今年1年の無病息災を祈るこの風習は、平安時代ごろから始まったようだが、1月の7日の朝に七草粥を食べるというのは江戸時代からだそうだ。
セリは、野外で採取する場合、小川のそばや水田周辺の水路沿いなどで見られるが有毒なドクゼリとの区別に配慮が必要である。ナズナは、別名ペンペングサと呼ばれ、畑や水田、道端、荒れ地などに普通に見られる1年草。ゴギョウは、早春の田の縁に多いが、山の中の少し湿り気がある林の縁や都市の道端など幅広い環境で見かける。ハコベは、畑、道端に生える2年草。ホトケノザ(タビラコ)は、春先の水田でよく見かける。越年生で、冬越しの根生葉は田にぴったりはりつくように、広がっている。スズナ(カブ、カブラ)は、栽培種なので畑(農園・貸し農園)以外に自然では見られない。スズシロは、現代でいうダイコン(大根)の事だ。
これらの七草はそれぞれに薬効があるようだ。
セリは鉄分が豊富で、ナズナは解熱・利尿によく、ゴギョウは咳や痰を取り、ハコベはミネラルを多く含み、ホトケノザは解毒作用があり、スズナは便秘によく、スズシロは消化酵素ジャスターゼを多く含むと聞けば、お節や屠蘇で疲れた胃袋を癒すにはもってこいの薬効食材といえよう。
その昔は春の七草を用意するのも大変だったと思う。
1月6日の夜、あらかじめ用意したセリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの「七草」をまな板の上に載せ、以下の歌を歌いながらしゃもじやお玉杓子、包丁の背などで叩いて細かくする。
七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン
明けて7日の朝に粥を炊き、叩いた七草と塩を入れて七草粥にする。そして朝食として食べる。
しかし、七草粥は七草すべてが使用されるわけではなく、また地方によっても食材が異なる。
気候や降雪の関係で七草が摘めない東北地方では、七草を使わない粥を炊く。山形県の村山市周辺ではゴボウ、ニンジン、こんにゃく、ずいき、油揚げなどを入れた納豆汁、七草汁を1月7日の朝食として食べる。最上川流域では1月7日に新米の握り飯を12個作り、箕の上に乗せて柳の箸を刺して「おみ玉」として飾る。その後で握り飯を崩して煮込み、野菜、昆布、干し柿、栗を入れたものを「七草粥」と呼ぶ。
気候的に七草が入手できる地帯でも七草ではなく、ありあわせの青菜、さらに根菜や油揚げなど大豆製品をも含めて「7種」取りそろえる場合や、九州南部のように鶏肉を加える地方もあるという。
調理法も白粥のみではなく、鰹節で出汁を取り醤油や味噌で味付けして「雑炊」にする地方や、四国の瀬戸内海沿岸のように「和え物」「お浸し」で七草を食べる地方、九州北部のように汁物に加工するなど、全国でバリエーションは豊富である。(Wikipedia参照)
春の七草の多くが「野に咲く花」でもある。
左より「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」
みんな可憐な花が咲く。しかも目立たずひっそりと。こういう花を大切にしいつも愛しんでいれば、いさかいや紛争は無くなるのではと思ってしまう。
ダ・カーポ/野に咲く花のように(1983年)
夫婦のデュオ、ダ・カーポが歌った。作詞:杉山政美作曲:小林亜星。小中学校の音楽教科書に掲載されている。
<歌詞>野に咲く花のように 風に吹かれて 野に咲く花のように 人をさわやかにして そんな風に僕たちも 生きてゆけたら素晴らしい 時には暗い人生も トンネル抜ければ夏の海 そんな時こそ野の花の けなげな心を知るのです…
冨田勲/「だいこんの花」テーマ曲(1970年)
「だいこんの花」は、元艦長の親子を中心としたホームドラマ。シリーズ化され、1970年から1977年まで5部がNET(現・テレビ朝日)で放送されたVTR作品。主演は竹脇無我、森繁久彌は特別出演扱い。メインライターは最初松木ひろしで後に向田邦子。
元海軍大佐で巡洋艦「日高」(架空の船名で実在しない)の艦長も務めた永山忠臣は、早くに妻を亡くしてからは一人息子・誠を男手ひとつで育て上げた。忠臣は妻を「だいこんの花のような、素朴だが美しく控えめな人だった」と常々語り、結婚適齢期になった誠にも「妻を娶るならだいこんの花のような人を」と口うるさく言うのであった…。
オープニングでは森繁久彌による詩を竹脇無我が朗読する。
「人知れず/忘れられた茎に咲き/人知れず/こぼれ散り/細かな白い/だいこんの花/久弥」
Wikipedia参照