少し前の7月13日、朝日新聞「声」の欄でちょっとした論争があった。
題して、(どう思いますか)5月25日付掲載の投稿『「おやじ」と呼ぶのも差別だ』
◆まずは、その5月25日に掲載、大阪府在住・65歳の男性の意見。
ホンダ創業者の本田宗一郎氏は、社員から「おやじ」と呼ばれていたという。「ダメおやじ」や「ハゲおやじ」ではない。威厳があり、畏怖されつつも愛される「おやじ」である。
一昔前の日本経済は、そんな「おやじ」たちが牽引していた。彼らは、どこへ行ってしまったのだろうか。
「セクハラおやじ」「おやじ臭」などの言葉で、中高年男性は「役に立たない」「いやらしい」「汚い」というイメージが定着している。
電車でも、若い女性が中高年男性を露骨に避けている光景をみる。ダジャレを言う人に「おやじギャグ」と言って、「古くさい」「つまらない」という蔑視をあからさまにする場面もある。
「おやじ」が中高年男性を一括した蔑称として使われている気がしてならない。
これだけ男女差別・障害者差別・人種差別など様々な差別や差別用語に敏感な現代において、なぜあたりまえのように使用されているのか。中高年男性に負のイメージを持たせて軽視する風潮に、疑問を感じる。
それに対して、いくつかの意見が返ってきた。
それに対して、いくつかの意見が返ってきた。
■気にせずドンと構えませんか 神奈川県在住・47歳の主婦の意見
ご投稿にあるように、「おやじ」と呼ばれて傷つく男性がいるのかもしれません。たいへんお気の毒だと思います。
でも、「おやじ」という言葉自体が悪いわけではありません。ご投稿に「中高年男性を一括した蔑称」とありますが、親しみや敬意を込めて呼ぶ人も多いのではないでしょうか。
要は、言葉を発する人の心のありようが問題なのです。丁寧な言葉を並べて人を侮辱することもできるし、荒々しい言葉でも温かみをもって使うこともできるのですから。
私は中高年の男性に負のイメージは持っていません。同じ思いの女性はきっとたくさんいると思います。中高年男性のみなさま。ドンと構えてみてはいかがでしょうか。ちなみに、「おばさん」と言われるのを嫌う女性もいますが、私は気にしませんよ。
■イメージは威張っていて傲慢 東京都在住・43歳の主婦の意見
私の中の「おやじ」のイメージは「威張っている」「傲慢」。
自分の考えを押しつけ、私たちが意見を言おうものなら「生意気」と言いそうな男性だ。愛すべき存在ではない。
女性たちは心のモヤモヤを吐き出すために「おやじ」という言葉を使っている面があるように思う。
会社など様々な場面で、中高年男性は「権力者」であることが多い。面と向かって対峙するのははばかられるので、せめて同年代の男性をひとまとめにして「おやじ」と呼び、少しすっきりしているのではないか。
しかし、軽蔑する意味で「おやじ」と言うのは、やめたほうがいい。人をばかにしたり、容姿のことをあれこれ言ったりするのはとても失礼だ。人間、年齢を重ねて容貌が変わるのは自然なことなので。同様に「オバサン」「ババア」もやめていただけたら幸いである。
■再び輝くために内面磨こう 福岡県在住・68歳の男性の意見
■再び輝くために内面磨こう 福岡県在住・68歳の男性の意見
おやじとは、頼りになり、甘えたくなる存在であったはずだ。だが、ふと気付くと蔑称と化している。なぜだろうか。やり玉に挙がる世代の一人として、自らをじっと内観した。
人の外見や行動は、その人の内面が醸し出す結果だ。内面の人格や学識が豊かなら、飾らないでも人はひかれるものである。日頃から、どれほど自分を内観しているか、どう改めようと努力しているかで外見も行動も変わると思う。
我々おやじの中には、内面を高める努力を怠る一方、酔っぱらってわめき散らしたり、ささいなことで声を荒らげたりする人がいる。これでは、家庭や社会の中で鼻つまみにされ、蔑視されても仕方がないのではないか。 年を取るとだらけがちだが、内面を磨き続けることで、「おやじも輝く時代」を取り戻したいものである。
