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自動車とバイクの歌【その2】(交通戦争)

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 前作で「1960年までの自動車とバイク」のことについて述べたが、紙面の都合もあり、伝えたいことを大分積み残してしまった。

 何しろ最近は集中力に欠け休み休みなので、ブログを作成するのにも時間がかかり、そのせいか、途中まで仕上げたのにみんなダメにして、やり直しをしなければならないケースが増えている。

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 それで、前作では一旦「非公開」にして、ちびりちびり「決定ボタン」を押してバックアップをしながら作成した。

 やり方としては、右図の上にある、「日時指定」を使う手もあるのだが、何か急用があり、ブログの完成が指定した日時に間に合わない可能性もあり、あまり使わないようにしている。
 
 ただし、こういうやり方だと、ブログが完成し、最終的にUPしたとき、そのことを読者に知らせることが出来ないのではないだろうか。こんなとき、自分のブログがどういう状態になっているのか、読者のスタンスで見ることが出来ないのがこのブログの欠点だ。

交通戦争

 運転が怖いのは、「貰い事故」で、自分に非が無くても被害者や加害者になることが起こりうるということだ。

 思い起こせば、半世紀も前のことになるが、高度成長時代の1970年には交通事故死者数は1万6,765人とピークを迎え、日清戦争での日本側の戦死者(2年間で1万7,282人)に近づいたため、この状況は一種の「戦争状態」であるとされ、「交通戦争」と呼ばれるほどの社会問題になっていた。
 

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 警察庁は2017年1月4日付で、2016年における全国の交通事故死者(事故発生から24時間以内に死亡)の数が3,904人に達したこと、前年2015年の4,117人と比較すると5.2%減少したことを発表した。交通事故死者数は過去最悪だった「第一次交通戦争」と呼ばれている1970年の値、1万6,765人の1/4足らずにまで減少している

 この劇的な交通事故死の減少はいくつも理由が挙げられるが、エアバッグ、アンチロック・ブレーキ・システムの普及、衝突安全ボディーの進化など、車の安全性能の向上を見逃すことは出来ない。これにより、自動車乗車中の死者が激減し、2008年以降は歩行者の死者を下回ることになる。
 交通戦争がピークに達したころ、こんな歌が流行っていた。

 これは交通事故だけではなく、当時多発していた左翼過激派の内ゲバ殺人や、ストライキについても批判していた。

左卜全とひまわりキティーズ/老人と子供のポルカ(1970年)


有名人の交通事故死

ジェームス・ディーンの事故死

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 映画史に名を残す伝説のヒーロー、ジェームス・ディーン(写真)がこの世を去ったのは1955年の9月30日。

 まだ24歳の若さ。映画『エデンの東』(下映像)『理由なき反抗』で一躍人気を博し、スターの座に居たのは、わずか1年だった。

 若者の鬱屈を表現して青春スターの座に躍り出るが、映画『ジャイアンツ』を撮り終えた1週間後に、事故で帰らぬ人となった。

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 無類のクルマ好きだったディーンは、サリナスで行われるレースに出場するためにロサンゼルスから41号線を飛ばしていた。買ったばかりのポルシェ550スパイダー(写真)である。

 途中スピード違反で捕まっていた後も全開で飛ばしていた彼は、目的地近くのY字路で対向車と正面衝突し、即死した。
映画「エデンの東」同名主題曲(1955)


福澤幸雄(福澤諭吉の曾孫)の事故死

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"アイドル"という言葉自体が、社会的に認知されたのは、天地真理小柳ルミ子南沙織らが揃ってデビューした1971年だが、これ以前の小川知子(当時20歳、現在68歳、写真伊東ゆかり奥村チヨ"元祖アイドル"とする見方もあるそうだ。(竹内義和著 『清純少女歌手の研究』 1987年 青心社)

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 1969年2月12日、福澤幸雄(当時25歳)は、静岡県袋井市のヤマハテストコースで、トヨタのレーシングカー、トヨタ・7(写真)のテスト走行中に起きた事故により、この世を去った。

 当時の恋人だった歌手小川知子が、同年2月24日放送のフジテレビジョン系列の歌謡番組「夜のヒットスタジオ」「初恋のひと」を歌いながら泣き崩れた事件はテレビ界に衝撃を与え、伝説化した

 自分もそのときのテレビを見ていたひとりだった。

小川知子/初恋のひと(1969年)


大場政夫の事故死

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 WBA世界フライ級チャンピオン・大場政夫(23歳で没、写真)が亡くなったのは1973年1月23日。

 「ボクシング界最強のチャンピオン」と称えられ、その若すぎる死に日本中が悲しんだ。

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 この事故の3週間前の1月2日に、自身の持つタイトルの5度目の防衛に成功しており、生涯戦績:38戦35勝(16KO)2敗1分。チャンピオン在位中に亡くなったので「永遠のチャンプ」と後世に語り継がれている。

 
愛車シボレー・コルベット(写真)を運転中、首都高速5号池袋線・大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越えて反対車線に出たところで大型トラックと正面衝突し即死した。
いまだに記憶に残る痛ましい交通事故死

 もう10年前の話だが、交通事故の悲惨な例として、いまだに次の2つの事件を覚えておられる方も多いだろう。いずれも痛ましい、可愛い盛りのお子さんの死だった。

福岡海の中道大橋飲酒運転事故(2006年)

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 福岡市東区の海の中道大橋で、当時33歳の会社員・その29歳の妻・3児の家族5人が乗っていた乗用車に、飲酒運転をしていた当時22歳の福岡市職員の男性の乗用車が追突し車は博多湾に転落、4歳の長男・3歳の次男・1歳の長女写真)が水死した。

 福岡には自分も住んでいて、よく家族で「海の中道海浜公園」に遊びに行っていて、他人ごととは思えない事故だった。

 この事件は加害者が市職員であったことから大きな反響を呼び、道路交通法改正により、飲酒運転とひき逃げの罰則が強化された。

風見しんごさんの長女えみるちゃんの交通事故死(2007年)

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 風見しんごさん(現在54歳、写真)の長女・えみるちゃん(当時10歳で小学5年生)が東京都世田谷区で通学途中、2トントラックにはねられ、病院に搬送されたが死亡した事件も痛ましかった。

 彼は子煩悩で、「えみるが10歳になったから、一緒にダイビングをやるのが楽しみだ。20歳になったら一緒に飲みたい」と語っていたそうだ。

 長女亡き後は、交通事故死亡者をなくすために、各地で交通事故や命の大切さについてを語った講演と、警察等が主催する交通安全関連のイベントや啓蒙活動への参加を盛んに行い、長女の一周忌に当たる2008年1月には、長女や交通事故に対しての思いを綴った本「えみるの赤いランドセル」を出版した。

 事故を起こしたトラックが、大企業の配送車で、社名が分かるため、報道の際映像に映らなかったという疑惑もあったようだ。
 今でも、飲酒運転や、スマホを見ながらのわき見運転などによる事故が後を絶たない。

 加害者は、これで「一生を棒に振る」可能性があることを忘れないで欲しいものだ。



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