相撲人気が高まっている。大相撲の前売り券は稀勢の里が新横綱として迎えた今年春場所から2場所続けて即日完売。特に夏場所では、ネットなどで先行販売した前売り券が想定外の売れ行きとなり、窓口に並んだファンが購入できない事態となった。今年の秋場所(9月10日初日)の前売り券について東京・国技館の窓口販売を中止すると発表した。
横綱・白鵬(32歳)も6ヶ月ぶりの優勝の話題があったが、どちらかというとそっちのけだった。
▼日本人力士への期待
その理由は、ひとえに外国人力士より、日本人力士に頑張って欲しいという多くの国民の声が後押ししている。
相撲は国技と呼ばれ、1,500年ぐらい前に、五穀豊穣を祈るために行われる日本の神道儀式に由来する神事である。
御茶屋、年寄株、親方、給与、ちゃんこ番、付け人などの制度も、外国人にとっては理解しにくい世界であることには間違いはない。今や、日本人にとっても世間離れしすぎている。
ところが、外国人力士のウェイトが高まっている。相撲協会はあわてて、一部屋一人までとし、部屋数が54あるので、最大限で54人までと制限したが、極めて日本的な相撲を外国人にジャックされた思いを持っている日本人は多い。
19年ぶりの日本人横綱誕生と、日本人大関の誕生に沸く気持ちは分からないでもない。。
▼外国人力士の活躍
●稀勢の里が横綱になるまで、3人はモンゴル出身だった。今年の春場所の時点で、621人の現役力士のうち、23人がモンゴル出身だという。横綱は白鵬、日馬富士、鶴竜、大関は照ノ富士、関脇は玉鷲、関取だけで12人、その下に11人のモンゴル人力士がいる。
●モンゴルに比べ、中国、韓国出身の力士は少ない。中国出身の現役力士は蒼国来(前頭)のみ。韓国は現役力士はいない。
●稀勢の里の前に最後に横綱になった日本人力士は、若貴フィーバーで大相撲を盛り上げた兄弟のお兄ちゃん、元横綱・若乃花(花田虎上)、最後に横綱だった日本人は、その弟の元横綱・貴乃花、現貴乃花親方だった。
初のアメリカ人力士で「ジェシー」の愛称で親しまれた元関脇・高見山(高見山大五郎、72歳、写真)は東関親方としても活動した。
図で表わすと次のようになる。相撲はこんなに、国際的なのだ。
▼競技人口の減少
何となく想像はついていたが、相撲の競技人口は少ないし、減少を続けている。
「わんぱく相撲全国大会」が始まったのは1985年からだった。(写真)
下図の通り、高校生の相撲部員は2015年には2003年に比べ3割も減っている。この調査によると、一番多い部員はサッカーで178,576人なので、何とその0.5%、高校生1万人当たりで見ると、3人弱という少なさだ。(「国技の未来」参照)
▼相撲取りの志望が少ない理由
相撲がなぜ嫌われるのかといえば、太ることと、裸になることだろう。相撲取りになるためには、身長が173㎝以上、体重が75㎏以上という条件が必要だ。
今、そっぽ型の代表とされる石浦(27歳)が173㎝、115g、宇良(24歳)は174㎝、127㎏というから、体重よりも身長の方が基準ぎりぎりだ。
体重階級制がない以上、体重の重い方が一般的に有利である。そのために無理をして食べる。それが健康にいいとは思えない。
1980年から2002年までに亡くなった幕内経験力士100人の死亡時の平均年齢は63.6歳と一般の平均寿命と比べるとかなり短命という資料(医師のみとめる『食』の治癒力:お相撲さん!?)もある。
裸になるのも、今どきの若者は苦手だ。
▼相撲取りは高収入
少子高齢化が進み、旧態依然たる徒弟制度の中で、日本人が少なくなった大相撲を支えてきたのは外国人力士だった。
慣れない生活や日本独特のしきたりの中で外人力士はよく耐えたと思う。
相撲以外のスポーツで外人選手は「助っ人」と呼ばれ、定住したり、ましてや帰化する人は滅多にいなかった。
相撲では、ガイジンと言えども日本語が喋れない力士はいない。親方制度で帰化しないと認めないという制度があるからとは言えども、相撲取りで帰化する外人は後を絶たない。
お金だけというつもりはないが、相撲取りで幕内以上になれば、母国では考えられないほどの高収入を得ることができるというのは、その大きな理由になるだろう。
給金というが幕内の収入は右表の通り。
しかし、プラスαが大きいのがこの世界の特長だ。
●まずは金星。前頭が横綱を倒したときの報奨金だが、これは一人に付き年間24万円、引退するまでずっともらえる。
その他、タニマチとかいろいろ副収入があるようだ。
▼スポーツの国際化
安のインタビューで、お母さんが出ていた。御嶽海のことは前から知っていたが、二人ともお母さんがフイリピン人で、彼らはハーフだった。
最近は特にアスリートにハーフが多い。
卓球、陸上競技、野球、バレーボール、柔道…。では、日本は国際化してきたのだろうか。
昔からハーフはいじめられてきた。特に戦後早々は「あいのこ」と呼ばれ、迫害されてきた人も多いだろう。
力道山(1963年、39歳で没、写真)はみんな日本人だと思っていた。日本人が、あの戦争に勝ったアメリカのプロレスラーをバッタバッタとやっつける姿に国民は溜飲をさげていたのだ。
北朝鮮出身と分かっていたらあんなに爆発的な人気が出ただろうか。
相撲の世界にもあった。
日本の高度成長期、「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた大横綱・大鵬幸喜(2013年、72歳で没、写真)もウクライナ人のハーフだった。
ただし、王貞治(77歳、写真)に対する日本人の感情は違っていた。
もっとも、力道山や大鵬とは違い、出自は現役時代から分かっていた。そのせいではないだろうが、大鵬は没後(2013年)だったが、王は第一回(1977年)に国民栄誉賞を受賞した。
両国国技館に大相撲観戦に出かけると、外国人観客の多さに驚く。
大相撲興行中、力士が頻繁に行き交う両国界隈は、江戸情緒を感じさせる貴重な観光資源であるが、彼らにとって最も関心が高いのは、「生きているサムライ」、力士である。常時、和服・髷で過ごす日本人は、もはや彼らくらいしか残っていないのだ。
彼らはアスリートであるとともに、日本文化を体現する観光資源そのものなのである。
大相撲は、人事や経理の不透明さ(これはこれで重要なことだが)を除けば、外国に媚びて仕組みを変える必要はないのかもしれない。