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自動車とバイクの歌【その3】(車のCM曲)

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 今回はクルマのCM特集をしようと思うが、せっかくクルマの特集を続けているからには、少し勉強もしなければと思い、下表の通り国産車の主要機種について年表を作ってみた。

 すでにお分かりのように、車のことに詳しくないので、機種の選定などに問題があるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 昨年度の国内の自動車メーカーの売上ランキングはの通り。

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<年表>
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 元々は大きなサイズで作ったのだが、縮小されて、何が何だか分からない。興味ある方は、拡大して見てください。すいません。

 この表を作り改めて分かったこと。特に日産自動車が顕著だが、1960年代に人気車種が集中して発売されていることだ。

スカイライン神話

 グラフを見ると、今は倍以上の差がついているが、その昔、確かトヨタとニッサンの売上は肉薄していたはずだ。「技術の日産」と呼ばれ、これから言及するスカイラインを始め、個性的な車が多く、人気はトヨタを上回っているほどだったと記憶している。

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 私見では、当時「天皇」と呼ばれた塩路一郎委員長(2013年、86歳で没、写真)率いる労働組合と会社の関係がうまくいかなかったことに尽きると思っている。要は、会社が労務対策に失敗したということだ.


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 そのスカイライン(写真)は、1957年4月24日に誕生した。初代スカイラインは、クラス最高出力の60psエンジンを搭載。当時の国産車としては最速の最高速125km/hを誇った。現行の13代目スカイラインも、日本を代表するモデルとして、ドライバーの心を高揚させるという志を受け継いでいる。車名は読んで字のごとく、「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。

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 2007年3月21日、今は伝説の人になった名付け親の桜井眞一郎氏(2011年、87歳で没、写真右)がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレート(写真左)が設置された。


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 いまだに「スカイライン神話」という成功秘話が懐かしく語られ、写真のような「スカイライン物語」という本が発売されている。

 今年は誕生から60周年を迎え、記念行事が行われた。なお、GT系は愛称として「スカG」(スカジー)と呼ばれることも多い。
 スカイラインのCMは有名な曲が多い。

山下達郎によるCM曲

 山下達郎「ターナーの機車」「悲しみのJODY」「SOUTH BOUND No.9」と、スカイラインのCM曲を数多く発表している。

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 「悲しみのJODY」 (She Was Crying)  は、アルバム『MELODIES』(1983年)の中の一曲。

 後に、1993年に発売した「9代目スカイライン」(R33、写真)のCMに使われ、キャッチフレーズは「走りの向こうに、ロマンがある」だった。


山下達郎/ターナーの汽罐車1991年)


極めつけは男性フォークデュオ・BUZZのこの曲


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 1972年に登場した「4代目C110系日産スカイライン(写真)

 総計64万台と、歴代のスカイラインシリーズでも最大のヒットを記録した。

 「ケンとメリーのスカイライン」という広告のキャッチフレーズから、“ケンメリ”と称される。

 そのCMは、キャッチフレーズの通り、ケンとメリーを演じる若いカップルが主役。スカイラインに乗る彼らが四季折々に見知らぬ土地を訪ねたり、遊びに興じたり、時に物思いにふけったりする姿を追った映像のバックに、男性フォーク・デュオのBUZZ(バズ)が歌う叙情的なメロディーが流れていた。

 彼らは同CMソングに起用された「ケンとメリー~愛と風のように~」でレコードデビュー。オリコンチャート19位まで昇るヒットとなり、33万枚を売り上げた。

BUZZ /ケンとメリー~愛と風のように~(1972年)


タイアップソング(の苦難)

小沢健二/カローラIIにのって

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 小沢健二「カローラIIにのって」(1995年)は、トヨタ「カローラII」(写真)のCMソングとして、前年1994年からオンエアされていた楽曲。曲のタイトルは、その「カローラII」にちなむ。

 当初CDは全国の販売店向けに5,000枚をプレスしたのみで、市販する予定はなかった。しかしCMが人気となったため市販に踏み切った。市販用CDは80万枚以上を売り上げた。

 なお、車種名が題名にまで出て来るため、NHKの歌番組で歌うことは出来ない。

小沢健二/カローラIIにのって(1995年)


