前作風の歌では、「風」について、深堀の不足を感じ、もう少し調べてみた。
●風の季語について、Wikipediaを見ると、こんなにたくさんの風がある。
<春> 初東風、初凪、春風 、東風、貝寄風、涅槃西風、彼岸西風、比良八荒、春一番、風光る、春疾風、春北風、黒北風
<夏> 青嵐、大南風(おほみなみ)、風薫(薫風)、黒南風(くろはえ)、南吹く(はえふく)、南風(みなみ)、黄雀風(くわうじやくふう)、白南風(しらはえ)、夕立風、夕凪
<秋> 秋の初風、秋風、初嵐 、秋の嵐、野分、颱風
<冬> 空風、寒波、北風
これを見ると、風の方向を示す北風、南風、東風、西風について、北風は冷たい冬の風、東風と西風はやさしい春や秋の風、南風は暖かい夏の風のイメージだが、東風は少し複雑で、読み方によって次のように季語が変わる。
2.「あい(あゆ)の風」:奈良時代の歌人・大伴家持が歌った「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人 あま)の 釣する小舟(をぶね) 漕ぎ隠る見ゆ」(万葉集)は夏の季語
なお、南風は「みなみかぜ・なんぷう・みなみ・はえ・まぜ・まじ・ぱいかじ」と、読み方が多い。
●風には順風(追い風)と逆風(向かい風)がある。
<順風(追い風)>
■順風満帆(じゅんぷうまんぱん)
■五風十雨(ごふうじゅうう)
気候が穏やかで順調なことで、転じて、世の中が平穏無事であることをいう。(論衡)
<逆風(向かい風)>
■櫛風沐雨(しっぷうもくう) :雨風に晒されながら奔走し、苦労を重ねること。 (荘子)
■風前の灯火
■物言えば唇寒し秋の風
●「風任せ」という言葉があるように、風に逆らわない生き方がある。
順風(追い風)のときはそれに乗って、逆風(向かい風)のときは、その風が通り過ぎるまでじっと我慢をし、来るべきときが来るのを待つというのが賢明な生き方だろう。風を読み間違えると、抗えば抗えるほどドツボにハマってしまうものだ。
ギャンブルをする人は分かるだろうが、賭け事に強い人は、風を読むのが上手だ。
賭け事に限らず、長い人生では、必ずツキが落ちるときが訪れるものだが、その時は臥薪嘗胆、落ち込みが最小になるよう我慢して、ツキが来たと思ったら一気呵成の勝負に出るのだ。
しかし、「風向き次第で態度がすぐ変わる」「風見鶏」と揶揄されないように注意をしなければならない。
風任せには、もっと楽天的な言葉がある。
■明日は明日の風が吹く
■柳に風(やなぎにかぜ)■馬耳東風も似たような言葉だ。
石原裕次郎 /明日は明日の風が吹く(1958年)
五十嵐浩晃/愛は風まかせ(1980年)
●「風に(立ち)向かう」「風をものともしない」という言葉があるように、風に逆らう生き方もある。
■櫛風沐雨(しっぷうもくう):雨風にさらされながら奔走し、苦労を重ねること。 (荘子)
47歳で最初の転職をしたが、その社長から教わった、心に残る言葉。その会社の社内報のタイトルを「勁草」にした思い出の言葉でもある。
困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかるという喩え。(後漢書)
●「疾風」は「はやて」とも読む。こんな使い方がある。
■疾風迅雷(しっぷうじんらい): 勢いや行動がすばやく、激しいさまの喩え。 (礼記)
作詞:川内康範、作曲:小川寛興、唄:近藤よし子・キング小鳩会。その主題歌「月光仮面は誰でしょう」は、歌詞のように当時の子供なら誰もがみんな知っていた。


●「三段論法」の用例の典型としてよく使われたことわざ。
ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩え。(江戸時代の浮世草子『世間学者気質』巻三(無跡散人著、1768年)が初出)
大風で土ぼこりが立つ→ 土ぼこりが目に入って、盲人が増える→ 盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)→ 三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される→ ネコが減ればネズミが増える→ ネズミは桶をかじる→ 桶の需要が増え桶屋が儲かる という理屈。(Wikipedia 参照)
●人の名前にも風がある。
●人の名前にも風がある。
■風小僧
北村寿夫(1982年、86歳で没)原作の「新諸国物語」は、1952年から5年連続してNHKでラジオ放送された子供向けの時代劇で、善の白鳥党と悪のされこうべ党の時代を超えた戦いを描くシリーズドラマである。
「白鳥の騎士」(1952年)に始まり、「笛吹童子」(1953年)、「紅孔雀」(1954年)などがヒットして映画化もされた。
子供時代を描いた第1部(第13話まで)と、成人後を描いた第2部(第14話以降)の2部構成。
■風の又三郎
谷川の岸の小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してくる。少年は地元の子供たちに風の神の子ではないかという疑念とともに受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく。その間の村の子供たちの心象風景を現実と幻想の交錯として描いた物語。子供たちの遊びの描写を通して、現実世界と土着的信仰との間で揺れる子供特有の精神世界を鮮やかに描いている。
