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のど自慢

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 カラオケが好きになったのはいつごろからだろうか。小さい頃から「音楽」が苦手科目で、学校の成績も音楽だけは悪かった。「おたまじゃくし」が読めない。性格が内気だったせいもあり、人前で歌が歌えない。
 
 営業部門に配属になり、こんなことではまともにお客とお付き合いが出来ないと思い、せっせとスナックに通い、飲めないお酒とともにカラオケの訓練をした。
 
 歌に多少自信がついたのはこんな出来事があってからだ。
 
イメージ 1 歌っていても自分の声がどんなものかわからなかった。それが、あるスナックで歌を録音してくれたのを恐る恐る聴いてみた。ー自分が想像していた声と全然違うではないか。ー実は、思ったより良かったのである。
 
 お酒も、カラオケも、若い頃は嫌いな方のベストだったのが、今は好きなベストになっている。当時はとても想像がつかなかった現在の姿だ。
  それでも、のど自慢大会に出ようとは思わない。とても素面で歌えるものではない。しかも、アルコールが入って5~6曲目位から調子が出てくるスロースターターだ。
 
NHKのど自慢大会の経験
 
イメージ 3 実は「NHKのど自慢」は、全く別世界のことではない。といっても自分のことではない。
 
 もう四半世紀も前のことになるが、山口県周南市に住んでいた頃、妻の友人の女性が2人で、防府市公会堂で行われる「NHKのど自慢大会」に応募、出場した予選と本選を家族みんなで見に行ったことがある。(これはそのときの写真ではありません)
 
 妻は予選落ちしたが、友人は本選に受かった。それが、午前の録画で当日の放映という珍しいことだったので急いで家に帰りお昼のテレビ放送を見た。
 
 隣に座ってテレビを見ている友人がNHKの全国放送の画面一杯に映っている。ー妙な興奮を覚えたものだった。
 
  当時家族同士でよくカラオケに行き、ご主人とはゴルフ仲間だった。もちろん、彼女はのど自慢大会に出るほど歌がうまいのだが、そのときは鐘2つで、みんながっかりした。
 
サザエさんをさがして のど自慢(朝日新聞12月9日号)
 
イメージ 2 1946年1月19日に「のど自慢素人音楽会」という名でラジオ放送が始まった「NHKのど自慢」
 
 もうすぐ70年を迎えようとし、紅白歌合戦とならぶ最長寿番組だが、一度「放送開始から2年余りたち、素人が歌うのはどうかという声がNHK内で高まり、番組が中止になろうとしていたころです。これを最後にと、1948年3月21日に全国コンクールが開かれることになったら、3万数千人の応募者が殺到したんですよ」
 
 結局、この人気で番組中止は立ち消えになり、全国コンクールも毎年の行事になった。53年にはテレビ放送が始まり、70年目の今年、放送回数は3,300回を超え、番組出場者は12歳から102歳までの約7万9千組、予選出場は約74万組に。
 
 「のど自慢は当時のNHKディレクターで、作曲家の三枝成彰さんの父、故・三枝健剛さんの発案といわれる。三枝さんは、戦時中の厳しい軍隊生活で、演芸会となると、みんながハメをはずして歌い出したことに発想のヒントを得たそうだ。
 
 46年1月、初の予選があったNHKには早朝から応募者が詰めかけ、午後1時までに900人が並んだ。誰もが空腹の時代だったが、戦時中の軍歌一色の時代を経て、人々は歌うことにも飢えていた。秋田から3日かけて来た人もいたという。
 
 現在も応募者は毎回平均で千組。はがきで250組に絞り、さらに放送前日の予選で20組を選ぶ。のうまさだけでなく、いかに歌が好きかが重視される。「毎回一人一人のドラマに感動し、歌は人の心をつなぐものだと実感します」

名物アナウンサー
 
 名物アナといえば何と一つても宮田輝アナ(1990年、68歳で没、写真左端)だ。1949年からライバルの高橋圭三の後任として司会を担当、1966年まで続けたが、彼が出演しなくなると応募が減った。
 
