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2016年箱根駅伝

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 今年の仕事始めだった1月5日(火)、会社の朝礼でこんなことを話した。
 
イメージ 4 「みなさんは今年の箱根駅伝をご覧になった方も多いでしょう。結果は2年連続で青山学院が優勝しました(写真)
 
 特に今年は一度も首位の座を奪われたことがなく、完全優勝という結果でした。これは39年ぶりの快挙ということでした。
 
イメージ 1 昨年、その原晋(はら すすむ)監督(48歳、写真中)の講演を聴きに行ったことがあったのですが、最初からではなかったそうですが、生徒に自主性を持たせたこと目標管理を徹底したことが成果につながったというお話でした。それでもここに至るには、十数年という長い年月を要したそうです。
 
 会社でも同じことで、優勝したからという結果論ではなく、タメになるお話ですね」
  彼は「旧態依然とした根性練習では今の子たちは付いてこない。1人1人に適合した新しいトレーニングで伸ばしていく」と強調。「学生スポーツだから人の入れ替わりはありますが、十数年かけて築き上げてきたものは、そう簡単には崩れない」という。
 
 2016年の箱根路を走った10人のうち、3年生が2人、2年生が3人、1年生が1人もいる。
 
 時代をとらえた指導が更なる黄金期をもたらすのか。
 
原晋監督のこと
 
主な経歴
 
 原晋監督は、広島県三原市出身。筆者(自分)の地元だ。
 
イメージ 3イメージ 2 昨年の12月20日に全国高校駅伝男女アベック優勝(写真)した駅伝の名門校、広島県・世羅高校。彼自身も中学から陸上を始め進学した世羅高校3年時の1984年、主将として全国高校駅伝2位に貢献(優勝:報徳学園)。世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し3年時に日本インカレ5000メートル3位。1989年、郷里の中国電力に入社し中国電力陸上競技部1期生として部創設に参加。1993年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献した。しかし1年目に故障し5年目の1995年、27歳で引退選手生活を終え、この後10年間、中国電力でサラリーマン生活を送る。
 
 同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の山口県徳山市(現・周南市)の営業所。ここで省エネ空調設備「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げ、「伝説の営業マン」を自称する。
 
 箱根駅伝の出走経験や出場校OBではなかったが36歳のとき、母校・世羅高校の関係者から誘われ2004年、青山学院大学陸上競技部監督に就任。
 
 「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言したため、就任3年目の2006年予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった。しかし、第85回(2009年)記念大会に於いて、史上最大のブランクとなる33年ぶりに同陸上部を箱根駅伝出場に導いた(22位)。第86回(2010年)大会では8位に躍進させ、41年ぶりのシード権獲得をもたらす。2012年の出雲駅伝で「大学三大駅伝」初優勝。2014年全日本大学駅伝3位。2015年第91回箱根駅伝で初の総合優勝に導いた。2015年第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝。2016年第92回箱根駅伝で2年連続優勝に導く。(Wikipedia参照)
 
 彼は、サラリーマン時代の経験を生かし、一つの世界で勝ちパターンを持っていると他の世界でも勝てる可能性が高いということを証明した。

トレーニング方法
 
イメージ 5 「フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉」(祥伝社、写真)を読むとその方法が良く分かる。(伝説の営業マンから箱根駅伝優勝へ! 青学 原晋監督から学ぶ成功メソッド参照)
 
 規則正しい生活をする
 
 まず規則正しい生活を徹底。反発を受けながらも「いい練習はいい生活から」と譲らず、食事を管理し、寮の門限を午後10時に決めた。消灯は22時、朝練習は530分から。もちろん原監督も朝練習から参加する。メディアには人懐こい笑顔を見せる原監督だが、練習中は温かい心と鋭い眼差しで選手たちを見つめているという。
 
 今後の目標・理由を書かせ、定期的に振り返りをする。
 
 サラリーマン時代に学んだのが、目標をクリアする喜び。選手にもA4サイズの用紙2枚に、目標達成率と今後の目標を理由とともに書かせた。昨年まで不定期だった目標管理シートを、今季から毎月提出させた。「選手が自立し、成長できた」。目標が明確になり、自己管理もできてケガも減った。まずは目標を短期、中期、長期で立てて、目標管理をしながら達成率を確認しながら進めて行く方法で学生たちを指導したそうだ。
 
 一律に指導するのではなくて、それぞれの目標を自分で立てさせて自分で管理させて、達成率を自分でチェックさせながら、自分自身の生命力を高めさせてモチベーションを監督の脅しではなくて自分自身で保たせたというところがポイントだ。
原監督流目標の立て方
 
 目標から逆算して計画を立てる
 
 やみくもに行動しているだけでは、成果はつかめない。ゴール(目標)を決めて逆算し、行動計画を立て、それにしたがって行動することこそが重要。「裏でどんなに泥臭いトレーニングを積んでいようが、表は青学のイメージどおりかっこよくキメられたら本望です」という。
 
 目標計画は長・中・短期で立て、目標を細分化する。
 
 最終目標だけを決めても漠然としていて、具体的な行動に繋がらない いつまでも遠~い目標になる。細分化することで、現時点でのやるべきことが分るのだ。
 
 例えば、箱根駅伝予選会突破=長期目標 チームで14分記録を縮める 10人で割ると1人1年で84秒縮める=中期目標 1ヶ月で1人7秒縮める=短期目標 というように。
 