賢治の3つの童話「風の又三郎」、「注文の多い料理店」、「銀河鉄道の夜」で共通の中心的な課題は「猫」と「風」だった。風のつかまえどころの無さと優しさと荒々しさの同居、少しの隙間でも入り込んでくる点は猫と共通するものがあったという。(Wikipedia 参照)
■風間三姉妹
1985年から1987年にかけて実写ドラマ化したTVシリーズ3部作が放映され、劇場版2作品が公開された他、2006年にはリメイク版の劇場映画が公開された。
<TVシリーズ>
『スケバン刑事』(放映:1985年、主演:斉藤由貴)
『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』(放映:1985年 - 1986年、主演:南野陽子)
『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』(放映:1986年 - 1987年、主演:浅香唯)
『スケバン刑事』(放映:1985年、主演:斉藤由貴)
『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』(放映:1985年 - 1986年、主演:南野陽子)
『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』(放映:1986年 - 1987年、主演:浅香唯)
<映画>
『スケバン刑事』(公開:1987年、テレビシリーズ『II』の後日談的作品)
『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』(公開:1988年、テレビシリーズ『III』の劇場版)
『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(公開:2006年、主演:松浦亜弥)
『スケバン刑事』(公開:1987年、テレビシリーズ『II』の後日談的作品)
『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』(公開:1988年、テレビシリーズ『III』の劇場版)
『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(公開:2006年、主演:松浦亜弥)
上記の通り、1986年から1年間にわたってフジテレビ系で放送されたドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』に三姉妹役で出演した3人。ドラマは大ヒット、3人で歌った主題歌「Remember」はオリコン週間ランキングで1位を獲得、ドラマ終了後には映画『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』が公開されるなど社会現象となった。(Wikipedia 参照)
●風の題名がつく映画
「風の谷のナウシカ」は、宮崎駿(76歳、写真)による日本の漫画作品。
アニメーション監督・演出家でもある宮崎が、1982年に徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』誌上にて発表したSF・ファンタジー作品。
主人公ナウシカの故郷である辺境の小国。人口は500人程度。塩の海から吹き付ける風を風車で動力としながら、中世レベルの農業と採取活動により成り立っている。「海から吹く風様」と形容される潮風で腐海の胞子による侵蝕から守られているが、それでもわずかに届く腐海の毒は人々を確実に蝕んでおり、死産や四肢硬化を引き起こしている。族長の住む城の大風車で地下500メルテ(作中における長さの単位)から水を汲み上げ、それを貯水池に引いて寝かせてから沸かし、飲料水や農業に用いている…。(Wikipedia 参照)
■風と共に去りぬ
1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。
題名は、アーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラ」からとったもので、映画の冒頭のメインタイトルでスタッフ・キャスト等のテロップの後に、ディキシーの調べと共にこのダウスンの詩の一句が出てくるが、南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味する。
There was a land of Cavaliers and Cotton Fields called the Old South. Here in this pretty world, Gallantry took its last bow. Here was the last ever to be seen of Knights and their Ladies Fair, of Master and of Slave. Look for it only in books, for it is no more than a dream remembered,a Civilization gone with the wind...(Wikipedia 参照)
●「風」を使った文を考えてみた。
「風の便り」によると、官庁に勤めたが、どうも「役人風」を吹かせすぎて、一時は「世間の風当たりが強くなり」、「風采が上がらない」ときもあったそうだ。
それでも「その風を物ともせず」、「どこ吹く風と澄ました顔をして」働き、今も頑張っているらしい。
その息子が「どうした風の吹き回しか」来週田舎に帰って来るという。どうやら嫁を見つけたらしい。息子にも「風が向いてきた」ようだ。(お粗末でした!)![]()

