拙ブログ、こもれび(木漏れ日)(5/8)で、家の近くの「木もれびの森」(写真)を紹介したところだが、最近の研究成果により、「森林浴」には、「森林セラピー」という言葉があるように、精神的に快適ということだけでなく、科学的な効能として心身の改善効果をもたらすことが証明されてきているようだ。
●森林浴の効用
元々、科学的な効能としては、樹木が発散するフィトンチッド(phytoncide)と呼ばれる物質が作用していることはよく知られていた。フィトンチッドとは、微生物の活動を抑制する作用をもつ、樹木などが発散する化学物質。植物が傷つけられた際に放出し、殺菌力を持つ揮発性物質のことを指す。
近年では、脳波測定・反応速度・唾液中ストレスホルモンの濃度・心拍の変動・心理的調査などを用いたリラックス効果などの定量化が試みられており、森林浴が人間に与える影響の科学的根拠が示されるようになったという。(Wikipedia 参照)
なお、森林浴に最も適した条件というのがあり、それは植物の光合成が活発になり、フィトンチッドの発散も多い「晴れた日の午前10~11時」だという。
●この夏、お薦めの日本の森
もう大分前の記事になるが、朝日新聞の2010年7月24日号beに、識者の投票による「この夏、お薦めの日本の森」という特集があった。
ベスト3は1位:綾渓谷(宮崎県) 2位:屋久島(鹿児島県) 3位:白神大地(青森県)だった。
いずれも世界遺産に選ばれている、日本を代表する森である。
ブナが教えてくれた森を守る大切さ(写真は奥赤石のブナ原生林)
森林は、森全体が巨大な天然ダムになり森から流れ出た清流は大地をうるおし、海に流れて豊かな漁場を生み出している。また森林は炭酸ガスを吸収し酸素を供給してくれている。
8000年を生き抜いたブナ(橅)、木へんに無と書いて「何の役にもたたない木」とされてきたが、森林を守る大切さを、私たちに教えてくれている。
世界の森林は陸地面積の26.9%(1995年現在)、日本の場合は国土のほぼ70%が森林に覆われている。この恵まれた森林を後世に残していくことが、今に生きる私たちに課せられたことといえる。
吉幾三/岩木川 【白神の枯葉乗せたる】
◆「日本最大のパワースポット」と呼ばれる屋久島は、宮崎駿監督制作の映画「もものけ姫」(1997年、写真)の舞台のモデルにもなった。
屋久島トレッキングを満喫♪によると、
映画の制作にあたり、宮崎駿監督がイメージを膨らませ、舞台のモデルになった白谷雲水峡(写真)は奥深い森。切り株の上で、岩の陰で、森の精霊“木魂”がカタカタと首を震わすシーンを思い起こさせる幽玄な場所。
ここへ行くには、宮之浦よりバス・車の便もよく、弥生杉・太鼓岩・もののけ姫の森などの人気スポットを1~6時間程で歩く遊歩道・周回コースが整備されているので、誰もが気軽にハイキング気分で楽しめるという。
ところが、白谷雲水峡では協力金を徴収することが「営利目的での名称使用は認めない」というスタジオジブリの主張に沿わず、現在は「苔むす森」という名に改称されているそうだ。
それでも、観光客を引きつける屋久島観光の目玉的な存在で、苔むす森となった今も人気は絶えず、来訪者も多数だという。
ここのサイトでは、こんな答え方をしている。
「どの季節もステキですが「5~6月・新緑~梅雨・初夏」と「11月~1月・晩秋~真冬」をおススメします」。
5月は寒くなく暑くなく、屋久島でも気候が良いことも然ることながら、カラッと晴天の日も多いベストシーズン。柔らかな木漏れ日を感じながら爽快なトレッキングが楽しめるベストシーズン。
一方、6月は梅雨。ひと月だけで東京の年間降水量の半分ほどの雨。実は静かな山・森林を悠々と独り占めできる裏ベストシーズンなんです。
◆「この夏、お薦めの日本の森」で第1位に選ばれた綾渓谷(宮崎県綾町)には、日本最大級の原生的な照葉樹林がある。
九州中央山地国定公園内、2011年10月にリニューアルした。空中散歩をしながら、雄大な「綾ユネスコエコパーク」(2012年登録)を見ることが出来る。また、吊橋の対岸には約2㎞の遊歩道があり、森林浴を楽しめる。ここは、新緑のころと、紅葉が点在する秋が見ごろだそうだ。