■黙々と頑張る頼もしい存在 広島県在住・83歳の主婦の意見
■黙々と頑張る頼もしい存在 広島県在住・83歳の主婦の意見
ご投稿を読み、大いに憤っている。中高年男性のイメージが「役に立たない」「いやらしい」「汚い」と、若い女性が嫌っているとは何事だ。
多くの中高年男性は若い人にこびるでもなく、そうかといって見捨てるでもなく、自分の役割をしっかり見つめている。夫は89歳。定年後は畑を作り、庭の手入れをし、黙々と働いている。日記にきちんと処し方も残している。息子は教師を定年退職して小説を書いているが、父への尊敬は失わない。「おやじ」とは呼ばず、「お父さん」と呼び方も変わらない。
親類や近所を見渡しても「おやじ」たちはみな威厳もあり、それでいて一家の役に立つ「ナンバーワン」ばかりだ。
おやじたちは今も黙々と頑張っていますよ。現代においても、れっきとした頼もしい存在だと思いますよ。
高校生の頃から、おじさん観察がクセです。私は「おやじ」という言葉は使いませんが、嫌なイメージはありません。
「ごっつい」「頼れる」という感じで、歌手の北島三郎さんを思い浮かべます。周りの女友だちも、蔑称として使う人はいません。
でも嫌だなと思うおじさんも載せました。みんないい人だと嘘になってしまうから。
個人的には、嫌なおじさんもいた方が描きがいがあります。
若者にはない味わいを醸し出すおじさんは、たくさんいます。「おやじ」と呼ばれたって、「若いのがなんか言っているな」ぐらいにさらりとかわすおじさんは、格好いいですよ。
◆自分の意見
「親父(おやじ)」は、血縁関係や上司部下では尊称になる。血縁関係の場合、女性は「おふくろ」である。
ところが、中年から壮年の男性に対し敬称を省いて呼べば蔑称となる場合がしばしばある。これを片仮名でオヤジと表記すれば、かなり悪い意味を含んでいることが多い。この場合、女性は「オバサン(オバハン)」とか「ババア」である。
自分は、息子たちから「親父(おやじ)」と呼ばれることがある。彼らは40歳そこそこなので、小さい子供がおやじと言うのとはわけが違う。結構、気に入っていっている。
確かに、他人からオヤジと呼ばれたら、いい気はしないだろう。実際、目下の若い連中からいきなり「おやじ」と言われたら、頭に血が上るかも知れない。その言葉には親しみなんて感じない。この場合は禁句だと思う。
ところが、フジテレビの「笑っていいとも!」で、2006年に「ちょい不良(わる)おやじコンテスト」というコーナーがあった。会社の人が出演し、社内で話題になったことがある。こんなのは、言われても不愉快にはならないよね。
要は、言われる相手次第だということと、相手の配慮さえあれば、「おやじ」と呼ばれても失礼にならないということだ。
以前、旅行していた見世物屋で、そこの中年男性から「おじさん」と呼びとめられたことがあった。そのときは旅行の間中、不機嫌だった。
若い娘から「おじさん!」と呼ばれる、こんな曲もある。こんな可愛い子から言われたら、まあいいか。
桜たまこ/東京娘(1976年)
それでは、「親父(おやじ)」の歌詞のある曲を。
○海には「おやじ」がつきもの
村木賢吉/おやじの海(1972年)
鳥羽一郎/兄弟船【おやじゆずりだぜ】(1982年)
○これぞ親父(おやじ)
さだまさし/親父の一番長い日(1979年)
吉田拓郎/おやじの唄
○東北の歌には親父(おとう)がよく出て来る
千昌夫/望郷酒場【おやじみたいなヨー】(1981年)
吉幾三/津軽平野【春には必ず親父は帰る】(1984年)
三山ひろし/お岩木山【越えたらおやじに似てきたよ】(2015年)
○突っ張っていたあの頃
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド/スモーキン・ブギ【おやじのまねして】(1974年)
浜田省吾/MONEY【親父のかわりに】(1984年)
○素敵な親父たちの曲
加山雄三とザ・ヤンチャーズ/座・ロンリーハーツ親父バンド(2010年)