別れ自体はずいぶん経験してきたが、振り返ってみて、別れ際に「さようなら」と言った記憶が残っていない。
それでも調べてみると、過去、会社に好きな女性がいて、退職の際、あいさつの手紙の最後に「さようなら」と書いてある文章が見つかった。あれから一度も会っていないが、思い出すと今でも胸がキュンとする。
その点、「あばよ」とか「さらば」いう言葉には別れに対する潔さを感じる。
〇あばよ
■寅さん
どうして、これまで避けていたのだろうか。渡世人とか、定職を持たないということに何かアレルギーを感じていたのかもしれない。まったりとした生き方に共感できるようになったのだろう。
故・渥美清さんが演じる寅さんが別れるとき、照れ隠しの様に話す「あばよ」という言葉が清々しい。
車寅次郎(渥美清)の甥・諏訪満男(吉岡秀隆、写真右端)と、満男がかつて思いを寄せた及川泉(後藤久美子、写真右より二番目)のその後の物語となる。別々の人生を生きてきた二人を軸に、寅次郎の妹で満男の母・さくら(倍賞千恵子、写真左端)、その夫・博(前田吟、写真左から二番目)、そして「くるまや」を囲む人たちを描く。
■柳沢慎吾
「あばよ」誕生のきっかけは、フジテレビ系列でとんねるず司会のバラエティ番組「ねるとん紅鯨団」(1987~1994年、写真)。
■研ナオコ/あばよ(1973年)
「あばよ」は、悲恋歌の女王・中島みゆきが作詞・作曲し、研ナオコ(65歳)のアルバム『泣き笑い』よりシングルカットした歌。レコード売上げ65万枚という研の最大のヒット曲となった。なお、中島は1979年のアルバム『おかえりなさい』でセルフカバーしている。
研ナオコは、歌手になりたくて静岡県三島南高校を1年で中退して上京。東京・日比谷の映画館で案内係などのアルバイトをしながらチャンスをうかがった。1年後に歌唱力が認められデビュー。しかし、歌手一本ではなかなか食べていけず、そのキャラクターの面白さからCMやコメディーに活躍の場を広げて生き残ってきた。ただ本業は歌手、という誇りだけは忘れなかった。「あばよ」は、オリコンで唯一の1位を獲得、1位になるまでに7年かかった。しかも歌手として認められるまでに、コメディアン扱いされた。
「タレントとしては三枚目だけど、歌手としての研ナオコは二枚目で行きます」。CMやコント、舞台でみせるコミカルな芸風とは百八十度違う、けだるさをかもし出しつつ歌う表情は女のやるせなさ、寂しさを見事に表現している。
案の定、研が歌った男に捨てられた女をの心を描写した「あばよ」は女性を泣かせた。
その後も中島みゆき作詞作曲の「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」を歌い、女の寂しさを歌わせたら、この人という歌手に。それとは逆の明るさは健在で、芸能界でも貴重な存在といえる。
続く。