★交通手段
車の場合は
(1)南宮崎駅から40分。
(2)高原ICから車で60分。
公共交通機関では
南宮崎駅からバスで60分 。綾待合所からタクシーで15分。
●少し昔の「森」の曲
最近「森」という題名の曲をいくつか紹介している。戦後間もないころのこと【その6】NHKラジオ歌謡での「森の小人」(1946年)と、「森の水車」(1951年)である。いずれも戦前の曲の焼き直しという共通点がある。何か意味があるのだろうか。
森について、古いものではこんな曲がある。
◆童謡「森のくまさん」
「森のくまさん」は、アメリカ民謡を原曲とする童謡。また曲のメロディーは異なる歌詞で複数の曲に使用されている。主唱者が歌った節を伴唱者達が繰り返す「エコーソング」の典型である。
日本では、1972年8月にNHK「みんなのうた」で放送されて以来、日本中の大人から子供まで広く愛される国民的ソングとなった。その後、同じくNHKの『おかあさんといっしょ』『ワンツー・どん』『ドレミノテレビ』などでも歌われた。
この曲は、著作権の問題でもめていたようだ。替え歌をめぐる騒動について、訳詞者の馬場祥弘氏と、替え歌を歌ったお笑い芸人・パーマ大佐およびレコード会社のユニバーサルミュージックの間で今年の2月1日、合意が成立したという。 (次の映像が、パーマ大佐が歌う「森のくまさん」)
◆森の小径
「森の小径」(1940年)は灰田勝彦(1982年、71歳で没、写真)の 戦前のヒット曲。作曲者の灰田晴彦(後の灰田有紀彦)は彼の兄。
灰田勝彦は、明治政府の移民政策によって広島(現在の広島市南区)からハワイに移住し、ホノルルで生まれた。父の納骨のために帰国したが、1923年(大正12年)に関東大震災に見舞われ、その混乱で日本滞在を余儀なくされた。
1940年、当時の人気アイドルの高峰秀子と共演した千葉泰樹監督の南旺映画『秀子の応援団長』では、劇中で歌った挿入歌「燦めく星座」が高峰の歌った主題歌「青春グラウンド」を抜いて40万枚の大ヒットとなり、それまで人気があったもののマイナーな存在だった勝彦が全国的な人気スターになるきっかけとなった。
戦後の1945年、傷病兵として復員した灰田は、芸名であった勝彦の名を本名にした。人気はさらに上昇し、リバイバルヒット「新雪」「燦めく星座」をはじめ、「紫のタンゴ」「東京の屋根の下」とレコードの大ヒットが続く。
そして、「立教出身者で固めよう」と自身が企画した映画『歌う野球小僧』は、上原謙、笠置シズ子らの共演により成功し、大ヒットした主題歌「野球小僧」は野球好きな灰田のテーマソングともなった。
初期のNHK紅白歌合戦の常連大物歌手の一人でもあり、計6回出場している。第3回(1952年)と第7回(1956年)では白組のトリを務めた。
小林亜星は「日本のポップスの歴史は、戦前から戦後にかけて活躍した灰田勝彦さんにそのルーツをさかのぼる」とまで言って彼のことを評している。(Wikipedia 参照)
灰田勝彦/森の小径(1940年)
●ヨーロッパの「森」の曲
今回紹介するのは、この地図にある、ヨーロッパの曲。
◆ノルウェイの森
「ノルウェイの森」(Norwegian Wood)は、言わずと知れた、『ラバー・ソウル』に収録された、ザ・ビートルズのヒット曲(1965年)であり、万年ノーベル文学賞候補と揶揄される、村上春樹(現在68歳、写真)の上下巻1,000万部を超えるベストセラー小説(1987年)の題名でもある。
ビートルズの中で、シタール(写真)と言えば、ジョージ・ハリスンと思ってしまうが、これはレノン=マッカートニーの作。
インドの民族楽器・シタールがポップスに使われたのは、世界で初めてのことだそうだ。
小説は、2010年にトラン・アン・ユン(現在54歳、写真)の監督、主演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子により映画化された。キャッチコピーは「深く愛すること。強く生きること」。
映画は、日本を舞台としてロケーション・ハンティングし、2009年2月に撮影開始、早稲田大学、兵庫県神河町の砥峰高原(とのみねこうげん)・峰山高原、香住町の香住海岸(今子浦)、上野桜木の東叡山浄名院などで撮影された。