 そして、一時の低迷期を乗り越え、70年にゲストなどを登場させるリニューアルで復活。金子辰雄アナ(85歳、1970-1987担当、写真左から2番目)の名司会ぶりも長年続き、現在は小田切千アナ(46歳、2013-、写真右端)が担当している。(は主な担当アナ)
 
イメージ 4

のど自慢大会出身の歌手
 
 「歌手を目指すわけでもない素人が歌う歌番組は世界でも珍しい」とはいうものの、NHKのど自慢大会をきっかけに歌手になった人は多い。
 
 のど自慢大会に出演した歌手は、美空ひばり【昭和21年(9歳)】、荒井恵子【 昭和23年】、若原一郎 【昭和23年】、北島三郎五木ひろし島倉千代子倍賞千恵子大津美子田中星児【昭和43年】 、晴山さおり【昭和63年】、水田竜子【平成4年】 、ジェロ【平成15年】、三山ひろし【平成16年】、川野夏美など。

 石澤智幸(テツandトモ) や、荒牧陽子青木隆治 もそうだ。
人気の歌手の歌
 
 参加20組の内の半数以上は「演歌」を歌うという。
 
  美空ひばり「悲しい酒」「川の流れのように」「柔」、小林幸子「悲しい酒」、細川たかし「北酒場」、北島三郎「函館の女」「北の漁場」「風雪流れ旅」、鳥羽一郎「兄弟船」「男の港」、小林旭「昔の名前で出ています」などが人気とか。(http://www.gooz.biz/060/syouwa-enka/参照)
 
 1950年頃のNHKのど自慢ではほとんどの男性出場者が、伊藤久男「イヨマンテの夜」を選択し、審査員を困らせたという逸話があるぐらい声量自慢の年配者が歌う曲の定番だったときもある。
伊藤久男/イヨマンテの夜(1949)
 

のど自慢大会を題材にした映画
 
イメージ 5●古くは「のど自慢狂時代」(1949年)

 斎藤寅次郎が監督し、東横映画が製作、大映が配給して公開した日本の長篇劇映画。美空ひばりの映画デビュー作として知られる。

 1946年(昭和21年)に放送を開始した人気ラジオ番組『のど自慢素人演芸会』(現在の『NHKのど自慢』)を題材にしたコメディ映画である。
 
 「ピアノの先生」役を演じた和田肇は、俳優和田浩治の父である。のちに東映名誉会長となる若き日の岡田茂が、「進行係」として本作に携わった。
「のど自慢」 (1998年)
 
 イメージ 6ドサ回りを続ける売れない女性演歌歌手(室井滋)が、地元・群馬県で催される「NHKのど自慢」に身分を隠してアマチュアで出演するに至るまでの経緯や出場者の人間模様をドキュメンタリー風に描いたもので、金子辰雄が劇中の司会者役で出演した。(井筒和幸監督
 
 NHKは番組のしくみなどを提供しており(制作には関与していない)、予選やリハーサルなど制作の内幕を垣間見ることができる。派生作品として翌1999年に「ビッグ・ショー! ハワイに唄えば」も公開された。
 
 それにしても、なぜ人は「のど自慢」で歌うのか。
 
 映画「のど自慢」でそれに出ようとする人々を描いた井筒和幸監督(62歳)は「いまだ不思議やね」と首をかしげる。「プロは人のために歌うが、素人は自分のために歌う。時にそれは“ハタ迷惑で恥知らず”。きっと歌うことで救われたい、社会とつながりたいと思う人が多いんやろうね。裏返せば、普段社会とつながりをもてていない日本人の姿を表している」
 
 さらにこうも分析する。「素人でOKという文化では、本物のプロの才能はどうでもいい。それがのちにみんながマイクをもとうとするカラオケ文化や、人気優先の総アイドル文化へとつながっていったのでは」
(Wikipedia 参照)
 
 

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