北方領土返還の話題で脚光を浴びている日本とロシアの関係だが、内閣府の今年1月の最新調査の結果は次のようだ。
1.ロシアに対する親近感
ロシアに親しみを感じるか聞いたところ,「親しみを感じる」とする者の割合が17.4%(「親しみを感じる」1.9%+「どちらかというと親しみを感じる」15.5%)「親しみを感じない」とする者の割合が79.3%(「どちらかというと親しみを感じない」45.8%+「親しみを感じない」33.5%)となっている。
前回の調査結果(平成26年10月調査結果)と比較してみると「親しみを感じる」(20.1%→17.4%)とする者の割合が低下し「親しみを感じない」(76.4%→79.3%)とする者の割合が上昇している。
都市規模別に見ると,「親しみを感じる」とする者の割合は大都市で高くなっている。性別に見ると「親しみを感じる」とする者の割合は男性で高くなっている。年齢別に見ると,「親しみを感じない」とする者の割合は60歳代で高くなっている。
2.現在の日本とロシアとの関係
現在の日本とロシアとの関係は全体として良好だと思うか聞いたところ,「良好だと思う」とする者の割合が21.8%(「良好だと思う」1.3%+「まあ良好だと思う」20.5%),「良好だと思わない」とする者の割合が71.0%(「あまり良好だと思わない」52.5%+「良好だと思わない」18.5%)となっている。性別に見ると,「良好だと思わない」とする者の割合は男性で高くなっている。
3.今後の日本とロシアとの関係の発展
今後の日本とロシアとの関係の発展は両国や,アジア及び太平洋地域にとって重要だと思うか聞いたところ「重要だと思う」とする者の割合が76.0%(「重要だと思う」28.7%+「まあ重要だと思う」47.3%)「重要だと思わない」とする者の割合が18.9%(「あまり重要だと思わない」14.7%+「重要だと思わない」4.2%)となっている。都市規模別に見ると「重要だと思う」とする者の割合は大都市で高くなっている。性別に見ると,「重要だと思わない」とする者の割合は男性で高くなっている。年齢別に見ると「重要だと思う」とする者の割合は20歳代から50歳代で「重要だと思わない」とする者の割合は70歳以上でそれぞれ高くなっている。
このように、日本はロシアに対して友好関係にあるとは言えず、親しみを感じないが、今後の関係の発展は重要だという人が多いことを示している。
「友好関係にあるとは言えず、親しみを感じない」というのは、第二次世界大戦終戦時の北方領土への不法な侵入、満州での略奪の限りを尽くされた屈辱の歴史や、スターリン時代の恐怖政治などが尾を引いているように思う。
2012年3月に実施された大統領選挙でウラジミール・プーチン氏(現在64歳)が当選した当初は、柔道着を着た姿で親しみやすい印象を与えていた(写真)が、2014年に発生したウクライナ騒乱、クリミア危機、さらにはシリア爆撃が日本人に対する負のイメージが生じている可能性も否定できない。
下表は、日本とロシアの比較図だ。(Wikipedia参照)
国土は日本の約45倍もあるのに、人口はほぼ変わらない。GDPは日本が約3倍もあるが、意外と防衛費の差は少ないと感じた。
日本における定住ロシア人の歴史は、函館ハリストス正教会が建てられる直前の、1854年に始まる。その後、1917年に起こったロシア革命を機に、日本へ逃れてきた亡命ロシア人(白系ロシア人)が日本で暮らすようになり、その数は1918年時点で7,251 人ほどになった。だが、日本社会の偏見などでなかなかなじめず、1930年に3,587人、1936年には1,294人と激減した。その後第二次世界大戦が始まったため、ほとんどがオーストラリアや米国などへ移住したり、ソ連へ帰国したりし、日本に留まったロシア人はごくわずかとなった。
冷戦時代に在日ロシア人が増えることはなかったが、1980年代後半のペレストロイカ期から1991年のソビエト連邦の崩壊、それに続くロシア連邦や独立国家連合諸国の成立により、貿易関係の縮小はあったものの、日本と旧ソ連地域の間の人的交流は以前と比較してずっと容易になった。日本への在留人数は、1990年はソ連全体で340人だったのが、2009年にはロシアのみで7814人、旧ソ連15カ国合計では11,506人となり、20年弱で33倍にも達した。北海道や新潟県、富山県など日本海側を中心にロシア人との交流も進んでおり、ロシア人船員が上陸するようになった稚内や根室、留萌、小樽、富山県小杉、にはキリル文字も併記されている道路標識や商店などが増えた。
