日本語の「挨拶(あいさつ)」は、元々禅宗の用語だったそうだ。
修行者が互いの修行の成果を質問し合う事によって悟りや知識見識等の深さ浅さを、確認する行為で、そこから民間へと広まり、人と会った時にとりかわす儀礼的な動作や言葉・応対などを言うようになったという。
なぜ、あいさつが大切かというと、あいさつは「自分の心を開く」ことで、「あなたの敵ではありません」という合図となり、コミュニケーションの入り口であるからだ。
コミュニケーションは、お互いに味方であることを確認して初めて成立するのだ。
第一印象であいさつが大切と言われるのは、互いに味方かどうかの確認作業が必要だからで、反対に、あいさつを相手が返さないと嫌な気分になるのは、相手が自分に対して敵意をもっていると、こちらが受け取るからだ。(http://matome.naver.jp/odai/2142280253332215001参照)
あいさつは社会人としての基本で、最も重要なことの一つでもある。
自分に限らず多くの会社の採用担当者は面接時、あいさつができるかどうかを重要なポイントとしている。
あいさつがまともにできない人間を採用してはならない。
それは、あいさつがその人の全てを物語るからである。
ある著名な社長がこのように言っている。-『社員が「おはようございます」とあいさつできない会社は、絶対収益が上がりません。あいさつが出来ていないのに収益が上がっている会社があったら教えて欲しい』
技術系の大手派遣会社の社長は、テレビの番組で、『ある会社の業績が悪くなり、派遣会社の社員を大幅に減らしたことがあったが、当社だけは減らされなかった。理由を聞くと、「お宅の社員は技術が特に高いと言うわけではないが、あいさつをきちんとし、当社の社員の模範になっているからだ」といわれた』と、あいさつの重要性を強調していた。
新入社員教育ではほとんどの会社が「マナー研修」を行い、あいさつの訓練に余念がない。ところが、研修後しばらくたつと、俄(にわか)仕込みの新入社員はあいさつをしなくなる。
それは、あいさつをしても先輩があいさつを交わさないからだ。
研修でいくら見返りを期待しないように教えても、あいさつが返ってこないむなしさは残るものだ。
「お礼がなくても、返信がなくても気にしないようにしましょう。とは言っても、相手の人の心の中に、確実に小さな変化が起こっています。例えば、あなたに対する好感度はわずかでも確実にあがっているはずです。好感度が上がるだけでも、大きなメリットなのです。」
若いころ、得意先の大手スーパーのバックヤードのエレベーターで誰かれ構わずあいさつしている若い社員に出会ったことがあり、今でも強烈な印象が残っている。
そして、つい最近のことだが、女学生がバスを降りるとき「ありがとうございます」とあいさつしていて、何だか心が暖かくなった。悲しいかな、自分にはそんな勇気がない。
あいさつの歌を。今回は邦楽編その1。
おはよう
谷山浩子/おはようございますの帽子屋さん(1975年)
斉藤こず恵/山口さんちのツトムくん(1976年)【おはよう 返事がない】
梓みちよ/こんにちは赤ちゃん(1963年)
三波春夫/世界の国からこんにちは(1967年)
唱歌 どんぐりころころ【ドジョウが出てきてこんにちは】
とけいのうた【こんにちは さようなら】(1953年)
こんばんは
童謡 おもちゃのチャチャチャ【らっぱならしてこんばんは】(1959年)
藤島桓夫/お月さん今晩は(1957年)
おやすみ
南こうせつ&夏川りみ/僕の胸でおやすみ(1973年)
布施明&森山良子/そっとおやすみ(1970年)
続く。