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戦後間もないころのこと【その7】子供の遊び

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 「戦後間もないころのこと」について、これまで「国民を勇気づける音楽」「敗戦から戦後へ」「当時の食糧事情と世相」「占領下の『性』の問題」「当時の職業」「NHKラジオ歌謡」と、とりとめもなく連載してきたが、その第7弾「子供の遊び」
 次の「遊び」は、ちょっと遊びの意味が違う。

禁じられた遊び

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 フランス映画「禁じられた遊び」(Jeux interdits、1952年、写真)というから、題名の先入観から、あらぬことを想像しながら見に行ったら、涙無くしては映画館を後にすることの出来ない「世界映画史上不朽の名作」だった。

 映画のバックに流れるテーマ音楽がさらに涙腺を刺激する。

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 誰もが知っている主題曲が生まれたいきさつはこうだ。

 実は撮影の予算オーバーによりオーケストラを組むことが出来ず、監督のルネ・クレマン(1996年、82歳で没、写真左)は、まだ当時若干24歳の新人のスペインのギタリスト、ナルシソ・イエペス(1997年、69歳で没、写真右)に曲を頼んだ。

 彼がギター一本で演奏した映画の主題曲「愛のロマンス」(Romance de Amor)は予想外の大ヒット、一躍世界的に有名な音楽家になったのだ。

ナルシソ・イエペス/映画「禁じられた遊び」より愛のロマンス(1952年)


子供は風の子

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 子供の頃は、勉強より何よりも「遊び」が生活の中心だった。戦後間もないころはみんな貧しかったが「子供は風の子」(画像)で元気一杯だった。

 なにしろ、当時は道に車が走っていない。さらに、食べるものが少ない
ので、ほとんど瓶や缶の破片が落ちていない。心配なのは「釘」ぐらいだ。道路」は子供にとって格好の遊び場であった。

夕焼け小焼け(1923年作)


 こんな曲がどこかで流れていたが、すっかり日が暮れ、外が暗くなっても夕ご飯を忘れるほど遊んでいた。母が心配して迎えに来ることもしばしばだった。

当時の生活用品

 突然だが、ふと思いついて、戦後の10年ぐらいの間に使ったり、関係のあった生活用品にしてみた。

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 もちろん、全て覚えている。

 今から比べると格段の差がある不便な生活。母親の仕事は想像もつかないほど大変だった。おまけに子だくさん、生活費も少ない中でのやりくり。

 そんな苦労はつゆ知らず、お構いなしに、文句ばかり言い、遊びまわっていたのだ。
子供の頃の遊び(今回は空に舞い上がる遊びのみを)

紙飛行機

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 最近では珍しく、気に入った曲がある。子どもの頃よく作って遊んだ「紙飛行機」(写真)についての歌だ。

 連続テレビ小説としては今世紀最高の視聴率を記録した『あさが来た(2015年度下半期)の主題歌、「365日の紙飛行機」(2015年)について、2016年1月29日にAKB48が出演した『ミュージックステーション』で、司会のタモリが「普通の人はパッとあれだけ聴いたら(彼女たちの曲だと)分からないよ」と評しているのは納得できる。センターポジションは初めて山本彩が務めた。

 歌詞も素敵だ。

 「♪人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ 風の中を力の限り ただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番大切なんだ さあ 心のままに 365日」

 「♪星はいくつ見えるか 何も見えない夜か 元気が出ない そんな時は 誰かと話そう 人は思うよりも 一人ぼっちじゃないんだ すぐそばのやさしさに 気づかずにいる」と歌う。

AKB48/365日の紙飛行機 (2015年)


竹とんぼ

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 テレビ朝日系列で1988年から2005年(18年間)もの長きに渡って放映された、警視庁山手中央警察署刑事課(強行犯係主任)の「安さん」こと、藤田まこと(2010年、76歳で没、写真)が演じる「はぐれ刑事純情派」

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 このシリーズで「連続年主題歌記録」としてギネスブックにも認定された主題曲を歌う、「べーやん」こと、堀内孝雄(現在67歳、写真)は、1981年「アリス」解散の7年後、1988年「ガキの頃のように」がその主題歌に採用されて以来、最終シリーズまでの全18回を全て担当し、彼の代表作となった。また、この番組に度々ゲスト出演をしていた。

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 その、作詞:荒木とよひさ(現在73歳、写真)、作曲:堀内孝雄のコンビは、ここで紹介する第十一シリーズの主題歌「竹とんぼ」(1998年)の他、第一シリーズ「ガキの頃のように」(1988年)、 第三シリーズの「恋唄綴り(1990年)、第六シリーズの「影法師」(1993年)という大ヒット作を生んだ。
 
 なお、このシリーズでは、かくれんぼ 」(2002年)や、続・竹とんぼ~青春のしっぽ~(1999年)でのチャンバラごっこ」など、子供の遊びが織り込まれた曲が多いのも特徴だ。

堀内孝雄/竹とんぼ(1998年)


凧揚げ
 
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 この5月5日、2年ぶりに
「相模大凧まつりを見に行ってきた。(写真)

 実はその間に相模原市に引っ越したので、少し場所に近くなった。

 JR横浜線橋本駅からJR相模線に乗り換え22分、6つ目の相武台下駅で降りる。
 
 当日は無料の臨時巡回バスが出ているが、今回は歩いていくことにした。15分程度で会場に着く。着いたのが11時半ごろで、時間的にはお昼前であまりよろしくない。もっと前か、13時ごろの方が良かった。

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 休憩時間は、観客が持ち寄った様々な凧を揚げ、子供だけでなく、大の大人が喜々として楽しんでいる。(写真)

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 凧揚げが以前より流行らなくなったのは、電信柱(写真)の乱立や、広場が少ないせいだ。

 相模川の広い河川敷で行われている。それで安全だと思っていたら、この凧がどこに落ちるか分からないので、細心の注意が必要のようだ。大きいのは1トンもあるので、万一それに当たると大事故になるからだ。

 それが、新聞によると、前日の5月4日に事故があったようなのだ。

 記事によると相模原市南区の相模川河川敷で4日、開かれたイベント「相模の大凧まつり」で、大だこ揚げの最中に綱の引き手の男性が空中から地面に転落するなどし、3人が病院に運ばれた。地元消防によると、いずれも軽傷。

 地元消防や主催者によると、河川敷では約15m四方、重さ約950㎏の大だこが3回揚げられた。1回目の午後1時40分ごろ、綱の引き手約80人のうち30代男性が綱を持ったまま浮き上がり約3メートルの高さから転落、頭や腰を打って救急車で運ばれた。近くにいた70代男性は綱から手を離した際に倒れ、地面で顔を擦った。

 さらに3回目の大だこ揚げで、引き手の別の30代男性が綱から振り落とされ、顔にけがをした。当時、河川敷の風はやや強めだった。

 「相模の大凧まつり」は日本一大きいとされるたこを揚げる勇壮なイベント。毎年5月4日と5日に行われ、関東地方などから観光客が集まる」(共同)とある。 

 次の日に行ったとき、その事件のことは知らなかった。主催者は「本日は風が弱いから」と言い訳していたが、どおりで一番大きい凧を揚げなかったんだ。クワバラクワバラ!


<映像は拝借しました>

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 今では「里山」と言うけれど、昔の日本は至る所にこんな景色が広がっていた。(写真)

 「♪兎追いし 彼の山 小鮒釣りし 彼の川♪」は、決して夢物語ではなく、正に子供の頃体験した懐かしいふるさと(故郷)の原風景である。

ふるさと(故郷)(1914年作)


(Wikipedia 参照)

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