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カバーによってすっかりイメージの変わる曲【インストゥルメンタル編】

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 今回は、カバーによって原曲と比べすっかりイメージの変わる曲を特集してみた。例えば、悲しい曲がアレンジによって楽しい曲に変身するような音楽のことだ。
 
 一旦アップした後、たくさんあることに気がついたので内容を変え、第一回は「インストゥルメンタルの曲」の特集としたので、その前にご覧いただいた方はお許し下さい。
 
 まずは、レイ・コニフの名アレンジの曲から聴いてみよう。
 
イメージ 4レイ・コニフ(2002年、85歳で没、写真)は、米マサチューセッツ生まれ。幼い頃より父親からトロンボーンを習い、通信教育で楽曲アレンジを学ぶ努力家だった。
 
 彼の音楽の特長は、オーケストラをバックに、コーラス、ハミングなどを楽器のように使うもので、このスタイルは、音楽界に新たな潮流を巻き起こした。
 
 このレコードには、絶妙なアレンジ曲がちりばめられているが、そのうちの1曲と、別のレコードでの1曲を。
 
Ray Conniff/The Way Were(1974年発売)
 
 
イメージ 5A面
1.Most Beautiful Girl
2.Loves Me Like a Rock
3.Leave Me Alone (Ruby Red Dress)
4.Paper Roses
5.Goodbye Yellow Brick Road
6.Who's in the Strawberry Patch With Sally
 
B面
1.Way We Were
2.Photograph
3.Beyond Tomorrow
4.Top of the World

5.Medley: Dear Father


イメージ 6リンゴ・スター(現在74歳、写真)は、ザ・ビートルズの元メンバーでドラマー。現在の妻は映画007 私を愛したスパイボンドガールで有名な女優のバーバラ・バック(現在67歳、写真ビートルズ解散後も現在までソロミュージシャンとして第一線で活躍している。
 
 ジョージ・ハリスンと同様、ビートルズのメンバーとしては才能に満ち溢れたジョン・レノンポール・マッカートニーに比べ地味な存在だったが、彼のドラムスはビートルズサウンドの要としてメンバーを支え続けた。
 
 また、ボーカリストとしての才能も持ち合わせており、「ボーイズ」、「イエロー・サブマリン」、「グッド・ナイト」など、リンゴがメインボーカルを務めた楽曲もある。 
 
 想い出のフォトグラフ」Photograph)のタイトル曲はリンゴジョージ・ハリスンの共作。19715月にリンゴがジョージを誘ってクルージングに興じていた際、船の上で作られた。ジョージはレコーディングにも参加。ビルボード』誌、『キャッシュボックス』誌ともに最高位1位を獲得している。


リンゴ・スター(1973年) レイ・コニフ/想い出のフォトグラフ
 


イメージ 75人のオリジナルメンバーは全て他界した「ザ・プラターズ」(写真)の代表曲の一つ「煙が目にしみる」だが、実はこれもカバー曲である。

 
 1933ジェローム・カーンの作曲により、ミュージカル『ロバータ』Roberta)のショー・チューンとして書かれ、
同年、ガートルード・ニーセンにより最初のレコード録音がなされたもの。1946には、ナット・キング・コールもカバーしている。
ザ・プラターズ(1958年) レイ・コニフ/煙が目にしみる
 


FM放送テーマミュージック集
 
●1960年代から1970年代はイージーリスニングが一世を風靡していた。その象徴が1960年に大ヒットしたパーシー・フェィス「夏の日の恋」だった。この曲は、9週間連続全米ヒットチャート第一位という快挙を成し遂げたが、今ではインストゥルメンタルの曲がヒットすること自体が考えられない時代になった。
 
イメージ 1 そして当時音楽を聴くのはFM放送が中心で、それをカセットテープで録音していたが、それを「エアー・チェック」と言っていた。
 
 そのFM放送の音楽番組には必ずイージーリスニングのテーマがあり、素敵な曲が多かった。
 

 こんなレコードも出ていた。FM放送テーマミュージック集」


 テイキング・ア・チャンス・オン・ラヴ (FM東京:FMラブリー)
 素晴らしき人生 (FM東京:ミュージック・イン・ザ・スカイ) 
 魅惑のワルツ (FM東京:スクリーン・ミュージック) 
 ラヴァース・コンチェルト (民放FM4局:土曜の夜のふたり) 
 大空港のテーマ (FM東京:ワールドミュージック) 
 ムーンライト・ピカムス・ユー (ミュージック・オペレーター)
 グアンタラメラ (民放FM4局:ステレオ・ゴールデン・ポップス)
 青春の光と影 (FM大阪:テイク・ナウ) 
 ルンバ・ラプソディー (FM大阪:ラテン・フラッシュ) 
 星に願いを (FM愛知:映画音楽とともに)


「グァンタナメラ」Guantanamera)は、世界的に有名なキューバ音楽。「グァンタナモの娘」のことをいう。グァンタナモはキューバ南東部の都市。米軍基地がおかれている。
 
イメージ 2 アレホ・カルペンティエルの著書『キューバの音楽』によると、「グァンタナメラ」のルーツは作者不詳の8音節4行詩の農民歌謡(民謡)で、ホセイート・フェルナンデス(写真)の歌声により1920年代に広まったとされている。なお、ホセイート・フェルナンデス(1979年、71歳で没)は、20世紀のキューバ音楽を代表するシンガーソングライター。
 
サンド・パイパーズ レス・リード・オーケストラ/グァンタナメラ
 


ロシア歌曲
 
「モスクワ郊外の夕べ(Подмосковные Вечера)は、1955年にヴァシリー・パヴロヴィッチ・ソロヴィヨフ=セドイ作曲、ミハイル・リヴォヴィッチ・マトゥソフスキー作詞によるロシア歌曲
 
 モスクワ放送合唱団アレクサンドロフ赤軍合唱団の合唱の録音が有名である。そして、アメリカのピアニストのヴァン・クライバーンや、ケニー・ボールなど、多くの歌手や演奏家によってカバーされている。
 
イヴァン・レプロフ モスクワ郊外の夕べ/ケニー・ポール モスクワの夜はふけて
 


クラシックのカバー曲
 
 次はクラシックをカバーした曲を2曲、カテリーナ・ヴァレンテの歌で。
 
イメージ 3カテリーナ・ヴァレンテ(現在83歳、写真)は、1950年代末から70年代前半にかけて、ドイツを中心にヨーロッパ、そして世界で活躍した歌手。
 
 スペイン系の父とイタリア人の母の間に、パリで生まれる。母親の音楽的素養を受け継ぎ、10代のころからステージに立ち、ドイツのバンドリーダー、クルト・エーデルハーゲンに認められ、専属歌手になったのをきっかけに、世界的名声を得るようになった。ポップス、ジャズシャンソンカンツォーネボサノバなど広範なレパートリーを持ち、歌う通訳と呼ばれた。
 
ベートーヴェン/エリーゼのために(1810年)カテリーナ・ヴァレンテ/情熱の花(1959年)
 


チャイコフスキー/ピアノ協奏曲(1875年)カテリーナ・ヴァレンテ/Tonight We Love

 



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