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ドリス・デイの死

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 最近の拙ブログ・「コニー・フランシス」(4/30)で1950年代前半に活躍したアメリカの女性歌手を紹介したが、そのトップはパティ・ペイジドリス・デイだった。

 前者は既に2013年に亡くなったが、遂にドリス・デイが13日に肺炎で病死した。97歳だった。「近親者に見守られて息を引き取った」という。

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 ドリス・デイは小さいころから知っている。日本がまだ敗戦で打ちひしがれていたころ、戦勝国のアメリカは輝いて見えた。

 近くから見るとそばかすだらけだったが、戦勝国のアメリカを象徴するような根っから明るいこの金髪の美人歌手には当時憧れたものだ。 
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 18歳(1940年)、ジャズバンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加したというから、戦前から歌っていたわけだ。そのバンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリー(後にレコードプロデューサーとなる)を出産するが、1942年、20歳の時に離婚。2年後、このバンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した『センチメンタル・ジャーニー』を歌い、大ヒットさせる。


ミュージカル映画スター

 24歳(1946年)にワーナー・ブラザースのオーディションを受け、同社と契約。1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューする。その後も評判はよく、1949年に2本、1950年に3本、1951年には5本も出演するほどのど売れっ子になった。

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二人でお茶を
 

 「二人でお茶を」(Tea for Two)は、1925年のヒット・ソング。ヴィンセント・ユーマンスがアーヴィング・シーザーの台本に曲付けしたミュージカル『ノー・ノー・ナネット』(No, No, Nanette)で使用された。原作では、ヒロインのナネットが第2幕において、恋人役のトムと共に、自分たちの将来を思い描いて歌う曲として扱われる。

 1950年公開のミュージカル映画『二人でお茶を』ではドリス・デイゴードン・マックレーがデュエットした。


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カラミティ・ジェーン

 そして、1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。

 カラミティ・ジェーン(Calamity Jane)は、実在したアメリカ西部開拓時代の女性ガンマン。別名平原の女王。

 男勝りの拳銃使いジェーンがハワード・キール(2004年、85歳で没)演じる、ワイルド・ビル・ヒコックに恋をし、女らしさを滲ませてゆくさわりは絶妙である。しっとりと唄われる主題歌「シークレット・ラブ」はその年のオスカーを得た。挿入歌の「ウィンディ・シティ」とともにどうぞ。



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ケ・セラ・セラ

 しかし、ミュージカル女優として彼女の才能が開花するのは、アルフレッド・ヒッチコック監督作品「知りすぎていた男」The Man Who Knew Too Much、1956年)以降のシリアスな役もこなすコメディエンヌとしてだった。

 「知りすぎていた男」は、1934年制作の『暗殺者の家』(原題同じ)のリメイク作品。 米国人マッケナ医師役のジェームズ・ステュアート主演、同夫人役をドリス・デイが務めた。の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』 (Que Sera, Sera) 彼女の代表作となり、アカデミー歌曲賞を受賞。大ヒットした。
 
 Que Sera, Seraと
「なるようになる(Whatever will be, will be)」という意味のスペイン語であり、何か困ったことがあると、この言葉をよく使ったものだ。


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先生のお気に入り

 先生のお気に入り」Teacher's Pet、1958年)は、新聞社の叩き上げの社会部長役のクラーク・ゲイブル(1960年、59歳で没)が、大学からジャーナリズム講座の講師依頼を受け、学歴なんぼのものかとにべもなく断るが、上司の圧力で教授に出向くと、何とも魅力的な女の先生(ドリス・デイ)で、悪戯心を出した彼は、正体を隠してその講座に潜り込む--。


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ピロー・トーク (夜を楽しく)

 『夜を楽しく』(Pillow Talk、1959年)は、ユニバーサル・ピクチャーズで活動してきたロック・ハドソン(1985年、59歳で没)とドリス・デイの初の共演作品であり、マイケル・ゴードンが監督を務め、この作品ではアカデミー主演女優賞にノミネートされた。ハドソンとデイはこの後『恋人よ帰れ』(1961)『花は贈らないで!』(1964)でも共演している。 

後半の人生

 1968年(46歳)に映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍することになる。


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 彼女は生涯4回結婚した。1976年に4度目の結婚をするが、1981年には離婚。その後は動物愛護に力を注ぎ、カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内ペットの世話の方法などを指導していたという
。 

 最後は、ドリス・デイ・ヒストリー。ご冥福をお祈りします。合掌。


(Wikipedia参照)

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