著者は、慶応大学教授で歴史社会学者の小熊英二氏(現在52歳、写真)だ。
例えば、1月15日の記事、題して「人権への意識 耐え忍ぶ美徳のワナ」
自分の人権に鈍感な者は、他人の人権にも鈍感である。ましてや、異邦人の人権に対してはなおさらだ。
日本社会に、アジアへの戦争責任意識が弱いのはなぜか。吉田裕はその一因として、「戦争受忍論」が根強いことを挙げている(「歴史への想像力が衰弱した社会で、歴史を問いつづける意味」世界1月号)。日本の民衆は、無謀な戦争で家族が死んでも、空襲で家が焼けても、「戦争だから仕方がない」と耐えていた。政府に抗議することも、アメリカを憎むこともない。評論家の清沢洌はこれを評して、「日本人の戦争観は、人道的な憤怒が起きないようになっている」と形容した。
こうした戦争観は、アジアの戦争被害への鈍感さにつながる。自分が黙って耐えているのだから、彼らも黙って耐えるべきだ、と考えるからだ。
日本の戦争被害者のなかには、「(朝鮮人の)慰安婦はずるい」と述べる人がいる。そうした言葉を発するのは、「日本人従軍慰安婦」であったり、引き揚げ時に強姦にあい中絶した旧満州居留民女性であったりする(有田芳生・北原みのり・山下英愛「私たちの社会は何を『憎悪』しているのか」世界11月号)。自分自身が声を上げられずに耐えてきた屈折が、声を上げる他者への憎悪につながるのだ。
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こうしたことは、戦争責任の問題だけではない。外国人労働者の人権についても言えることである。
安田浩一「外国人『隷属』労働者」(G2第17号)は、ある縫製工場が、外国人技能実習生に課した「契約書」を紹介している。その内容は、無断外出・恋愛・妊娠・携帯電話購入などを禁じ、違反したら罰金徴収のうえ即時強制帰国させるというものだ。
こうした「契約書」が存在するのは、外国人技能実習生の法的地位のためでもある。技能実習制度では、3年間の契約期間中は雇い主を変えることが難しく、雇い主の立場が圧倒的に強い。アメリカ国務省の幹部は、「米国の基準であれば、あれは人身売買以外の何物でもない」と形容したという。
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だがこうした人権無視の内規は、外国人が対象の場合だけだろうか。1954年の「近江絹糸争議」で、日本の女性工員たちが告発した紡績工場の内規は、これとあまり変わらない。
あるいは、一昨年に話題となった女性歌手の「丸刈り懺悔」はどうだろう。この事件は、所属するアイドルグループの「ルール」に反して恋愛をした歌手が、頭髪を刈って謝罪した映像がネット上で公開されたものだ。これは人権侵害ではないかという指摘が一部にあったが、そうした認識が日本社会全体に共有されたとは言い難い。
またあるいは、「ブラック企業」の内規はどうだろう。あるIT系企業では、新入社員研修で「会社ではすべてのルールは上司にある」という趣旨の「理念書」を大量に読ませ、長期拘束で疲労状態に追い込んだうえで、労働契約書を書かせているという(「ブラック研修の事例紹介」POSSE24号)。
こういう環境で働く人々は、外国人研修生の状況を知っても、「よくあること」としか考えないだろう。そこで黙って耐えている人々に、外国人労働者や「元慰安婦」の人権を守れと説いても、「ずるい」「なぜ外国人ばかり優遇するのか」と反応されかねない。
自分の人権が尊重された経験がない者は、他人の人権も尊重しない。日本の民衆自身が不当な状況に声を上げる経験を積まなければ、外国人の人権を尊重する機運は高まらないだろう。
