毎日行われる会社の朝礼で昨日は、今日式典が行われる「原爆の日」のことを話した。
広島県人と、長崎県人は原爆について十字架を背負っていると思っている。そして、われわれは世界平和について語る責任があると信じている。
ピカドンと呼ばれた原爆キノコ雲(写真)は、当時父母などの家族が住んでいて、広島市から35㎞も離れた呉市でもはっきりと見えたそうだ。それが何だかは分からなかったが、ただ事ではないことが起きたことは、みんな気がついたという。
今から71年前の1945年8月6日8時15分、広島で14万人が死亡。続く8月9日、長崎では8万人が死亡。この2日だけで少なくとも22万人の日本人が原爆によって一瞬のうちにこの世を去るという未曾有の市民大量殺戮が起きた。
今では、広島で約30万人、長崎で約17万人、合わせて47万人が原爆死没者名簿に記載されているそうだ。
生き残った被爆者もいわれのない偏見にさらされ、多くの人が貧しさと差別にあえいだ。
当時の情報統制や政治の貧困が「原爆病は触れると移るんではないか」とか「遺伝するのではないか」とか「被爆者と結婚すると奇形児が生まれる」という誤解や偏見をもたらすことになる。このようにして被爆者を市民生活から遠ざけたり、結婚に対する差別、就職差別が生まれた。
これは同時に、広島県人の悪いイメージを全国的に広めることになった映画でもあった。
広島の人はいつもこんな言葉を使っているの? やくざがこんなに多いところなの?
「広島の喧嘩言うたらよ、殺るか殺られるかよ」、「なめられたらしまいで。アヤ(言いがかり)つけられたら、かましちゃれ」ー「仁義なき戦い」ではこんな言葉などが使われた。
「仁義なき戦い 頂上作戦」はシリーズ第4弾だった。この映画の冒頭と最後に原爆ドームが現れ、この映画の裏テーマが戦争であることを如実に語っている。
チンピラの小倉一郎演じる野崎弘に殺人をそそのかす川田組組長のセリフがまたよかった。
「こんな(お前)もここらで男にならんと、もう舞台は回ってこんど」
野崎は「原爆スラム」に住んでいた。家の中のシーン。クズ屋なのか、母親が商売道具を整理している。頭が痛むらしく、苦しそうにうつむく。顔にはケロイドか。被爆者なのだろう。幼い弟妹が雑音だらけのテレビにかじりつく。力なく注意する母。泣きだす子供。
野崎の思いつめた顔がアップになる。「サラ(新品)のテレビ、買うちゃるけえ」 初めての人殺しへ、野崎は銃を取る…。
そして同じころ、あの歌謡曲の女王・美空ひばり(1989年、52歳で没、写真)が歌った反戦歌・「一本の鉛筆」。
その歌が初めて歌われたのは、1974年の第1回広島平和音楽祭。この歌詞を眺めるたびに涙がこぼれる。
「一本の鉛筆」は、彼女の歌のなかでは売れなかった部類に属するが、彼女自身は好きな持ち歌ベスト10曲の1つに入れている。
自分のカラオケの持ち歌にもなっていて、昨日も行きつけのスナックで歌ったものだ。
一本の鉛筆があれば私は、「『あなたへの愛』を書く 『戦争はいやだ』と書く 『子供が欲しい」と書く 『あなたを返して』と書く 『8月6日の朝』と書く 『人間の命』と書く」という言葉が胸を打つ。
美空ひばりの原曲の動画は何度も拙ブログでアップしてきたので、今回はクミコの歌で。
今年は、被爆者や遺族ら約5万人が参列し、海外からは過去最多だった被爆70周年の昨年に次ぐ91カ国と、欧州連合(EU)の大使らが出席した。
核保有5大国では米英仏露が参列し、米国は過去2年出席したキャロライン・ケネディ駐日大使に代わり、ロバート・ラプソン臨時代理大使が参列した。中国は2009年以降、欠席している。
8時15分、原爆が広島に落とされた運命の時間、自分も1分間の黙とうをささげた。自然に涙がほほを伝わって来るのが分かった。
今日も暑い日。こんなときに前代未聞の大惨事が起きたのだ。
奇しくも、今日はリオオリンピックの開会式と日時が重なった。こんなことは史上初めてのことだそうだ。
それでも、リオはこのことを無視したわけではなかった。
