1950年代はと言えば、自分が生まれてから小学生までの時代。まだ日本は戦後の爪痕が残っていて貧しく、アメリカはあこがれの国、その音楽は楽天的で、底抜けに明るかった。
●アンサンブルステレオという新製品が出始めた。
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アメリカでは、50年代前半に、男性でフランク・シナトラ、ペリー・コモ、トニー・ベネット、女性で、ジョー・スタッフォード、ペギー・リー(写真左)、ダイナ・ショア、ケイ・スター、ローズマリー・クルーニー(写真中)、パティ・ペイジ、ドリス・ディ(写真右)といった歌手たちが、競い合ってヒットを連発した。
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ロックンロールの原点として登場する、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は55年にヒットする。「ロックンロール最大のスター」とされるエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」のヒットはさらに翌年の56年になる。
続く。
その頃のオーディオの環境は次の通り。
1958年にビクターから発売されたSTL-3 (写真)(47,800円)が始まりだが、当時大卒初任給の平均は12,700円で、ステレオはまだまだ高嶺の花だった。下表は「 大卒初任給の推移」。
給与については、当時こんな曲が流行った。
フランク永井/13,800円(1957年)
●33.33回転のLPレコードが発売された。
50年代は78回転のSPレコードが混在していた。音が左右に分かれる「ステレオ」になったのも50年代後半で、まだまだモノラル全盛の時代だった。
音楽評論家の中村とうよう(2011年、79歳で没、写真)は、「SPからLPに切り替わる直前の時期が20世紀ポピュラー音楽の黄金期だった」と述べている。
40年代に揺らいだアメリカのメジャー・レコード会社の地位が再び安定を取り戻し、キャピトル、マーキュリーなど新興メジャーも参入しての業界支配の新態勢が整った結果でもあった。下表がオーディオの年表。
ペリー・コモ/パパはマンボがお好き(1954年)
一方、カントリー・ミュージックでは、ハンク・ウィリアムズ(写真)が53年に28歳の若さで急死したが、彼の「コールド・コールド・ハート」をベネットが、「ジャンバラーヤ」をスタッフォードが歌ってヒットさせたし、パティ・ペイジのスーパーヒット「テネシー・ワルツ」もカントリー畑から出た曲だった。
パティ・ペイジ/テネシー・ワルツ(1950年)
ロックンロールの先触れは、ジョニー・レイが絶叫調で歌った「クライ」が51年に200万枚を超える大ヒットとなってから、翌年にはジョージア・ギブスの「キッス・オブ・ファィア」など泣き叫ぶような歌い方が大流行だったし、エレキ・ギターのテクニックを工夫した先駆者として知られるレス・ポールも、そのころヒット曲をいくつも出した。(中村とうよう著「ポピュラー音楽の世紀」参照)
ジョニー・レイ/クライ(1951年)
ジョージア・ギブス/キッス・オブ・ファィア(1952年)
そもそも「ロックンロール」という呼称は、51年前後、アメリカのクリーブランドでディスクジョッキーとして人気を呼んでいて、現在では「ロックンロールの生みの親」「ミスター・ロックンロール」「キング・オブ・ロックンロール」などと称えられている、アラン・フリード(1965年、43歳で没、写真)によって命名されたといわれる。
黒人歌手トリキシー・スミスが歌う「マイ・ベイビー・ロックス・ミー・ウィズ・ワン・ステディ・ロール」という曲の歌詞から思いついた。
この時点ではロックンロールとブラックミュージック/リズム&ブルースは同義語として使用されていた。同年、アラン・リードは新造語を前面に立て、ラジオの新番組「ムーンドッグ・ロックンロール・パーティ」を開始する。
ロックンロールの原点として登場する、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は55年にヒットする。「ロックンロール最大のスター」とされるエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」のヒットはさらに翌年の56年になる。
つまり、アラン・リードが提唱したロックンロールという造語を冠したラジオ番組から数年の空白があったことになる。
その間にロックンロールという言葉の意味は、当初のブラック・ミュージックを指す造語から、カントリー・ミュージックに代表される白人的要素が混入した音楽へと拡大される。アメリカにおける人種間の壁を初めて越える音楽が、ロックンロールという新しいポピュラー音楽でもあった。(中山康樹著「ロックの歴史」参照)
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ/ロック・アラウンド・ザ・クロック (1955年)
エルヴィス・プレスリー/ハートブレイク・ホテル(1956年)
最後は、この時代にヒットした曲を。
Gene Vincent/Be-Bop-A-Lula(1956年)
Kay Starr /Rock and Roll Waltz (1956年)
Danny and the Juniors/At The Hop (1958年)
Mimi Roman/Up To My Heart In Love (1959年)
続く。