昨年末続けていた「米軍基地」シリーズだがその2で中断していた。
言い訳になるが、個人的に退職や引っ越し(2月に決定)などのドタバタで集中力に欠けていた。
ただこれがそれだけの理由か、老化現象なのか正確なところはよくわからない。ちょっと投稿が減ったが、ブログは認知症対策としてもこれからも続けていきたい。
さて、「米軍基地」【その3】であるが、占領下の日本について続けてみたい。
ところどころニュアンスの違うところも感じたが、呉弁の温かいイントネーションも出身者としては心地よい。
のんが声で演じる主人公すずが結婚して広島から呉に移り、次第に戦時体制の強まる日常の中でひたむきに生きるや、市井の人々の様子がとても美しく丁寧に描かれている。
戦艦「大和」を建造した軍港都市の呉は何度も米軍から焼夷弾(写真)を落とされ焦土と化す。
祖父は呉の海軍工廠に勤めていた。戦艦「大和」の建造に加わったことが自慢だったそうだ。(呉海軍工廠参照)
母方の祖父は呉の防空壕で亡くなった。家族は広島県の田舎に疎開して辛酸を舐めたという。自分はその疎開地で生まれた。
母によると呉からも広島の原爆のキノコ雲(写真)が見えたそうだ。そして終戦。
地元だけに映画で現実が容易に想像できる。涙が止まらない。嗚咽をこらえるのが精一杯だった。
当たり前の日常をあっけなく奪う、それが戦争だとこの作品は教えてくれる。
戦争がなかったら…と思う。自分の家族もどれだけ幸せだったことだろうか。
少なくとも広島県人であれば、原爆と共に絨毯爆撃を行い多数の民間人を殺戮した米軍に怒りを覚えるのが自然だと思う。
ところが、1952年に建立された原爆死没者慰霊碑の石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。(写真)
この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があったという。本当は「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」というのが正しいだろうが、アメリカの占領下、当時は許せないことだったのは容易に想像できることだ。
本題の日本の占領について、振り返ってみよう。
日本占領は形式上は「連合軍」となっているが、実質的には米軍の単独占領だった。
厳密にいうと、中国・四国地方には英連邦軍(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、インド)によって占領された地域も存在する。だだしこれらの部隊は、1948年までにほとんど撤収してしまった。
もっともアメリカは日本を最初から単独で占領するつもりだったわけではない。英連邦、ソ連、中国の各軍と共同で行うというのが、1945年8月の段階におけるワシントンの方針だった。なお、ここでいう「中国」は共産党政府による「中華人民共和国」ではなく、国民党政府による「中華民国」、すなわち現在の台湾系を指す。中国は内戦でそれどころではなかった。
ソ連は、マッカーサー以外に最高司令官をもう一人置くべきだと主張し、自国の将軍を送り込もうとしてアメリカから拒否されたのだ。
米軍の占領政策はダグラス・マッカーサー(1964年、84歳で没、写真)の一存の元に行われた。
マッカーサーには次の大統領選挙の出馬という政治的な野心があり、人気取り政策を執った。
占領は寛大かつ友好的であった。
●まず挙げられるのは、米占領軍の規律が全体的にしっかりしていた点である。
レイプをはじめとする不祥事が起きなかったわけではない。占領軍の規模は英連邦軍まで含めると、最も少ない時期でも10万人、ピーク時には45万人に達していた。
ここまでの数の兵士が一人残らず品行方正を保つほうが不思議だったとは言えないだろうか。
●気さくで明るいアメリカ人の国民性も、占領軍兵士が好感を与えるのに役立った。しかも彼らは、日本人には手に入らない品物をふんだんに持っていたのだ。
セオドア・コーエンによると、1946年の段階で、占領軍総司令部スタッフのうち4割が日本人のガールフレンドを持っていた。1947年、本国から妻や家族を呼べるようになると、この比率は下落するものの、2割を切ることはなかったという。
参考資料:佐藤健志著、「僕たちは戦後史を知らない」(日本の「敗戦」は4回繰り返された)