日本は戦後70年を迎えた。労働環境、女性の地位、貧困と格差、歴史認識など課題は多い。だがそれらは、決して相互に無関係な問題ではない。共通して問われているのは、この70年で、日本社会にどれだけ人権意識が根付いたかに他ならないからだ。 もう一つ紹介しよう。これはもう5ヶ月前、2014年8月19日だが、昨年の衆議院選挙、福島・沖縄・佐賀知事選挙の結果を見ていると、この記事は参考になる。題して「与党勝利の構造 「縁」で集票、未来ない」
この秋、福島や沖縄で県知事選がある。安倍政権の与党は、どのように選挙に勝ってきたのだろうか。
公明党は、各小選挙区に約2万の固定票を持つといわれる。この数は、これらの票が対立候補に流れていたら、2012年衆院選で当選した自民党候補の5割強が落選していた計算になるというほどの影響力を持つ(菅原琢「解釈改憲で揺らぐ自公連立」VOICE7月号)。
次に自民党の固定票がある。12年に山口県知事選に立候補した飯田哲也氏は、自公推薦候補は「同窓生や出身地域など、地縁・血縁・学縁」のネットワークを駆使して、集落の各戸ごとに投票先をチェックしたと述べている(「原発と選挙」毎日新聞〈大阪〉6月20日)。後援会や業界団体の運動員が、同窓会名簿や地縁血縁を使って勧誘し、固定票として固めていくのだ。
実はこの自民党の選挙戦術は、50年前から変わっていない。1967年の大分県での選挙戦を研究したジェラルド・カーティス『代議士の誕生』(日経BPクラシックス)を読むと、ほとんど同じやり方をしている。
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こうした「縁」で投票する人々は、政策で投票先を選択していない。2012年衆院選の出口調査(本紙12年12月17日夕刊)を分析すると、比例区の自民党票の7割は脱原発支持で、世論調査の平均とあまり差がない。これは恐らく他の政策でも同様だ。
だが自民党の得票率は、傾向的には落ちている。60年衆院選での得票率は58%だったが、2012年は小選挙区で43%、比例区では28%だ。業界団体は規制緩和や歳出減で衰え、地縁・血縁・学縁は高齢化や都市化で縮小している。
最近の選挙では、自公候補は全有権者の2割から3割の得票で勝っている。有権者の3割前後を固定票として固め、投票率が5割以下なら、小選挙区や知事選では確実に勝つ。対立候補が分裂していればなおさらだ。14年2月の東京都知事選の投票率は46%で、自公の支援候補は有権者の2割の票で当選している。
この構造を前提とすれば、自公候補が敗れるのは、以下のような状況になる。対立候補があるていど一本化し、両雄対決の図式が報道されて関心が高まり、投票率が上がった場合である。09年衆院選がそれで、野党間の選挙協力で候補を絞り、投票率は69%だった。こうなると自公が3割の固定票を固めても、大波に没してしまう。
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従って、自民党に有利な戦略は以下のようになる。まず何よりも、世論を二分するような政策を争点にしない。それによって両雄対決図式を避け、選挙に関心が高まることを防ぐ。その結果、投票率が上がらなければ、固定票だけで勝てる。
だが長期的には、この戦術は自公にとっても危険である。有権者の過半は「縁」の枠外におかれ、政治は自分と無関係な「既得権層」が動かしていると感じる。この不満は、容易に火がつくガソリンのように社会に蓄積する。自公の運動員と「縁」は高齢化しており、10年後には有権者の1割台しか覆えなくなる可能性がある。ゆえに上記の戦術を続ければ、政治は極めて不安定になろう。
それを避けるには、回り道のようでも、政治に関心を持つ層を増やし、投票率を上げるしかない。与党に批判的な人も、似た志向の者がウェブ上で小さな差異を争うより、近隣や職場の棄権層に働きかけるべきだ。
前述のカーティス氏は、日本の政治は他国に後(おく)れているというより、「日本の社会に後れている」と述べている。50年も変わらない政治のやり方に安住し続ければ、政治は社会から見放され、バラマキかポピュリズム以外の政治が不可能になる。