チンギス・ハーンは、大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに至る、人類史上最大規模の世界帝国となったモンゴル帝国の創始者。(下図)
(都市名は首都ないし主要都市)
さて、今回のテーマのジンギスカンである。
彼らは、1979年にデビューした西ドイツのミュンヘン出身の男女6人組(後に5人組となる)の、いわゆる「ミュンヘンサウンド」の一翼を担った音楽グループ。
西ドイツの音楽プロデューサー、ラルフ・ジーゲルと、経済学者、ベルント・マイヌンガーが、当時人気を博していたボニーMのヒット曲『怪僧ラスプーチン』をモデルとして『ジンギスカン』という楽曲を作った。
それをヨーロッパのポップ・ミュージックの登竜門でもある「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に応募するためにメンバーが集められ、結成したのがこのグループで、ドイツ国内予選ではグランプリを獲得したものの、本選では4位に終わりグランプリはならなかった。
なお、グランプリはMilk&Honeyというイスラエルの音楽グループだった。(Wikipedia参照)
まずはそのときの模様から。左がジンギスカンのデビュー曲。右が1979年の優勝曲である。
当時のメンバーは次図の通り。
チームの中心でダンスを踊り、パトリック・ベイリーの別名で知られているルイス・ヘンリック・ポンジェッター。彼は解散後、生れ故国の南アフリカに帰国。1993年(当時42歳)、エイズによる合併症によって死去したという。
スキンヘッドのスティーヴ・ベンダーは、腰痛が原因で1981年に脱退。2006年、肺がんにより63歳で他界した。
再度、ジンギスカンの曲を。
Dschinghis Khan(1979年)
Rocking son of Dschinghis Khan (1979年)
彼らの曲はやたらに世界の国や地域の題名の曲が多いのが特徴だ。
例えば、「砂漠の国サハラ(Sahara)」、「栄光のローマ (Rom)」、インカ帝国(マチュ・ピチュ)(Machu Picchu)」、「めざせメキシコ(Mexico)」、「さらばマダガスカル(Madagaskar)」、「シエラネバダ(Sierra Nevada)」、「プスタ(Puszta)」、「KOREA」、「前人未到の地ヒマラヤ(Himalaja)」など。
Loreley (1981年)
Machu Picchu
もちろん、1980年のモスクワオリンピックにちなんだ曲、「めざせモスクワ(Moskau)」がその中で最も有名だ。
Moskau(1979年)
ハッチ大作戦(Hadschi Halef Omar)は、カール・マイの児童文学の主人公、ハッジ・ハレフ・オマル(de:Hadschi Halef Omar)がモチーフ。サビの「ハッジ・ハレフ…アル・ゴサラ」のリフレインは全て主人公ハッチ(より正しくはハッジ)の名前であり、アラビア文化圏の長大な添え名の伝統を言葉遊び風にしたもの。(Wikipedia参照)
Hadschi Halef Omar(1979年)
ジンギスカンは1985年に解散したが、2006年から20年ぶりに活動を再開。現在は、大きな髭と、長髪がトレードマークの、レスリーを除く、写真左よりエディナ、ヴォルフガング、ヘンリエッテの3人に新たに7人を加え活動している。
メンバーの大半が欠けずに今でも頑張っている、珍しいグループ。
みんな素敵に歳をとっている。女性陣など、60歳は過ぎただろうが、若いころよりきれいになったような感じだ。
これからも応援したいね。![]()
