今年の仕事始めだった1月5日(火)、会社の朝礼でこんなことを話した。
特に今年は一度も首位の座を奪われたことがなく、完全優勝という結果でした。これは39年ぶりの快挙ということでした。
会社でも同じことで、優勝したからという結果論ではなく、タメになるお話ですね」
彼は「旧態依然とした根性練習では今の子たちは付いてこない。1人1人に適合した新しいトレーニングで伸ばしていく」と強調。「学生スポーツだから人の入れ替わりはありますが、十数年かけて築き上げてきたものは、そう簡単には崩れない」という。
2016年の箱根路を走った10人のうち、3年生が2人、2年生が3人、1年生が1人もいる。
時代をとらえた指導が更なる黄金期をもたらすのか。
■原晋監督のこと
◆主な経歴
原晋監督は、広島県三原市出身。筆者(自分)の地元だ。
同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の山口県徳山市(現・周南市)の営業所。ここで省エネ空調設備「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げ、「伝説の営業マン」を自称する。
箱根駅伝の出走経験や出場校OBではなかったが36歳のとき、母校・世羅高校の関係者から誘われ2004年、青山学院大学陸上競技部監督に就任。
「箱根駅伝に3年で出場、5年でシード権、10年で優勝争い」と宣言したため、就任3年目の2006年予選会での16位惨敗に大学幹部から「話が違う」と責められ、長距離部門も廃部寸前になった時期もあった。しかし、第85回(2009年)記念大会に於いて、史上最大のブランクとなる33年ぶりに同陸上部を箱根駅伝出場に導いた(22位)。第86回(2010年)大会では8位に躍進させ、41年ぶりのシード権獲得をもたらす。2012年の出雲駅伝で「大学三大駅伝」初優勝。2014年全日本大学駅伝3位。2015年第91回箱根駅伝で初の総合優勝に導いた。2015年第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝。2016年第92回箱根駅伝で2年連続優勝に導く。(Wikipedia参照)
彼は、サラリーマン時代の経験を生かし、一つの世界で勝ちパターンを持っていると他の世界でも勝てる可能性が高いということを証明した。
◆トレーニング方法

まず規則正しい生活を徹底。反発を受けながらも「いい練習はいい生活から」と譲らず、食事を管理し、寮の門限を午後10時に決めた。消灯は22時、朝練習は5時30分から。もちろん原監督も朝練習から参加する。メディアには人懐こい笑顔を見せる原監督だが、練習中は温かい心と鋭い眼差しで選手たちを見つめているという。

サラリーマン時代に学んだのが、目標をクリアする喜び。選手にもA4サイズの用紙2枚に、目標達成率と今後の目標を理由とともに書かせた。昨年まで不定期だった目標管理シートを、今季から毎月提出させた。「選手が自立し、成長できた」。目標が明確になり、自己管理もできてケガも減った。まずは目標を短期、中期、長期で立てて、目標管理をしながら達成率を確認しながら進めて行く方法で学生たちを指導したそうだ。
一律に指導するのではなくて、それぞれの目標を自分で立てさせて自分で管理させて、達成率を自分でチェックさせながら、自分自身の生命力を高めさせてモチベーションを監督の脅しではなくて自分自身で保たせたというところがポイントだ。
◆原監督流目標の立て方

やみくもに行動しているだけでは、成果はつかめない。ゴール(目標)を決めて逆算し、行動計画を立て、それにしたがって行動することこそが重要。「裏でどんなに泥臭いトレーニングを積んでいようが、表は青学のイメージどおりかっこよくキメられたら本望です」という。

最終目標だけを決めても漠然としていて、具体的な行動に繋がらない いつまでも遠~い目標になる。細分化することで、現時点でのやるべきことが分るのだ。
例えば、箱根駅伝予選会突破=長期目標 チームで14分記録を縮める 10人で割ると1人1年で84秒縮める=中期目標 1ヶ月で1人7秒縮める=短期目標 というように。

