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獺祭(だっさい)

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 お酒が好きである。ビール党であるが、日本酒も好きだ。少しこだわりがあり、冬でも熱燗はあまり飲まない。主に冷酒である。
 
 こんな酒飲みは減ったが、焼酎は飲まない。今やスナックに行くと、ウィスキーのボトルキープは少なく、ほとんど焼酎の棚になってしまったが、一度も焼酎のキープをしたことがない。
 
 若いころは、日本酒を飲むと決まって二日酔いになり苦い思いをしたが、これは酒に弱いせいだけではなく、酒の質が悪かったのもある。昔の酒は相当粗悪なものが出回っていた。
 
 ところで、最近、山口県の山奥にある旭酒造「祭(だっさい)」が話題になっているが、この酒には思い出がある。
 
 自分はお隣の県、広島県に22年間暮らしていたし、25年前には5年間も、当の山口県に住んでいた。
 
 それが、不覚にも「祭(だっさい)」という、特徴のあるお酒の名前は一度も聞いたことがなかった。
 
 それを初めて聞いて飲んだのは今から10年前のことである。
 
イメージ 5 もう5年前に亡くなったが、その友人が誘ってくれ何度も通った東京・渋谷道玄坂にある蕎麦屋「金王庵」(写真)。(アクセスは下図)
 
 以来長らくご無沙汰しているので、まだやっているかどうか心配だったが、ネットで調べてみるとどうやら今も頑張っているようだ。
 
イメージ 4


イメージ 3 そこで出されたお酒が「祭(だっさい)」だった。漢字が難しくて銘柄が読めない。ところが、そのお店ではこのお酒しか扱っていないという。
 
 しかも、その製造元・旭酒造の住所が、山口県玖珂郡周東町とあるではないか。(周東町は、2006年に岩国市と合併したようだ)


イメージ 1 酒蔵のある町は、失礼ながら相当の田舎で典型的な過疎地域である。
 
 ホームページを見るといくつかの経路が書かれてあるが、どうやらこれが一番近いようだ。それでも相当時間がかかる。
 
 「徳山駅(新幹線)」下車、岩徳線に乗り換え→40「周防高森駅」(岩徳線480円)→タクシー15分(約2000円)
 

イメージ 2 本社(写真)も写真で見る限りあまりぱっとしない。うっかりすると前を通り過ぎそうだ。


 その旭酒造が今年1月16日放送のテレビ東京系の番組「カンブリア宮殿」(映像)で紹介されていたし、本日(2月16日)の朝日新聞「波聞風問」「祭の挑戦 山奥の蔵が世界を酔わす日」という特集記事が載っていた。
 
イメージ 6 その旭酒造社長・桜井博志氏(63歳)の著による「逆境経営」(ダイアモンド社)(写真)も売れ行き好調のようだ。

 
 


 獺祭は、獺(かわうそ)が獲物の魚を岸に並べるように、詩文をつくる際、書物を広げる様。俳句・短歌の革新者、正岡子規は「獺祭書屋主人」と号したことでつけた名前だという。
 
イメージ 7 先代だった父に勘当された桜井社長は酒造りから離れていたが、その父の急逝を受けて約30年前、旭酒造の三代目社長に就く。
 
 当時、日本酒市場は1975年をピークに3分の1にまで縮小、山口県の山奥にある同社はそれを上回るペースで売り上げが急減していた。
 
 就任当初は、気づけば日に何度も自分の死亡保険金を計算してしまうほど追い詰められ、ふたりの子どもの寝顔を見ながら、眠れぬ日々が続いたそうだ。

 しかし、死ぬか生きるか。だったら、やれることをやろう。

 目の前の常識をすべて疑い、新しい旭酒造に生まれ変わろう。そう心に決め、改革を進めてきたという。

 「変えるべきでない伝統は何がなんでも守り抜き、一方で、大事なものを守り抜くために変わることを恐れない」
 
 小さな酒蔵であることが強みになるよう、小規模な仕込みでないと造れない、また少量でも愛され続ける純米大吟醸酒に商品をしぼり、獺祭を開発し、勝負する市場は地元より大きい東京を中心とする全国市場へ、そして、杜氏と蔵人に任せきりだった酒造りも、可能な限り数値化し安定生産を目指して社員だけで通年生産する仕組みを構築した。

 そして2012年、ついに純米大吟醸市場でトップに躍り出た。海外市場開拓も約20カ国を数え、今や業界唯一の勝ち組ともいわれている。
 彼の著「逆境経営」は次の目次を見るだけで、その内容が想像できる。
 
1章「負け組」の悲哀を忘れない
2章 大失敗から学ぶ
3章 捨てる勇気を持つ
4章 「できること」と「やるべきこと」をはき違えない
5章 常識や慣習にとらわれない
6章 伝統が持つ奥深さを侮らない
7章 発信しなければ伝わらない
8章 打席に立ったからには、思い切りバットを振る


 獺祭には更に後日談がある。
 
 蕎麦屋「金王庵」で初めて獺祭を飲んだ少し後、東京・目黒区池尻大橋(正確には東山)の隠れ家のダイニングキッチン「KAN」に寄ったとき、また獺祭に出会った。しかも、ここでもお酒はこの1品しか置いていないという。
 
 もう10年前のことである。この不思議な巡り合いに驚いたものである。
 
 ここも調べてみたが健在のようだ。(下図参照)
 
イメージ 8
 


 旭酒造が東京に進出した90年前後はバブル期が崩壊に向かい始めた時期と重なる。
 
 「バブル崩壊の影響が銀座に出始めたのは95年くらいからで、閉店したバーやクラブの後に居酒屋ができた。銀座の居酒屋だから、それまでより少し高い酒を置き始めた。そこに純米大吟醸の獺祭が入り込むことができた」
 

 酒に何を求めるかは個人によって違う。山田錦を77%も削ると、香りがよく甘みもあってフルーティーなさらさらの大吟醸酒が出来上がるが、従来の日本酒党からは「喉をすっと通って飲みごたえがない」との指摘も受ける。逆に、従来酒では気になった糠の臭みや雑味が残らない後口の良さを気に入る人も多い。



 桜井社長は今の地位にしがみつき、守りに入る様子は一切なく、意気軒昂のようだ。
 
 今年(2014年)夏には、パリのシャンゼリゼ通りに直営の小売店併設レストラン&バーを出店するなど、海外でさらなる日本酒浸透をはかっていくという。
 
 なお、先に紹介した金王庵KANはどちらも素敵なお店ですが、今も獺祭を提供しているかどうかは確認していませんので、お許し下さい。
 

 また、獺祭は現在相当品薄のようなので、行けばあるとは限らないと思います。


 最後はもちろん、お酒の歌。
 
バラクーダ/日本全国酒飲み音頭(1979年)
三橋美智也/黒田節
 


 
 
 

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