山口百恵 /プレイバックPart2

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 山口百恵プレイバックPart2」(1978年)は、夫婦コンビ阿木燿子:作詞、宇崎竜童:作曲で、「赤い衝撃」以来となる50万枚以上のセールスを記録した。

 歌詞に登場する「真っ赤なポルシェ」という歌詞のため、NHKの歌番組では「真っ赤なクルマ」一部改変して歌ったようだ

 なお、真っ赤なポルシェの型式に関しては、様々な見解があり、現在でも確定していない。

山口百恵 /プレイバックPart2(1978年)


岩崎宏美/万華鏡

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 岩崎宏美「万華鏡」(1979年)は、富士重工業(現・SUBARU)2代目(前期型)「スバル・レオーネ」(写真)のCMソングだった。

 そのため、当時ダイハツ工業が主要スポンサーとして名を連ねていたフジテレビの『夜のヒットスタジオ』では、この曲が発売されている期間は出演を見合わせたという。

岩崎宏美/万華鏡(1979年)


しばたはつみ/マイ・ラグジュアリー・ナイト

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 しばたはつみ(2010年、57歳で没)の「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(1977年)は、タイアップ曲の一つで、マツダ・コスモのCM曲。シングル盤のレコードジャケットにもコスモが写っている。(写真)

 オリコンチャート17位のヒットとなり、同年、第28回NHK紅白歌合戦に初出場した。

 また、サウンド・イン"S"(TBS)ではサブ司会としてレギュラー出演するなど、ジャズ歌手として活躍していた。

しばたはつみ/マイ・ラグジュアリー・ナイト(1977年)


PUFFY/サーキットの娘

 PUFFY(パフィー)は、日本の女性ボーカルデュオ。メンバーは大貫亜美吉村由美。1996年に奥田民生プロデュースのシングル「アジアの純真」でデビュー。力の抜けた自然体のスタイル、親しみやすいキャラクター、ハイクオリティな楽曲が特徴。

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 「サーキットの娘」(1997年)は、池沢さとしの漫画サーキットの狼』(写真)のパロディ。タイトルにちなんでレースクイーンがテーマとなっている。

 漫画は、愛車ロータス・ヨーロッパを駆る主人公の風吹裕矢が、一匹狼の走り屋から始まり公道やサーキットを舞台にライバル達との競争を繰り広げ、プロレーサーへと成長していく物語である。

 ライバルとしてポルシェやフェラーリ、ランボルギーニ、マセラティ、日産・フェアレディZ、シボレー・コルベット、トヨタ・2000GTなど、世界中の著名なスポーツカーが多数、劇中に登場。いわゆるスーパーカーブームの火付け役となった。単行本の発行部数は1977年時点で1,100万部を突破し、累計では1,700万部を記録している。

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 この曲はヤマハのスクーター「Vino」(写真)のCMソングに使用され、CDジャケットイラストでも二人はVinoに跨っている。ビーノ(Vino)とは、イタリア語でワインを意味する。

 なお、PUFFYは、デビューから13枚目の「あたらしい日々」まで、全てタイアップ付のシングルレコードだった。
 
PUFFY/サーキットの娘(1997年)


思い出のCM

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「星影の小径」(1950年)は、小畑実の歌唱で発売された歌謡曲である。

 後に多数の歌手によってカバーされたが、ちあきなおみによってカバーされたものが、幾つかのCMに起用され、1992年のアウディ(写真)のCMも話題を呼んだ。

ちあきなおみ/星影の小径(1992年)
 

この素晴らしき世界」(What a Wonderful World、1968年)は、「サッチモ」こと、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の楽曲。作詞・作曲はG・ダグラス(音楽プロデューサーのボブ・シールのペンネーム)と、ジョージ・デヴィッド・ワイス原曲は『きらきら星』である。

 作詞したボブ・シールームベトナム戦争」を嘆き、平和な世界を夢見てこの曲を書いたという。

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 「♪緑の木々が見える 赤いバラも 君と僕のために咲いているんだ なんて素晴らしい世界なんだろう 真っ青な空や白い雲が見える 輝かしい祝福の昼 そして暗く神聖な夜 心から思うよ なんて素晴らしい世界なんだろう 」と歌う。

 1996年に3代目ホンダ・シビック(写真)のCMとして起用され、日本でシングルにリリースされ、大人気となった。

ルイ・アームストロング/この素晴らしき世界(1968年)







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