 選手一人ひとりの良さ、学校やチームの雰囲気を尊重
 
 選手の勧誘は、青山学院大学の雰囲気に合う人物を選んだ。
 
 「頭の悪いやつ、しゃべりのできないやつはいらん。顔つきで選びましたね。暗いやつは選びません。生命力を感じる子」そして、安易に怒らずチームの雰囲気を大切に!監督・スタッフと話しやすい環境づくりをしたことで、チームの雰囲気が非常に良くなった。
 
 良いと思ったことは積極的に取り入れる
 
イメージ 6 今年度から青学陸上部は、新たにコーチやトレーナーをつけ、陸上界では常識である腕立て伏せなどをやめ、代わりに「体幹トレーニング」(写真)を取り入れた 5区で新・山の神と称えられた神野選手も、このトレーニングのお陰で記録が伸びたところは大きいとインタビューに答えていた。
 
 笑顔を忘れない
 
イメージ 7 表現力のある子はチームに笑顔や明るさをもたらす。辛い時に笑顔を作ると能力を発揮することは幸福学という研究にもあるとか。何かに挑戦するときことほど笑顔で明るくいることが大事!
 
 走り終えた選手たちはほとんど笑顔でこう言った「やばい!めっちゃ楽しい!」箱根駅伝の苛酷なレースを心から楽しんでいる。(写真)

箱根駅伝
 
箱根駅伝の概要
 
 自分も所属している神奈川県民の正月を語る上で欠かせないのが、毎年12日~3日に行われる箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)。
 
イメージ 8 コースは、東京都・大手町・読売新聞東京本社ビル前から、鶴見、戸塚、平塚、小田原の4中継所を経て折り返し地点の箱根・芦ノ湖までの往復。
 
 往路107.5km、復路109.6km、計217.1kmを20チーム+1チームで各10名の選手が駆け抜ける。
 
 第1回大会は、1920214日に行われ、第二次世界大戦中に一時中断され、1947年に復活した。第32回(1956年)から現在の123日の開催となった。

 
山の神

 
イメージ 11

イメージ 12 「山の神」とは、標高差874mもあり、現在は23.4kmを走る箱根駅伝の最も厳しい区間とされる5区(山登り区間)において、圧倒的な快走を見せる選手にメディアがつける称号。
 
 北村聡(日体大)が今井正人(当時順天堂大、現在トヨタ自動車九州所属、31歳、写真)を「5区に神がいる」と形容したのがきっかけ。
 
 彼が活躍したのは2005年から07年までの3年間。05年、2年時に5区に起用された今井は15位でたすきを受けると11人をごぼう抜きにし、4位でゴール。タイムも従来の記録を2分以上も縮める驚異的な区間新だった。翌年も5人を抜いて往路優勝に貢献、翌年の4年時も4人を抜いて区間新記録で往路優勝。この好走で流れをつかんだ順天堂大は6年ぶりの総合優勝を遂げる。まさにチームの飛躍を担った「山の神」だった。
イメージ 9 その称号を受け継いだ2代目山の神は2009年から12年まで箱根の5区を走った東洋大の柏原竜二(当時東洋大、現在富士通所属、26歳、写真)だ。
 
 1年時は8人をごぼう抜きにし、トップとの5分近い差を逆転し往路優勝(区間新)、総合優勝に貢献。2年時も6人を抜いて往路・総合優勝、3年時も2人を抜いて往路優勝、4年時は首位でたすきを受けたが、自身の区間記録を更新して往路優勝とともに総合優勝も決定づけた。

 今井と柏原は2人とも福島県の浜通り(今井は南相馬市、柏原はいわき市)の出身である。
 
 2013年に、2人でサッポロビールのこんなCMに出演している。
 

イメージ 10 そして3代目山の神が神野大地(青山学院大、22歳、写真)だ。
 
 昨年の91回大会から5区(6区も)のコースが変わり柏原の区間記録と比較はできないが、20m長くなったにもかかわらず、神野は柏原の記録を24秒上まわるタイムで5区を駆け抜けた。柏原の記録はしばらく破られないと思われていただけに驚きだった。

 第91回箱根駅伝では原晋監督により山上りの5区に抜擢され、1時間17分台を目標とした。そして、2位で襷を受け取ると序盤からハイペースで入り、10.5km過ぎで襷を受け取った時点で46秒差あった先頭を走る前評判で優勝候補筆頭に挙げられていた駒澤大学を抜くと、標高差864mの上り坂を平地のような走りで駆け上がり、最高点を過ぎてからの終盤の下り坂に入ってもペースを落とさず、1時間16分15秒という驚異的なタイムで、2位の明治大学に4分59秒の大差をつけ、大学史上初の往路優勝に貢献した。
 
イメージ 13 この記録は第90回箱根駅伝後の2014年2月7日をもって従来の5区及び6区の通過点となっていた函嶺洞門(写真)が通行禁止となり、第91回大会から函嶺洞門バイパスへとコースが変更となった ため、神野の記録は新コースでの区間記録となった。
 
 第90回大会以前の記録として参考記録となった、2012年の第88回箱根駅伝で当時・東洋大学の柏原竜二が記録した1時間16分39秒という驚異的な区間記録を、約20m延長されたコースで24秒上回った。

 また、神野以外にも4区でルーキー田村和希が区間新記録を樹立するなど往路では他の選手も好走したため、往路で5時間23分58秒を記録し、これもコース変更前の2012年の第88回箱根駅伝で東洋大が記録した5時間24分45秒を上回った。(Wikipedia参照)

 原監督は、関東の大学だけではなく、将来は全国の大学が参加可能なスケールの大きい箱根駅伝の開催を主張している。

 

 
 

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