秋の旅行シーズン真っ只中、いよいよ紅葉の季節がやってきた。(右映像はhttp://youtu.be/CwsuMUiztF0)
下図を見ると、今年の関東甲信越地方の紅葉は、例年より早そうだ。
自分は11月11日に高校の同窓会で、箱根に一泊旅行を予定している。
天気さえ良ければ、最高の時期に当たりそうだ。 (http://kouyou.nihon-kankou.or.jp/pdf/press20141007.pdf)
そこで、少しこじつけに近いが、今回は「宿」の歌の特集。
懐かしい曲を2曲。
高峰三枝子/湖畔の宿(1940年)
日独伊三国軍事同盟が締結され、日本が大戦に向けて突っ走り始めた昭和15年(1940)に発表され、大ヒットした。
感傷的で淋しい詩とメロディが戦意高揚を損なうということで、当局は発売禁止にしたが、国民が歌うのを止めることはできなかった。
歌手たちの戦地慰問で、兵士たちからのリクエストが圧倒的に多かったのがこの曲だったという。とりわけ、特攻隊の基地で、若い航空兵たちが直立不動でこの歌を聞き、そのまま出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子は幾度となく語っている。
「この静けさ、この寂しさを抱きしめて私は一人旅を行く。誰も恨まず、皆昨日の夢とあきらめて」の部分がとくに兵士たちの胸に響いたのだろう。
「湖畔の宿は榛名湖のことではあるが、あの中のことは全く夢だよ。ああいう人もあるだろうとおもったので書いたもの。宿は湖畔亭にしておこう」(「二木紘三のうた物語」参照)
林伊佐緒/高原の宿(1955年)
吉田拓郎/旅の宿(1972年)
その宿には今も年に十数組の拓郎ファンが、彼が泊まった10畳一間の和室「66号室」を指定して来るそうだ。
「旅の宿」の後、彼は「ラジオ局と家の往復ばかりで外界を知らない。これで詩は書けないと思い」20日旅に出て10日自宅にいる生活を始め、3~4ヶ月のつもりが3~4年も続いたという。
都はるみ 北の宿から(1975年)
「北の宿から」は、作詞:阿久悠、作曲:小林亜星、編曲:竹村次郎による1970年代を代表する演歌で、140万枚を超える売り上げを記録した。
作詞家の阿久悠は初めて都はるみに詞を書くにあたって、彼女の元気のいい個性を生かそうと考えたがボツになり、急遽イメージを転換して書いたのが本作品だった。
「別れた男性のセーターを編む」というのは別れにケリをつける若い女性の儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というようなイメージだったという。
このセリフのせいか、この曲は「演歌撲滅運動」なるキャンペーンを提唱した淡谷のり子が名指しで批判した楽曲になった。(Wikipedia参照)
大下八郎/おんなの宿(1964年)
大川栄作/さざんかの宿(1982年)
余談になるが、伊集院静「なぎさホテル」でホテルの曲を紹介したことがある。
宿泊施設には次の4通りある。
これも宿の一つだね。
森田公一とトップギャラン/下宿屋(1975年)