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退職します【その2】

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 2014年5月1日付の朝日新聞・「天声人語」の記事。『新入社員も「大過なく」』

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サラリーマン人生最後の日を迎え、自分の机をなでながら心の中でつぶやく。(大過なく、とにかく、大過なくであった…)。

 源氏鶏太(1985年、73歳で没、写真)が1962年に本紙に連載した「停年退職」の幕切れである。

 半世紀以上たったいまも、大過なく、は定年のあいさつの定番だろう。多少の失敗はあったろうし、嫌な思いもしただろう。長年の職場を去る寂しさや不安もあろう。ただ、そこにはともかくも勤め上げたという、ずしりと重い感慨がにじむ。

 もっとも毒舌家にかかると人生の節目も皮肉られる。『パーキンソンの法則』によれば、定年の年齢に科学的な根拠はない。確かなのは、何歳に決めても、その3年前から人間の能率は衰え始めることだという。身も蓋もない。(以下割愛)
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 ネットで書籍の紹介欄を見るとこんなことが書かれている。

停年による退職を半年後にひかえた矢沢章太郎は、第二の人生における身のふり方を考えるが、その行くべき道がわからない。そこへ会社の派閥問題をはじめ、娘の恋愛問題や、部下の不倫騒動が浮上して…サラリーマン小説の第一人者が人生の大事件「停年」をときにユーモアたっぷり、ときに残酷に描き出した傑作。

「定年退職」は源氏鶏太中期の代表作で、終身雇用制度は、年功序列の給与制度と定年制度が両輪だが、昭和の戦前期に大企業を中心に始まり、戦後は広い範囲に広まった。この作品が書かれた昭和30年代半ばには、男子の平均寿命が約65、女子は70になろうとしていて停年(55歳)退職しても、人生が10年以上残っていた。この当時は、まだ今のように年金制度も充実していなかったので、停年で会社を辞めるということは、サラリーマンにとって非常に大きな転機であったと思う。その転機に臨んだ男の辛さと諦め、そして、それに負けない元気さが書かれている。
 前作、退職しますで述べて通りだが、自分の場合、年齢は定年を通り越している。それでも、幸い定年後間髪を置かず転職できたので、初めてその悲哀を感じている。

 それでもまだ働かないと生活が成り立たないので、再就職しなければならない。若いころからルーチン的な仕事が向いていないことは分かっているので、職業の選択肢が限られている。

 しかも、退職だけでなく、個人的に大きな変化がある歳末になる。

 それは、20年も住んでいた賃貸の家が老朽化し、来年の2月末までに立ち退きとなったことだ。

 立ち退き料はいただけるとのことだが、家族4人住む家を探さなければなりらない。3人が働いているので場所の問題もある。 

 健康については、3年前心筋梗塞で手術したがその経過と、顎下腺腫瘍があるのは分かっているので、その状態を見るため10月6日にCTスキャンを2か所撮るなど本格的に検査をした。結果は大きな問題がないということでホッとしたところだ。

 悩みはまだまだある。見方によれば終わりに近づいた人生の最大級のチャンスが訪れたとも言えるが、気の抜けない毎日を送っている。

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