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運転免許証を返納しました

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 3/26(火)、住居を管轄する警察署に行き、運転免許証を返納してきた。これが、その証明書だ。

 20歳で免許を取得してちょうど半世紀、手続きを行った最後に、担当の女性職員の方から「長い間お疲れさまでした」という言葉を聞いて、思わずグッと来るものがあった。

免許証返納の経緯

 免許証を返納した理由は、老人の運転事故の危険性を意識したからではない。とっくの昔に運転は卒業していた。

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 全く運転しなくなってもう10年以上経った。ところが、運転免許証を返納するかどうかについては迷っていた。いろんな手続きで運転免許証の呈示を要求されるからである。

 つい最近、電車内でマフラーを置き忘れた。最寄り駅を降りてすぐに気が付いたので、急いで舞い戻り、駅員に状況を説明した。幸い、何時の電車でどこの車輛のどこの場所かもわかっていたせいか、直ぐに見つかった。

 東京・渋谷のヒカリエの忘れ物センターで預かってもらっていた。それで取りに行ったが、ここでも身分証代わりに「運転免許証」の呈示が必要だった。

 それにしても、運転免許のない人は何を呈示して本人と認めてもらっているのだろうか。何のときか忘れたが、健康保険証を見せたとき、「写真が付いていないので認められない」と言われたことがあった。

 今年の誕生日の3月30日が更新だということは前々から分かっていたが、今度は特別な更新であることは知らなかった

 予定通り、更新のお知らせのハガキが来た。それで終わりかと思っていたら、その次に「高齢者講習」のお知らせがきた。

 それには、更新時がちょうど70歳なので、70歳以上は更新の前に自動車学校(教習所)で120分の高齢者講習が必要で、手数料が5,100円かかるということが書いてあった。

 手数料が高い。仕事を休まないといけないかも知れない。講習だって受かるかどうかも分からない。運転には眼鏡が必要だが、今は持っていないので、それも新たに買わなければならない。

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 返納する場合は、警察署か運転センターに行く必要がある。そこで1,100円の手数料を払えば「運転経歴証明書」がもらえ、それが身分証明書の代わりになるということが分かった。

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 ちょうどこのタイミングで、高橋英樹(写真)の出演により、マイナンバーカードのキャンペーンが行われている。

 どちらを選ぶか迷ったが、初志貫徹することにした。

 運転経歴書は、1ヶ月先にならないと貰えない。郵送だと1,000円の費用がかかるので、直接取りに行くことにした。

運転免許証の記載内容

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 「運転免許証は記念に欲しい」と言ったところ、返してくれた。それで、まじまじと免許証を見たところ、いろんな情報が記載されていることを知った。

 12ケタの番号がある。

まずは上2ケタの数字から見ていこう。写真では12

 これは、「最初に運転免許交付を受けた都道府県」(北海道は例外)である。自分は広島県なので73だ。

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左から3・4番目の2ケタ。写真では34

 これは、「最初に運転免許証の交付を受けた西暦」である。自分は69とあるので、1969年(昭和44年)20歳のときに免許を交付された。

左から5〜10番目の6ケタと11番目の1ケタ

 左から5〜10番目の6ケタの数字は都道府県公安委員会で交付・管理するためのもの。
左から11番目の1ケタは「入力ミスを確認するためのチェックデジット」である。

最後の下1ケタ

 これは少し恥ずかしい数字だ。ここで「運転免許証を紛失した回数」が分かってしまう。自分は1とあり、覚えていないが1回紛失して再発行したようだ。 


運転の自分史
 
 クルマについては苦い思い出ばかりが浮かんでくる。

 免許を取るのも大変だった。大学時代、地元の自動車教習所で習ったが、運転がへたくそで、教官から「この足が悪い!」と足を蹴飛ばされる屈辱感まで味わった。仮免許に一度落ちて、自分には運転はムリではないかと本気に悩んで、一時、教習所に行かないときもあったほどだ。

 当時オートマ(AT)はメジャーでは無く、マニュアル(MT)車だったが、半クラッチが特に苦手だった。

 免許をとっても、自信がないので運転しない、いわゆる「ペーパードライバー」の期間が長かったが、会社に入り、突如営業への転勤辞令が下りて、さあ大変!。

 思い出すだけで辛い。事故もあったし、免停も2回。地方の営業マンなのに、電車とバスで得意先を回り、修理品は手で持って運び、帰った。

 おまけに極度の方向音痴。ナビなど無い時代。道が分からず、本当に苦労した。

 とどめを刺したのは、40歳手前の頃に患った右目の白内障だった。目の前にスリガラスをつけたような感じ。44歳で手術するまではヒヤヒヤものの運転だった。

 それでも、音楽が好きだったから、カーステをサラウンドでガンガン鳴らしてぶっ飛ばすのだけは爽快だった。

 営業マンという職業と、地方に住んでいたので、交通事情からクルマが必須だったが、今から28年前の1991年、東京本社の営業スタッフの辞令があり、単身赴任したときにクルマを手放したときはホッとしたものだ。

 以前、ある有名人が長寿の秘訣は「車の運転をしないこと」と言っていたのを聞いたことがある。

 心からその言葉に納得をしたものだ。

 クルマとの相性は最悪だったが、こんな自分と50年も付き合ってくれて有難う。

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