誰しも障害者になる可能性がある。だから他人ごとのように思ったり、差別したりする気にはなれない。
その原因の一つは病気だ。
●入院経験
それは全て同じ病院だったが、診療科はそれぞれ違っていた。最寄り駅が田園都市線・藤が丘駅にある昭和大学藤が丘病院(写真)である。
藤が丘は独身の頃、住んだことがある懐かしい街だ。
実はこれを正確に記載したのは初めてのことだ。探してみると、いずれも診療記録が残っていた。
入院した時期の順番から記してみよう。それも拙ブログで紹介したことがある。
1.眼科:白内障(1993年8月、44歳)…当時は一泊の入院手術をしていた。
2.神経内科:ギランバレー症候群(1995年10~11月、46歳)…22日間入院した。
3.耳鼻咽喉科:耳下腺腫瘍(2011年8月、62歳)…7日間入院し、手術した。
4.循環器内科:心筋梗塞(2013年9月、64歳)…5日間入院し、手術した。
こうして書いてみると、いくつか面白い事実が分かる。
自分は転職が多いが、上記No1~2と、No.3~4はそれぞれ同じ会社にいたときの病気。それも偶然とは言え、2年間隔で入院している。そして、入院の時期は全て夏から秋にかけてだ。これは会社の夏休みを利用したという理由もある。
ちょっと本題のことに触れる前の前置きが長くなった。
前述の中で、白内障はほとんどないと思うが、どれも手術の失敗や、そうでなくても後遺症で身障者になる可能性があった。
病院はその訴追を恐れて手術の「同意書」をいっぱい求めてくる。
●ギランバレー症候群
No.2のギランバレー症候群は日本人の5万人に一人とされる難病だ。
最近見たテレビでは、TBS系・2月14日(水)20:00~の「マサカの映像グランプリ・女性を襲う恐怖の病SP」で紹介された病気だ。
イギリスの15歳の女子高校生のグレース・エズリントンを突然謎の病が襲い、呼吸困難になり、意識不明の重体になった。その原因がギラン・バレー症候群だった。
自分の場合はこうだった。
ある日突然手足の自由が利かなくなる。金曜日に不自然さを感じ、翌週の月曜日には妻の支えがないと動けなくなる。それでも病院では「少し様子を見なさい」と医師から言われ、帰宅させられそうになった。それを「こんな状態なのに、帰していいのですか」と妻が食い下がり、すぐに入院することになった。診断が遅れると後遺症が残ったり、死に至る場合もあるというから、そのときの医師の言葉に従っていたらと思うとゾッとする。
治療にはいくつかの選択肢があった。そのうち、病気の原因とされる抗体を入れ替えるという、血液浄化療法の一つで、透析に近い治療を選び、その週の水曜日から実施したのが結果的に良かった。
医師からは、びっこを引いている人はギランバレー症候群の後遺症の人が多いと言われた。これは多分病気の後遺症ではなかったが、22日間の入院生活で、すっかり足が弱くなっていた。
会社に復帰したのはその1週間後。その通勤が辛い。
駅の階段は手すりを持って這う這うの体で昇降する。バスでは、鉄棒の懸垂をするようにステップにある手すりを強く引っ張ってようやく乗れる。運転手は迷惑そうな目でじっと見ている。道路ではちょっとした段差を歩くのが辛い。
幸いその二週間後には元通りになったが、足が不自由の大変さを少しばかり味わった。
●耳下腺腫瘍
■人間ドック
No.3の耳下腺腫瘍摘出の手術の場合は、一切自覚症状がなく、次に述べる人間ドックさえ受けなければ、何事もなく人生を終えていた可能性もある。腫瘍は奥深い場所にあり、見た目にも分からない。
この腫瘍が見つかったのは特別な理由がある。
ある会社に転職して会社の改革に取り組んだ。その一つが「経費の無駄遣い」をなくすことだったが、バブル期にリゾートブームというのがあった。ゴルフ会員権のようなものだが、すっかり時代の様相が変わり、資産運用としての価値も下がり、保養所の利用も減っていた。
