「それをなぜ季節外れの今?」とお𠮟りを受けそうだが、今や盆踊りは「Bon Dance」と言われ、世界中に広がる有名なイベントとなり、南半球では日本の寒い時期に行われているからと言い訳をしておこう。
自分は過去いろんなところに転居したが、盆踊りが行われていない地は無かった。
盆踊りとは「盆の時期に死者を供養するための行事、またその行事内で行なわれる踊り」ということだが、歴史的には村落社会において娯楽と村の結束を強める機能的役割を果たした。
盆踊りが平安時代の踊念仏に由来し(画像左)、文献に登場するのは室町時代に入ってからのようだが、鎌倉時代に念仏で救済されるとし一般庶民に大流行、江戸時代に最盛期を迎えた。(画像右)明治時代には一時衰退したが、復活が叫ばれるようになり、大正末期から農村娯楽として奨励されはじめ、再び盛んになっていった。
〇東京音頭の革命
輪島裕介著「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」(2015年、NHK出版新書、写真)は、盆踊りに革命をもたらしたのが昭和初期の「東京音頭」(1933年)の流行をきっかけとした盆踊りの再編だったという。
現在でもほとんど全国で踊られていると思われる盆踊りの定番曲だが、「東京」という地名でも分かるように、民間伝承ではなく、特定の意図に基づいて作られた新作の民謡であり流行歌であるのがミソである。
この曲の流行を通じて、やぐらの上でレコードに合わせて生の太鼓が演奏され、その周りを、揃いの浴衣の踊り手が決まった振付を規則正しく踊るという、現在まで一般的な盆踊りの形式が整えられていったのだそうだ。
東京音頭は作詞:西條八十、作曲:中山晋平。盆踊りの定番曲として親しまれるとともに、プロ野球チーム・東京ヤクルトスワローズや、プロサッカークラブ・FC東京の応援歌として使われていることでも知られている。
自分は神宮球場のヤクルト・カープ戦を何度も観戦しているが、カープファンなので、7回裏が始まる前、スワローズが勝っているとき「東京音頭」を聴くのは辛かった。
1971年の段階で発売当時の20倍以上、枚数にして2千万枚以上を売り上げているともいわれ大ヒットとなった東京音頭だが、実は元歌があった。前年の1932年、「丸の内音頭」という曲名で制作され、日比谷公園での盆踊り大会で披露された。
東京音頭は、1933年、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞、小唄勝太郎(1974年、69歳で没、写真)と三島一声の歌唱でレコード化されたもので、卑猥さを連想させる歌詞もあって爆発的に流行した。
勝太郎の一連のヒット曲に多いハァー(ハー小唄)という歌いだしの、力強い、景気のよい歌声は日本中に響き渡った。レコードの売り上げは発売当時だけで120万枚に達したという。彼女にとって、「島の娘」「明日はお立ちか」「さくら音頭」「大島おけさ」「勝太郎子守唄」などと並ぶ代表曲となった。(Wikipedia 参照)
〇南米アルゼンチン・ラプラタの盆踊り大会
毎年ラプラタで行われ、1万5千人も参加する南米最大の盆踊り大会は、今年も1月14日に行われ大盛況だったようだ。(Youtube:https://www.youtube.com/watch?v=1fk7HPUeec0 の10分後からスタートします)
その地、ラプラタ(La Plata)について、少し押さえておこう。
ラプラタは、アルゼンチン・ブエノスアイレス州の州都。
ブエノスアイレスが連邦の首都として連邦地区となった1880年以降に州の行政機関と大学を設置するために計画された都市で、正式には1882年11月19日に開設が宣言された。
人口は約56万人。ブエノスアイレス市の南東50km先にあり、ラプラタ川に面している。
そのラプラタの盆踊りの模様が、2月16日、テレビ東京の「世界!ニッポン行きたい人応援団」で紹介されていた。
そのラプラタの盆踊りの模様が、2月16日、テレビ東京の「世界!ニッポン行きたい人応援団」で紹介されていた。
ドローンで上空から撮影した映像は圧巻。日本でもこんなに集まる盆踊りは少ないのでは。
毎年地元の日本語学校の運動場で行われる盆踊り大会は、1999年から始まり、今年で18回目を迎えたという。
ところで、次がラプラタ盆踊り大会の人気の踊りのトップ3。
1位、ジンギスカン、2位、河内おとこ節、3位、アラレちゃん音頭
これが本物のジンギスカンの曲(ジンギスカン(音楽グループ)参照)
Dschinghis Khan(1979年)
これがそのジンギスカンの盆踊り練習ビデオ。
中村美律子/河内おとこ節(1989年)
アラレちゃん音頭(1981年)
〇若い子も参加して踊れる盆踊り曲
盆踊りと言えば「炭坑節」や「チャンチキおけさ」など日本的な曲に限られると思い込んでいた。
先に紹介した輪島裕介著「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」によると、岐阜県美濃加茂市やその近辺の盆踊りでは、日本におけるユーロビート人気の火付け役ともいえる「ダンシングヒーロー」が定番曲で、大変な盛り上がりを見せるという。
彼は、ユーロビートこそは日本を代表するダンス音楽とさえ言っている。
荻野目洋子/ダンシングヒーロー(1985年)
ボニー・M/バハマ・ママ(1979年)
古いものと新しいものを融合するのが得意な日本人の真骨頂をここでも見せている。
盆踊りがいまだに廃れない理由がこれで分かったような気がする。