『考えてみてください。世界でも有数といわれる美しい海岸(辺野古)に、「自分たちの税金で外国軍の基地を造ろうとしている。本当にメチャクチャな話ですよ。
でも利権を持つ軍部から「イイんだよ。あいつらがそれでイイって言ってるんだから」と言われたら、国務省側は黙るしかない』
というくだりがあるが、どうもそれは事実のようだ。
(沖縄)米「望まれない駐留しない」 戦後70年・第4部 (朝日新聞 2015/6/9 )
これを受けて守屋は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移転先として、極秘裏に北海道と高知県に候補地を探し始めた。沖縄には、米陸海空軍と海兵隊の4軍すべてが基地を構えるが、普天間飛行場は最大兵力の海兵隊の基地だ。
しかし、その年の3月、台湾総統選挙を前に、中国が台湾近海にミサイルを撃ち込んだ。北朝鮮の核・ミサイル開発も東アジアの緊張を高めた。情勢が緊迫するなかで、県外移転案はおのずと立ち消えになった。
日本政府中枢は、一貫して米軍の存在を重視していた。防衛庁防衛局長の秋山昌廣(現在75歳)は「海兵隊を日本から引かせることは周辺国に誤ったサインを与える。絶対に避けるべきだ」と主張していた。沖縄以外で引き受けるところがなければ、他に選択肢はない。
日米両政府は96年4月、普天間飛行場の返還や砲撃演習の本土移転などに合意したが、県内に代替施設を求めることになり、大幅な兵力削減はなくなった。
■「基地は抑止力」日本期待
そもそも日米両国にとって、沖縄はどんな存在なのだろうか。ここで時計を巻き戻す。沖縄の返還直後、両国間でこんなやりとりがあった。
民主党の実力者、上院院内総務のマイク・マンスフィールド(2001年、98歳で没、写真右)との会談でのことだ。
マンスフィールド「防衛面でも、一方的依存はだんだんなくなるのではないか。遠からず、沖縄を含め米軍基地が全面返還される時が来るのではないか」
佐藤「そのような事態が早急に到来するのは好ましいことではない」
当時、外務省の沖縄班長として返還交渉にも関わり、長く安保を担当した元国連大使の佐藤行雄(現在75歳)は「在日米軍の存在は、米国の抑止力の鍵である。それを攻撃すれば自動的に米国を巻き込むことになる」と考えていたという。
そしていま、「沖縄にとって不幸なことに、東シナ海や南シナ海での中国の動きは、日本全体の安全保障にとっての沖縄の重要性をかつてないほど高めている」と指摘する。
■海兵隊の必要、疑う声も
2009年発足の民主党政権下では、首相の鳩山由紀夫がいったん打ち出した普天間飛行場の県外移設案が迷走し、結局撤回に追い込まれた。これを機に、沖縄の海兵隊は抑止力になるのかという声が強まる。
「(極東最大の)空軍嘉手納基地は同盟にとって死活的に重要だが、海兵隊基地の重要性について納得できる説明を聞いたことがない。政治的なコストは非常に高いにもかかわらずだ」
日米同盟を最重要視するからこそ、沖縄の基地を減らすべきだと主張する。
「普天間でもし事故が起きたら、日米関係に壊滅的な影響をもたらすからだ。19年間も動いていない移設計画は実効性が疑わしい」
だが現時点で、辺野古移設をひっくりかえす風は吹いていない。日本政府も「沖縄に基地が存在することで抑止機能を果たす」という見解を譲らない。
現地時間6月4日に終わった沖縄県知事の翁長雄志の訪米で、移設反対を伝える知事に対して、米側は「辺野古が唯一の解決策」という既定路線を繰り返した。
中央政府の力が地方を押し込むのか。それとも知事が言うように「ものごとが前に進んで挫折することは安保体制に大きなリスクを伴う」ことになるのか。事態は膠着したまま、沖縄と本土の溝は、いっそう深まっている。
もう一つ、似た記事が。(戦後70年)米軍撤退「日本が望まず」(朝日新聞 2015/6/9)
外交史上初の衛星を通じた同時調印式である。東京側にいた国務省法律顧問、チャールズ・シュミッツ(現在77歳)はテレビの向こうとの空気の違いに気づいた。
日本は格式張っており、首相の佐藤栄作の音頭で乾杯をした。一方、早朝のワシントンでは、米国務長官ロジャーズらがコーヒーとドーナツを手にしていた。
沖縄返還は「ルイジアナ購入」以来の最良の取引だったと後年、彼は語る。19世紀初頭、広大な土地をフランスから安価に買った史実を引き、返還がいかに得だったかを示す発言だ。
「なぜなら、必要なものはすべて手にしたから」。シュミッツはワシントン近郊の自宅でそう話した。
返還交渉で米側が目指したのは、基地を維持して自由に使用すること。沖縄に使った資金を日本から回収し、統治コストを負わせること。復帰後の沖縄を運命づける原点が、ここにある。
資金回収するための日本あての「請求書」を書くのがシュミッツの仕事の一つだった。要求したのは3億2千万ドル(当時の1152億円)。「返還後5年は日本が基地を追い出さない」と仮定して算出した額だという。
「基地が永遠に居続けるとは思わなかった。控えめに見積もって5年か、と」
70年前後、安保条約と返還交渉に反対する運動が激化していた。その後40年以上も沖縄に米軍基地がとどまるとは、担当者ですら想像できなかった。
なぜ動かなかったのか。ヒントになる証言がある。
「『彼ら』は我々を沖縄から追い出したくなかった」。沖縄少女暴行事件があった95年に駐日大使を務めていたウォルター・モンデールが離任後、国務省の聞き取り調査に語った言葉だ。
現在、米中西部ミネアポリスにいる87歳のモンデールを訪ねた。任期中に最も心を痛めたのはあの事件だった、と彼は口を開いた。
「彼ら」とは誰ですか。
「日本の指導者から聞いた。改善はして欲しいが撤退は望まない、と。誰かは覚えていない」
調査には、「事件直後、米軍が沖縄から撤退するか、少なくとも駐留を大幅に減らすべきかという話にまで及んだ」と証言していたが、取材には多くを語らなかった。
「これは日本で決めるべき、日本の問題なんだよ」
事件から20年。ミシシッピ川を望む部屋で、モンデールは窓に目を向けた。
20万人の戦死者といわれる約半数は民間人だった。
今、日本が平和なのは沖縄の人たちの礎(いしずえ)にあることを、日本人全体が感謝しなければならない。
戦争の足音が聞こえてくる気配がする今日だけに、じっと平和を噛みしめたい日にしたい。
毎年、この日には糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行なわれる。(写真)
沖縄県は沖縄全戦没者追悼式での翁長雄志知事の平和宣言で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を進める政府に、移設作業の中止を決断するよう求める文言を盛り込む方向で、最終調整に入ったそうだ。
昨年の知事選で公約に掲げた「辺野古反対」の意思を、就任後初の平和宣言で明確に打ち出す狙いがある。
平和宣言で知事は「政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます」と訴える方向だ。
追悼式は糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれ、安倍晋三首相ら政府関係者、キャロライン・ケネディ駐日米大使の参列を予定している。
彼らは果たして何を語るつもりなのだろうか。
石嶺聡子/花~すべての人の心に花を~(1980年)
森山良子/さとうきび畑(1975年)