会で優勝。その後音楽プロデューサーであるデヴィッド・フォスターにより歌手デビュー。同年のナショナル・クリスマス・ツリー点灯式の際にはバラク・オバマ大統領と共演した。

 2010年放送のアメリカズ・ゴット・タレントでは決勝まで勝ち進み、決勝ではアヴェ・マリアを歌い、準優勝。

 2011年10月来日し、日本テレビ「行列のできる法律相談所」(12月4日放送)、「スッキリ!!」(2012年1月11日放送)に出演し、「天使の歌声」を披露した。

 2017年1月20日に行われたドナルド・トランプのアメリカ合衆国大統領就任式において、国歌斉唱を行った。





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