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YMOからPerfumeまで、テクノポップの歴史

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 前作・広島のお好み焼き で、今やまぎれもないスーパースターに登り詰めた、女性3人組ボーカルユニット・Perfume(パフューム)を最後に載せた流れで、彼女たちが歌っているテクノポップの歴史を紹介したい。

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テクノポップ(Techno Pop)はシンセサイザー(図①)シーケンサー(図②)ヴォコーダー(図③)などの電子楽器を使ったポピュラー音楽。

 1970年代後半から日本で使われた音楽用語で、日本独自表現である。(Wikipedia参照)
電子楽器のテクノロジーを多用した最も初期のヒットは、1972年のホットバターとポップコーンメイカーズポップコーン」と言われている。

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 ポップコーンにはキングスレイ盤(1969年)と、ホットバター盤(1972年) というのがある。

 ドイツ生まれで、アメリカの作曲家・ガーション・キングスレイ(現在94歳、写真)は、キングスレイ盤のあと、彼を中心メンバーとしたグループ「ホット・バター 」により、モーグ・シンセサイザーの音を中心にアレンジしたバージョンをリリースし、ビルボード第9位になる大ヒット、日本でもスマッシュ・ヒットした。


 英米では日本のテクノポップに似たスタイルのポピュラー・ミュージックは、シンセポップエレクトロ・ポップと呼ばれていた。

 コンピュータやMIDI機器を用いて制作した音楽は特に「コンピュ・ミュージック」と呼ばれた。

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 また、後にディスコ・ミュージック界をけん引した、ジョルジオ・モロダー(現在74歳、写真)が制作したチッコリー(欧米ではチッコリー・ティップ)の1972年のヒット『恋の玉手箱』(Sound of My Father)も最新の電子楽器を使用していた。


テクノポップという言葉は、1978年、大阪で『ロック・マガジン』を発行していたロック評論家の阿木譲が、クラフトワークのアルバム『人間解体』のレビューで使ったのが初出とされている。この造語を気に入った坂本龍一がさまざまな媒体に出演して使ったことにより、一般に広まったといわれている。

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 何といっても1980年ごろのテクノブームに火をつけたのは、坂本龍一が所属していたイエロー・マジック・オーケストラ (通称:YMO写真) だった。

 メンバーは、写真左から、細野晴臣(現在69歳、エレクトリックベース、シンセベース)、高橋幸宏(現在64歳、ドラムス・ヴォーカル)、坂本龍一(現在65歳、キーボード)。

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 YMOのもたらしたテクノブームは新宿のディスコにも影響を与え、一時期には、テクノカット(写真)と呼ばれる、YMO風にもみ上げを鋭角にカットした刈り上げに、JUNやROPEのモノトーンスーツ姿がフロアのダンサーの大半を占めたこともあった。

 YMOの代表曲は「ライディーン」(1980年)と、デビューシングル「テクノポリス」(1979年)だ。

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 大ヒットとなった「ライディーン」の元々のタイトルは、大相撲史上未曾有の最強力士と言われた江戸時代の相撲取りの「雷電爲右エ門」(画像左)から『雷電』と表記された。

 坂本は「『雷電』には東海道五十三次のような浮世絵のイメージがあり、浮世絵が世界に影響を与えたように、自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた」と発言している。

 その後、細野の「アメリカで今「勇者ライディーン」(画像右)っていう日本のアニメがヒットしている」ので「じゃあ、『ライディーン』にしちゃおう」という発言で「ライディーン」となった。(Wikipedia参照)




 YMOブームが起きると、YMOに続く「テクノ御三家」として、写真左より、プラスチックスP-MODELヒカシューが紹介された。

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 プラスチックス(1976-1981)は、ファッションデザイナーらによって結成されたバンドで、のちのバブル期の日本を先取りしたような「軽さ」をうち出していた。

 P-MODEL(1979-)は、もともとブラック・サバスとキング・クリムゾンに影響を受けたプログレバンドのマンドレイクが、電子音とバンドサウンドを同期させたスタイルに転じたものであった。

 演劇畑出身のヒカシュー(1977-)は、クラフトワークの『モデル』を能・狂言のような邦楽的な歌唱法でカバーした。彼らに共通しているのは電子楽器の使用だけでなく「軽さへの指向」である。

 テクノポップは、日本にとって1970年代の文化の暗さや重さ(例えば劇画が代表的である)から脱出するための一つの方法論であった。
 また、この頃アイドルや芸能人によるテクノ歌謡」が数多くリリースされている。