最後は、やはり音楽。
●風の題名がつく音楽
■千の風になって
「千の風になって」は、アメリカ合衆国で話題となった詩『Do not stand at my grave and weep』の日本語訳。また、それを歌詞とする歌。
2001年、新井満(70歳、写真)が、アメリカ合衆国発祥とされるこの詩を日本語に訳し、自ら曲を付けた。原詩の3行目 "I am a thousand winds that blow"を借りて『千の風になって』のタイトルがつけられた。
2006年に秋川雅史によるバージョンが発表され、同年の第57回NHK紅白歌合戦への出場を機に一般的に知られることとなった。(Wikipedia 参照)
■吹けよ風、呼べよ嵐
ピンク・フロイドのヒット曲、「吹けよ風、呼べよ嵐」(One of These Days)は、全日本プロレスにおいて、いわゆる凶悪レスラーの入場テーマ曲として長年愛用されているが、一般的には来日回数が最多のアブドーラ・ザ・ブッチャーのそれとして広く知られている。
冒頭から風の音が20数秒流れた後に、不気味なベースが鳴り響くのが印象的な曲。
ピンク・フロイド/吹けよ風、呼べよ嵐(1971年)
■風に吹かれて「風に吹かれて」( Blowin' in the Wind)は、ボブ・ディラン(75歳、写真)のセカンド・アルバム、「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」(1963年)に収録され、シングル・カットされた楽曲。
ピーター・ポール&マリーのカバーが世界的にヒットして、作者のディランを一躍有名にした。1960年代のアメリカ公民権運動の賛歌とも呼ばれ、現在に至るまでディランの作中最も愛唱されることの多い歌曲となっている。強い旋律と和声進行を持つメッセージ・ソング。三連から成り、いずれも「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」というプロテスト・ソング風の問いかけと、「男はどれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか」「山が海に流されてなくなってしまうのに、どのくらいの時間がかかるのか」という抽象的な問いかけが交互に繰り返されたあと、「答えは風に吹かれている」というリフレインで締めくくられる。この曖昧さが自由な解釈を可能にしており、従来のフォークファンばかりでなく、既成の社会構造に不満を持つ人々に広く受け入れられることになった。(Wikipedia 参照)ピーター・ポール&マリー/風に吹かれて(1963年)
■風が泣いている
かまやつひろしは、1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。
父は、日本に初めてジャズを紹介し広めた、日本ジャズ界の草分け的存在であるジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつこと、かまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元歌手の森山奈歩(おぎやはぎの小木博明の妻)は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる音楽一家だ。
ザ・スパイダース(The Spiders)は、日本のグループ・サウンズのバンド。
1961年に、田辺昭知(現・田辺エージェンシー社長)が結成し、ジャッキー吉川とブルーコメッツとともにGSの礎を築いたグループ。
ヒット曲には『夕陽が泣いている』、『なんとなくなんとなく』、『あの時君は若かった』などがあり、1970年に解散。
当時の音楽の先端であったブリティッシュ・ビートに強く影響を受ける一方、堺正章、井上順、かまやつひろしの3人を主体に繰り広げられる軽妙なやりとりで、コミカルな要素が強い人気グループであった。
彼は「ザ・スパイダース」にゲストボーカルで参加した後、正式メンバーとしてヴォーカル及びリズムギターを担当、代表曲である「あの時君は若かった」「いつまでもどこまでも」「バン・バン・バン」「ノー・ノー・ボーイ」「フリフリ」「なんとなくなんとなく」などを作曲した。
当時は遅刻魔として有名で(晩年も)、デビューシングル『フリフリ』のジャケットには撮影に遅刻したため、彼の姿は写っていない。また、堺正章は「ある時かまやつの遅刻に気付いてアパートに電話をかけたところ、出た相手に『かまやつさんは出発しました』と言われたが、電話を切った後でその相手こそがかまやつだったと気付いた」というエピソードを語っている。
<メンバーは以下の通り>
〇田辺昭知(78歳、リーダー、ドラムス)
〇加藤充(83歳、ベース)
〇かまやつひろし(ギター、ボーカル)
〇大野克夫(77歳、オルガン、スチール・ギター)
〇井上孝之(75歳、ギター、ボーカル)
〇堺正章(70歳、ボーカル、タンバリン、フルート)
〇井上順(70歳、ボーカル、タンバリン、パーカッション)(Wikipedia 参照)
〇加藤充(83歳、ベース)
〇かまやつひろし(ギター、ボーカル)
〇大野克夫(77歳、オルガン、スチール・ギター)
〇井上孝之(75歳、ギター、ボーカル)
〇堺正章(70歳、ボーカル、タンバリン、フルート)
〇井上順(70歳、ボーカル、タンバリン、パーカッション)(Wikipedia 参照)
ザ・スパイダース/風が泣いている (1967)
ご冥福をお祈りします。