それでも、ヨーロッパ各国、アメリカ、オーストラリア、トルコなどと比べると、日本に移住するロシア人の数は極端に少ない。
2015年末現在、90日を超えて滞在し外国人登録をおこなっているロシア国籍者は8,092人。そのうち、女性が5,599人、男性が2,493人と女性の数が2倍を超えて多く、30~40代が主流である。在留資格別に見ると、永住者が3,453人と最も多く、次いで日本人の配偶者等1,120人、家族滞在801人、人文知識・国際業務778人、留学740人、定住者452人の順となっている。かつて多かった興行ビザによる滞在は47人と2006年の767人から大幅に減少した。都道府県別では最も多いのが東京都の2,389人、次に神奈川県807人、千葉県519人、北海道498人、富山県472人、大阪府424人の順となっている。
北方領土のロシア人は、2016年時点で、国後島に7914人、択捉島に5934人、色丹島に2820人の計16,668人のロシア人が在住している。代表的な町はユジノクリリスク(7048人)、ゴリャチエ・クリュチ(2025人)、マロクリリスク(1873人)、クリリスク(1666人)、クイビシェフ(1757人)、クラバザヴォーツク(947人)、レイドヴォ(921人)である。
在日ロシア人、ロシア系日本人、およびその子孫については、一番有名なのが、第48代の名横綱の大鵬幸喜(2013年、72歳で没、写真左)と、日本プロ野球初の外国人選手だったヴィクトル・スタルヒン(1957年、40歳で没、写真右)だ。
大鵬の父(マルキャン・ボリシコ)はウクライナ人。ヴィクトル・スタルヒンの娘、ナターシャ・スタルヒン(65歳)は栄養士。日活ロマンポルノの星といわれた、女優・田中真理(65歳)はスタルヒンの親戚だ。
そして、指揮者・小澤征爾(現在81歳)の妻の元モデル・女優の入江美樹の(現在72歳、写真)の父親は白系ロシア人。(母親は日本人)
結婚後はファッションデザイナーとして活動。征爾との間に生まれた長女の小澤征良はエッセイスト、長男の小澤征悦は俳優となった。
上坂冬子(2009年、78歳で没、写真左)著の「北方領土上陸記」(2003年、文芸春秋社、写真右)の一文を紹介したい。
(2002年、日ロ専門会議出席の場で)「ロシアに対して好感を抱けない理由は、一言でいえば旧ソ連の日本に対する言動です。たとえば15年戦争の最後の1週間だけ日本と戦って戦勝国ヅラしているところなど、日本人として許せるはずがありません。しかも、日本が原爆を二つも受けて足腰が立たなくなったのを見定めてから、日ソ間の中立条約を一方的に破って攻撃を開始したのですから言語道断です。のみならず、日本がポツダム宣言を受諾した8月15日を期して連合国は一斉に戦いを止めたのに、ソ連だけが90年前から自他ともに日本の領土と認めていた北方四島に乗り込んできて、そのまま今日に至ったのは不法占拠としかいいようがないではありませんか。
たしかにサンフランス講和条約によって、敗戦国日本は樺太と千島列島を手放すことを余儀なくされましたが、日本が手放したその地域がソ連に帰属するなどと、条約のどこにも書いてありません。そもそもソ連は、サンフランス講和条約に署名すらしていない立場です。しかも戦争が終わった段階で各国とも国際協定に従って捕虜を帰還させているのに、ソ連は逆に戦後に引き連れていった日本兵や一般の日本人を抑留者という不可解な名目のもとにほぼ10年も足止めして労働力とし、大量の死者まで出しています。その補償すらしていないのは、公平に見て無法者、今風に言うならナラズモノ国家と言われてもやむを得ないでしょう。
ともあれ、不法に居座っている歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島の四島から、いつ、どんな形で撤退するつもりなのか、はっきりしてもらいたい。不法占拠を押し通そうとするならば、日本はロシアと平和条約など締結し得ないだろうし、このままだとロシアはいずれ国際社会からもつまはじきされるものと思われます」
古くからロシアのことを知っている者はその通りだと、拍手喝さいを送らざるを得ない。
続く。