●クルマに関する自分史
クルマのことについては元々あまり関心が無かったのに加え、学生時代、地元で通った自動車教習所(写真)では何度か仮免許に失敗し、一時はもう永遠に運転免許が取れないのではないかと思うほど運転のへたくそさを痛感したので、車に対する興味を失っていた。
会社に入ってからもそれは続き、いわゆる「ペーパードライバー」だった。それが、入社3年後に突然「営業」への異動命令。
この機会に会社を辞めようかと思うほど悩んだのは、「運転がしたくないから」という理由もあった。
案の定、配属されてから運転に関するトラブルは数知れず。おまけに根っからの「方向音痴」がさらに惨禍を広げた。
42歳になり、地方の営業から本社の営業スタッフに異動となった。単身赴任だったので経済的な理由もあるが、この機会に車から解放されたいという気持ちが働き、車を手放した。
以来、もう25年にもなるが、ほとんどクルマの運転をしていない。
交通が不便な地方に住んでいる人にとっては歳をとっても車が手放せないというジレンマがあるだろうが、最近の逆走など、老人による運転ミスの多発を見るにつけ、運転しない理由付けがしやすくなり、ほっとしている。
以前、ある著名人が若さを保つ秘訣として「運転をしないこと」を挙げていたのが心に焼き付いている。自分はそれが当てはまる。運転のため神経がすり減っていたし、地方は交通が不便でクルマが欠かせなかったが、それで運動不足に陥り、一気に体重が増えてしまった。
●クルマの将来
ところで、1769年に蒸気式自動車の発明に始まり、1886年、ダイムラー・ベンツがガソリン式の3輪自動車を開発して以降130年が経過したが、クルマの将来はどうなるのだろうか。
3つポイントがある。
1.AI(人工知能)の進歩により「自動運転」が、もうすぐ実用段階に入りそうだ。
3.車はもっと軽量化、低燃費化し、値段も安くなるだろう。これは車の新素材の開発、燃料電池など新電源の実用化など。ワイヤーハーネスは将来無くなるかもしれない。
1960年代、クルマは若者のステイタスで、車に絡んだ音楽も多かった。
●ホットロッド
「ホットロッド」(Hot rod)とは、アメリカで1930年代に生まれた、カスタムカーのジャンルである。
今でも、当時発売されたフォード・モデルを使い、ボンネット、ガラス、屋根、バンパーなどを取り除いたり、チョップドトップを行い、ボディーの軽量化を行う例が多い。
◆「リトル・デュース・クーペ」(Little Deuce Coupe、写真)は、1963年にリリースされたザ・ビーチ・ボーイズの、ホット・ロッドをテーマとしたコンピレーション・アルバム。
「リトル・デュース・クーペ」(いかしたクーペ) は、1932年製のフォード・クーペ(写真)を意味する。
このフォード・クーペはホット・ロッドの決定版で、フラットヘッドV8エンジンの搭載を特色とした。本車は比較的安価であり、単純かつ信頼性のある設計で、容易に改造できた。
旧車ファンを魅了する映画「アメリカン・グラフィティ」(1973年、監督:ジョージ・ルーカス、写真)にも登場し、元SMAPの草剛も「フォード B型/1932年式」を持っているそうだ。
(Wikipedia 参照)
ザ・ビーチ・ボーイズ/いかしたクーペ(1963年)
この曲はホンダの小型オートバイと、その操作性を賞賛する内容で、特にホンダ・スーパーカブ(写真)のことが取り上げられている。ホンデルズ(The Hondells) によってカバーされ、これもヒットした。
ザ・ビーチ・ボーイズ/リトル・ホンダ(1964年)
◆日本でも、橋幸夫のリズム歌謡の第2作として、ホットロッド、「ゼッケンNO.1スタートだ」(1964年)が発売された。
作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正。ちなみに第1作の『恋をするなら』はサーフィン。なお橋は、翌年にも『あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)』などを発表し、一連のリズム歌謡で、第7回日本レコード大賞企画賞を獲得している。
橋幸夫/ゼッケンNO.1スタートだ(1964年)
●映画「イージー・ライダー」
音楽は全米2位となったステッペンウルフの「Born To Be Wild(ワイルドでいこう!)」。当初エンディングにはボブ・ディランの「イッツ・オールライト・マ」が使われていたが、最終的にはザ・バーズの「イージー・ライダーのバラード」に落ち着いた。
フレームは当時としては斬新なフルメッキを施しており、リジッドでサスペンションが無い。ワイアットが乗っているチョッパーは、前輪ブレーキが装備されていない。(Wikipedia 参照)
ステッペンウルフ/ワイルドでいこう(1969年)
●エキゾーストノート
1963年にハイスクールの同級生だったベティとメアリーのウェイス姉妹、メリーアンとマージのガンザー姉妹(双子)の4人により結成した。1960年代のガールズ・ポップス・グループの中でもカルトな人気が高い。
プロデューサーのシャドー・モートンによる当時の他のガール・グループとは違う不良っぽさとワイルドさを全面に押し出し成功を収めた。歌の内容も思春期の孤独、疎外感、死や憤り、ワル(不良)をテーマにした陰影のある曲を出していた。(Wikipedia 参照)
メンバーは4人であったにもかかわらずベティが極度の舞台恐怖症であったがために3人で写真やコンサートを行わざるを得なかった。メンバーが通常3人と思われているのはそのためである。 この曲の中にバイクの排気音が流れる場面があるが、果たしてあなたにとっては「エキゾーストノート」でしょうか、「エキゾーストノイズ」でしょうか?
シャングリラス/リーダー・オブ・ザ・パック(黒いブーツでぶっ飛ばせ)
最後は、小林旭(現在78歳)の「自動車ショー歌」だが、歌っている車種は次の通り。
1番:(トヨ)ペット → ニッサン → パッカード → シボレー → クラウン → ジャガー → フォード → シトロエン(後にコロナに変更)
2番:ビュイック → タウナス → デボネア → マーキュリー → ルノー → オペル → コルト
3番:ブルーバード → ミンクス → キャロル → ダットサン → コンテッサ → マツダ → オースチン
4番:ベンツ → グロリア → ベレット → ヒルマン → クライスラー → リンカーン → ワーゲン → セドリック
小林旭/自動車ショー歌(1964年)