当初、ブラジルから平和のメッセージを送るため、当初、会場全体で黙とうをささげることを計画した。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)から政治的な行動にあたることを理由に反対され、別の手段で日本と広島への思いを伝えることにしたのだという。
松井一実・広島市長は(63歳、写真)は、平和宣言で、今年5月27日に現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領に言及。
演説を引用して「核兵器のない世界を追求する勇気」の重要性に触れ、国際社会の連帯で核廃絶を進める必要性を強調し、各国指導者に被爆地を訪問するよう重ねて要請した。
彼のスピーチ(下図)は多くの人の胸を打つ内容だったが、核兵器に対し、直接的な表現を避け、「絶対悪」と言っていたのが印象的だった。
松井一実・広島市長の平和宣言の後、ハトが会場上空に放たれ、平和を願った。
Scorpions/White Dove
<歌詞>
燃える空の下、名もない町 ここ神の国には、ミルクも蜂蜜もない 或る人は私達も人間であるという祝福に縋り付く そして陽は沈み、万物は動いてゆく
風のままに白い鳩が飛ぶ 認めなければならない世界に向かい翼に私達の希望を乗せ 希望というものは消えはしない そしてそこに涙を流す子供達がいる
聴衆のような激しい感情の高まり 何もかも置き去りにしたまま再出発すしようとすると、一片の木材にさえ躓(つまづ)いてしまう しかも新しい生活の代わりに彼らが手にするのは、閉ざされた道である、そして彼らは故国と名付けられた町を探し続ける
風の吹くままに白い鳩が飛ぶ 認めなければならない世界に向かい翼に私達の希望を乗せ 希望というものは消えはしない そしてそこに涙を流す子供達がいる(成田悦子氏訳)
心配なことが一つある。戦争体験の風化である。
昨年(2015年)、NHKが戦後70年にあわせて実施した世論調査で、広島市と長崎市に原爆が投下された日付について聞いたところ、「正しく答えられなかった人がそれぞれ全国で7割程度」あったことだ。
そして、戦後70年の世論調査の結果でもう一つ注目を集めたのが、「米国による原爆投下をどう考えるか」という質問への答えだった。広島市で44.2%が「やむを得なかった」と答え、「今でも許せない」(43.1%)を上回ったことだ。わずか1ポイント差で、世論調査の誤差の範囲内だが、約14万人の死者(1945年末まで)を出した被爆地で半数近くがその被害を「やむを得なかった」と答えたことだ。
全国の回答者で見ると「今でも許せない」が48.8%、「やむを得なかった」が39.6%、長崎では前者が45.7%、後者が40.8%で、広島とは逆の結果がでているという。
被爆者健康手帳所持者は、ピークの1980年の半分以下となる17万4080人。平均年齢は80.86歳(いずれも3月末現在)となり、被ばく者の高齢化や死亡が進んでいる。
全国の回答者で見ると「今でも許せない」が48.8%、「やむを得なかった」が39.6%、長崎では前者が45.7%、後者が40.8%で、広島とは逆の結果がでているという。
被爆者健康手帳所持者は、ピークの1980年の半分以下となる17万4080人。平均年齢は80.86歳(いずれも3月末現在)となり、被ばく者の高齢化や死亡が進んでいる。
その悲惨さを知らないで、歴史を振り返らない連中は、戦争というものをあたかも金儲けの手段や、ゲームのように思っているのだろうか。
最近の世相に、暗澹とした気分になるのは自分だけだろうか。
先の美空ひばりもそうだが、多くの大物タレントが原爆の悲惨さを歌っている。
吉田拓郎/いつも見てきたヒロシマ(1980年)
さだまさし/広島の空(1993年)
2005年公開のBBC WORLDのドキュメンタリー番組「HIROSHIMA」。このYouTube閲覧数は、世界中で620万人を超えている。
*原爆について、これまで拙ブログでは、「原爆記念日【その1】(2012/8/5)、原爆記念日【その2】(2012/8/6) 、広島原爆記念日(2013/8/7)、 原爆記念日に寄せて【その1】(2014/8/9) 、原爆記念日に寄せて【その2】(2014/8/10) 、70年目の原爆記念日(2015.8.9)と6回投稿してきた。