 しかし、1985年頃に起こった第二次バンドブームなどの影響もあり、テクノポップやテクノ歌謡はメジャー音楽シーンから消えていく。

 この頃は「シンセサイザーを駆使しているがテクノポップとは異なる」音楽、すなわちTM NETWORKaccessのようなビッグ・ビート喜多郎姫神のようなニューエイジ音楽などが世間一般に支持されていた。

 テクノポップに変わり、電子音楽の主流となったジャンルの1つはテクノである。1988年以降に世界的に流行し、日本ではケン・イシイ石野卓球が有名となった。
 そして、【Perfume(パフューム)】

 大本彩乃、愛称「のっち」、樫野有香、愛称「かしゆか」、西脇綾香、愛称「あ~ちゃん」という、女性3人組テクノポップユニット。

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 Perfumeという名前の由来は、結成時(デビュー前)のメンバー(西脇綾香・樫野有香・河島佑香)全員の名前に「香」の文字が入っていたことによる。しかし、まもなく河島佑香がグループを脱退し、大本彩乃が加入したため、グループ名の由来を「香りは人の気持ちを和ませたり、楽しい気持ちにさせたりできるので、私たちもそういう存在になりたいという気持ちを込めて、英語で香水を意味するPerfumeというグループ名にした、という。

 2000年春 、TV新広島が運営する『アクターズスクール広島(ASH)』に入学し、グループを結成した。そして、2003年春、中学3年生になると同時に上京し、アクターズスクール広島と業務提携している現事務所・アミューズに所属。

 2005年、リニアモーターガール」でメジャーデビュー。


 
2008年(第59回)のNHK紅白歌合戦に初出場し「ポリリズム」を歌った。それからもう9年連続出場を重ねている、押しも押されぬビック・スターだ。

 ちなみに「ポリリズム」はNHKと公共広告機構(現:ACジャパン)の2007年度共同キャンペーン「リサイクルマークがECOマーク。」のCMソングとして使用され、Perfumeの代表曲となった。

 2016年の紅白歌合戦では、映画「ちはやふる」の主題歌「FLASH」を歌ったが、その演出はその中でも群を抜いていた。(写真)

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 Perfumeの楽曲は、ハウスミュージックの流れを汲んだテクノポップと、一般的に位置づけられている。

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 2003年、東京でインディーズデビューしてから現在に至るまで、楽曲提供を行っているのは、きゃりーぱみゅぱみゅなどのアーティストも手がけている、音楽ユニットCAPSULEのメンバーでもある、中田ヤスタカ(現在37歳、写真)だ。

 楽曲におけるボーカルの特徴は、3人の声にエフェクトがかけられている点にあるが、中田はこの点について、「アイドルの声を加工することもこれまではタブーとされてきており、このようなタブーを破ること自体も音楽的な挑戦の一つである」と話している。

 中田は人が発する声も一つの楽器と捉えており、彼が行うヴォーカル処理は、3人の歌唱力を補うことよりも、3人のそれぞれが持つ声質や、レコーディングで実際になされた歌い方に表れる個性を生かす目的で行われている。(Wikipedia 参照)

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 それにしても、彼女たちはなぜ生き馬の目を抜くような芸能界で、今年で15年以上にもなる息の長い活躍が出来たのだろうか。

 失礼ながらデビュー当時は、想像もつかなかった。ーひとえに努力の賜物だろう。

 ところで、彼女たちはみんな広島県の出身だが、そのことを隠さない。

 格好いい曲を歌い終わった直後に、バリバリの広島弁で話し始めるところが特徴の一つで、東京での活動歴が長くなった今でも、メンバー間ではそれが共通語であり、ライブMCや各種番組出演でもしばしば広島弁が出てくる。微笑ましい限りだ。

 一日も早く彼女たちを広島県の観光大使に選ぶべきである。
 


 少し古いが、2014年、日刊ゲンダイの2月14日号に、「なぜ、広島には著名なミュージシャンが多いのか」という記事が載っていた。
 
 
矢沢栄吉浜田省吾西城英樹世良公則吉川晃司奥田民生奥居香デーモン閣下もんたよしのり原田慎二高橋真梨子村下孝蔵ポルノグラフィティ…。吉田拓郎も広島育ち。
 
 県民性に詳しい「ナンバーワン戦略研究所」代表の矢野新一氏は次の様に分析している。
 
 「かつてハワイに移住した日本人移民には広島県出身者が多かった。つまり野心家が多いんです。広島県民は自信過剰でお調子者新し物好きで見栄っ張り負けず嫌ともいわれています。酒好き遊び好きでもある。

 元々芸能人向きで、才能と条件が上手く重なればスターになれる県民性とも言えるでしょう。アナウンサーにも広島出身者が多いんです」

 とあった。Perfumeのみんなが、益々活躍されんことを祈っている。


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