桃太郎、金太郎、浦島太郎と言えば「三太郎」と呼ばれ、日本で有名なおとぎ話の主人公だが、各地に伝説があることは今まで知らなかった。
調べているうちに如何に知識が不足し、しかも曖昧であることも分かってきた。
金太郎は足柄山の金太郎であり、静岡県足柄村の伝説のはずだった。
浦島太郎も日本各地に伝説が存在するという。
まずは桃太郎。有名なのはこの二つ。
○岡山の桃太郎伝説
この温羅伝説における温羅は、吉備津彦命以前に吉備国を支配していた旧勢力であった、もしくはそれに製鉄技術を供与していた渡来人乃至は地来の豪族であり、旧勢力に義理立てするために吉備津彦(ひいてはヤマト王権)と戦った、と言う見方がある。
なお、鬼ノ城築城の目的については、663年の白村江の戦いにおける敗北から、唐・新羅の連合軍が本土に侵攻するのではないかと危機感を抱いた当時の政権が、西日本各地に築かせた古代山城の一つであるという説が知られているが、今でも謎が多いとされる。
○高松の桃太郎伝説
この伝説が知られるようになったのは、高松の教師だった橋本仙太郎が1930年(昭和5年)、四国民報(現・四国新聞)に掲載した論文『童話「桃太郎」の発祥地は讃岐の鬼無(きむ)』に始まる。
古文書研究などから桃太郎伝説は実話で、鬼無という地名からその場所が現在の鬼無地区であることをまとめ、40歳の時にその論文を発表するに至った。
その論文によると
●鬼:高松市沖にある女木島(鬼ケ島)(写真)を本拠としていた海賊。
当時、鬼達は周辺各地に出没して非道の悪事を重ね、住民は恐怖の毎日を過ごしていた。その頃、地方開拓のためこのあたりに立ち寄った桃太郎は高松・本津川で洗濯をしていた美しい娘(お婆さん)に一目惚れした。そこで、悪事を重ねる鬼の話を知ると2人の住む「神高」に養子入りして、鬼退治のため援軍を募り、犬・猿・雉をはじめ多くの強力な軍勢を仲間にした。桃太郎はお婆さんの作った「黍団子」を腰に、鬼の本拠である女木島へ出撃し激戦の末、大勝利を収めて無事凱旋した。
この論文が発表された翌年の1931年(昭和6年)には彼によって女木島に人工の大洞窟が発見され、論文の効果と相まって桃太郎伝説の信憑性は一気に高まったという。
続いて、金太郎。
金太郎は、京に上り、頼光四天王の一人と言われた、坂田金時(956年~1012年)の幼名。または、金太郎を主人公とする昔話、童話の題名である。
滋賀県長浜市と米原市は、昔は坂田郡であり、坂田金時は坂田郡の人であると伝えている。今も長浜市には足柄神社や芦柄神社が何カ所もあり、子ども相撲が今も連綿と行われている。 ○長崎県対馬市では、海神神社や和多都美神社など海神系の神々を祀る古社が多く、古くから龍宮伝説が残っている。 最後は浦島太郎。 浦島太郎についても、日本各地に龍宮伝説として残っている。 ○宮城県気仙沼市には、山神様と龍宮様が争いをして、龍宮様が勝った話が漁師に伝承されている。この話は、海資源の豊かさと優位性を語ったものとされる。 ○福島県二本松市(旧塩沢村)では、ある人が川で鍬(くわ)を洗っていて、誤って水中に落とし、水底を探し回っていたら龍宮まで辿りついてしまった。その龍宮では、ただ1人、美しい姫がいて、機織りをしていた。3日目に村へ帰るが、村では25年ほどの時が過ぎていた。その記念として、機織御前の御社を建てた。 ○琵琶湖では、藤原秀郷の伝説の一つ「大百足退治」において語られる。龍宮の王は大百足を退治した礼として秀郷に避来矢と呼ばれる神秘的な大鎧を与えた。 ○三重県志摩市では、伊雑宮(いざわのみや)(写真)に竜宮から戻った海女が持ち帰ったといわれる玉手箱が保管されている。
ここで紹介した名所・旧跡の場所。