選手の勧誘は、青山学院大学の雰囲気に合う人物を選んだ。
「頭の悪いやつ、しゃべりのできないやつはいらん。顔つきで選びましたね。暗いやつは選びません。生命力を感じる子」そして、安易に怒らずチームの雰囲気を大切に!監督・スタッフと話しやすい環境づくりをしたことで、チームの雰囲気が非常に良くなった。


走り終えた選手たちはほとんど笑顔でこう言った。「やばい!めっちゃ楽しい!」箱根駅伝の苛酷なレースを心から楽しんでいる。(写真)
■箱根駅伝
◆箱根駅伝の概要
自分も所属している神奈川県民の正月を語る上で欠かせないのが、毎年1月2日~3日に行われる箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)。
往路107.5km、復路109.6km、計217.1kmを20チーム+1チームで各10名の選手が駆け抜ける。
第1回大会は、1920年2月14日に行われ、第二次世界大戦中に一時中断され、1947年に復活した。第32回(1956年)から現在の1月2・3日の開催となった。
◆山の神
北村聡(日体大)が今井正人(当時順天堂大、現在トヨタ自動車九州所属、31歳、写真)を「5区に神がいる」と形容したのがきっかけ。
彼が活躍したのは2005年から07年までの3年間。05年、2年時に5区に起用された今井は15位でたすきを受けると11人をごぼう抜きにし、4位でゴール。タイムも従来の記録を2分以上も縮める驚異的な区間新だった。翌年も5人を抜いて往路優勝に貢献、翌年の4年時も4人を抜いて区間新記録で往路優勝。この好走で流れをつかんだ順天堂大は6年ぶりの総合優勝を遂げる。まさにチームの飛躍を担った「山の神」だった。
その称号を受け継いだ2代目山の神は2009年から12年まで箱根の5区を走った東洋大の柏原竜二(当時東洋大、現在富士通所属、26歳、写真)だ。
1年時は8人をごぼう抜きにし、トップとの5分近い差を逆転し往路優勝(区間新)、総合優勝に貢献。2年時も6人を抜いて往路・総合優勝、3年時も2人を抜いて往路優勝、4年時は首位でたすきを受けたが、自身の区間記録を更新して往路優勝とともに総合優勝も決定づけた。
今井と柏原は2人とも福島県の浜通り(今井は南相馬市、柏原はいわき市)の出身である。
2013年に、2人でサッポロビールのこんなCMに出演している。
昨年の91回大会から5区(6区も)のコースが変わり柏原の区間記録と比較はできないが、20m長くなったにもかかわらず、神野は柏原の記録を24秒上まわるタイムで5区を駆け抜けた。柏原の記録はしばらく破られないと思われていただけに驚きだった。
第91回箱根駅伝では原晋監督により山上りの5区に抜擢され、1時間17分台を目標とした。そして、2位で襷を受け取ると序盤からハイペースで入り、10.5km過ぎで襷を受け取った時点で46秒差あった先頭を走る前評判で優勝候補筆頭に挙げられていた駒澤大学を抜くと、標高差864mの上り坂を平地のような走りで駆け上がり、最高点を過ぎてからの終盤の下り坂に入ってもペースを落とさず、1時間16分15秒という驚異的なタイムで、2位の明治大学に4分59秒の大差をつけ、大学史上初の往路優勝に貢献した。
第90回大会以前の記録として参考記録となった、2012年の第88回箱根駅伝で当時・東洋大学の柏原竜二が記録した1時間16分39秒という驚異的な区間記録を、約20m延長されたコースで24秒上回った。
また、神野以外にも4区でルーキー田村和希が区間新記録を樹立するなど往路では他の選手も好走したため、往路で5時間23分58秒を記録し、これもコース変更前の2012年の第88回箱根駅伝で東洋大が記録した5時間24分45秒を上回った。(Wikipedia参照)
原監督は、関東の大学だけではなく、将来は全国の大学が参加可能なスケールの大きい箱根駅伝の開催を主張している。