映画は、日本を舞台としてロケーション・ハンティングし、2009年2月に撮影開始、早稲田大学、兵庫県神河町の砥峰高原(とのみねこうげん)・峰山高原、香住町の香住海岸(今子浦)、上野桜木の東叡山浄名院などで撮影された。
砥峰高原は兵庫県神崎郡神河町にある高原。山野草の宝庫、ススキの大群生地として知られているが、『ノルウェイの森』の主要な撮影地となって以来、映画やドラマの撮影地として利用されるようになり、記念碑が立っている。(写真)
原題の「Norwegian Wood」は直訳すると、「ノルウェー製の家具」である。どうやら、日本で誤訳をしたようだ。
小説は語り手「僕」がハンブルグ空港に着陸する直前の飛行機の中でビートルズの「ノルウェイの森」を耳にするところから始まる。その曲が「僕」を一気に18年前の回想へトリップさせる。その当時は理解することのできなかった直子の姿を頭の中に描き出し、もう取り返しのつかない18年前の出来事について読者を導いていく。
映画「ノルウェイの森」(2010年)
◆ポーランド民謡/シュワ・ジェヴェチカ(森へ行きましょう)
「シュワ・ジェヴェチカ」(Szła dzieweczka)は、「若い娘が行った」(Szła dzieweczka do laseczka) という意味で、元々はポーランド・シレジア地方の民謡だった。
ヨーロッパの各地方のうちでも特に複雑な歴史を持っている、シレジア地方(図)は、現在のポーランド南西部からチェコ北東部に属する地域の歴史的名称。
経済、特に鉱工業の大中心地。特に大炭田が発見されてからはドイツ、チェコ、オーストリア、ボヘミアの争奪の対象になり悲劇が繰り返された。
日本では、うたごえ運動や歌声喫茶で定番ソングの一つだが、1955年ポーランドのワルシャワで開かれた世界青年学生平和友好祭典に参加した日本代表の一員である荒谷俊治が、日本に持ち帰り紹介、東大音感合唱団が、日本語の訳詞をつけ定着した。
その後、1961年10月から11月にNHK「みんなのうた」で初回放送され、子どもから大人まで人気のポーランド民謡として定着した。
また、「海苔を贈りましょう~大森屋~アハハ…」という、大森屋の海苔のコマーシャルに使われお馴染みの曲である。言っていいほどだそうです。
ポーランド民謡「森へ行きましょう」
◆森を歩こう
「森を歩こう」(A Walk In The Black Forest)の原題は、「シュヴァルツヴァルト( Schwarzwald)の旅行」といい、ドイツのジャズピアニストで楽団指揮者のホルスト・ヤンコフスキーが1965年に作曲・演奏して大ヒットした。
シュヴァルツヴァルトは、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州に位置する森・山地で、「黒い森」を意味する。。(図)
総面積は約5,180平方キロ。バーデン地方に属し、北はバーデン=バーデン、東はシュトゥットガルト、南はフライブルク、西はライン川の流れを挟んでフランス中東部のアルザス地方(アルザス=ロレーヌ)との国境にある。第二次世界大戦後、酸性雨の被害によって、多くのシュヴァルツヴァルトの木々が枯死したことでも有名。
この曲は日本でもヒットし、NHKのFM番組のテーマ曲に長年使われていた。
ホルスト・ヤンコフスキー/森を歩こう(1965年)
◆ウィーンの森
森とは言っても、広さは約1,000平方キロメートルに及び、実質は山である。アルプス山系の最北部分を含んでおり、アルプスからカルパティア山脈に移り変わる部分にある。最高地点は海抜893mである。
ウィーンから近いため、ウィーン人にとっての重要なレクリエーション場所ともなっている。
ヨハン・シュトラウス2世(1899年、73歳で没、写真)が「ウィーンの森の物語」を作曲したことで世界的に有名になった。
非常に人気の高い作品であり、シュトラウス2世の「十大ワルツ」のひとつとされ、その中でも特に『美しく青きドナウ』と『皇帝円舞曲』とともに「三大ワルツ」に数えられる。
ウィーンの森の物語(1868年作)