同時に、その会社は少数者の人間ドックも資産運用を兼ねたもので、会員加入としての一時的な費用だけでなく、その後もずっと年会費を取られていた。10年契約にしていて、交渉は難航を極めたが、何とか解約に持ち込んだ。
人間ドックは1年に3人が受けられるようになっていたが、最後ということで、その一人に社長から指名された。だが、この人間ドックは高価だけのことがあり、半端な内容ではなかった。看護婦がマンツーマンとして寄り添い、至れり尽くせり。MRIやPET・CTもあり、8時間たっぷり診てもらった。
それで全身をくまなく調べた結果、耳下腺に2cmと、顎下腺に1cmの腫瘍が発見されたのだ。前述のように一切自覚症状が無いので、青天の霹靂だった。
■唾液腺
唾液腺というのは唾液(つば)を作る組織のこと。
唾液腺には大唾液腺と小唾液腺があり、耳下腺と顎下腺は、舌下線から成る3つの大唾液腺の一つ。(写真)ここで作られた唾液は管を通じて口腔内に導かれる。
一方、小唾液腺は口腔粘膜やのどの粘膜の一部に存在し、直接口腔内に唾液を分泌している。
なお、唾液腺がんは、唾液腺の組織の中に悪性(がん)細胞ができる疾患で、唾液腺がんのほとんどは耳下腺がんと顎下腺がんで占められ、舌下腺がんはきわめて稀という。
■堀ちえみ
小唾液腺がんの治療はがんが出来た部位の治療(例えば口腔にできた小唾液腺がんは口腔がんの治療といった具合)に準じて行う。それで、最近話題の堀ちえみ(52歳、写真)のがんは、口腔がん(舌がん)と呼ばれている。
堀は2月19日にステージ4の口腔がんを公表。22日に行われた手術では頸部リンパ節を取り、舌の6割を切除して再建手術も行うなど、オペは11時間にも及んだ。
25日に更新されたブログによると、同日の午前中にICU(集中治療室)から一般病棟へ戻ったことを夫が報告した。話すことはできないが、筆談で会話もできるようになったという。
■手術とその後
健診後半年様子を見ていたが、ようやく重い腰をあげ病院に行き、またMRIやCTスキャンの再検査などを受診し、どうやら良性らしいことがわかった。
当初、手術は2回に分けて行うことになった。1回だと切る範囲が広くなり、傷跡が大きく残るからだそうだ。最終的には、大きくてガン化する一番可能性が高い耳下腺腫瘍だけの手術となり、顎下腺腫瘍は様子をみることになり、今でも腫瘍は残ったままだ。
![イメージ 8]()
心筋梗塞を一度起こすとその死亡率は約30%といわれている。当時も自覚症状があったのに、病院にたどり着く前に突然死せずよく間に合ったものだ。
心筋梗塞の合併症の代表的なものは、心不全と不整脈だという。
前作で紹介した、1歳のとき脱疽で両手両足を失った、中村久子さん(写真)の映像を何度も見て、改めて生きていることの意味を考えてしまった。また涙腺を湿らすことになったことは言うまでもない。
当初、手術は2回に分けて行うことになった。1回だと切る範囲が広くなり、傷跡が大きく残るからだそうだ。最終的には、大きくてガン化する一番可能性が高い耳下腺腫瘍だけの手術となり、顎下腺腫瘍は様子をみることになり、今でも腫瘍は残ったままだ。
耳下腺腫瘍は、顔面神経と隣り合わせにあり、20%程度の確率で左顔面に後遺症が残ると医師から脅かされた。その後遺症が怖かった。3つもあるそうだが、何といっても顔面神経痛(画像)が一番心配だ。
術後すぐに、口を「二ー」としてみる。目を瞬かせる。大丈夫だ。ホッと一安心したことを今も覚えている。
●心筋梗塞
死と直面したという点では、No.4のこれが一番危なかった。死と生はただ運だけでどっちに転んでもおかしくないことを思い知らされる。たまたま自分は幸運だっただけだ。
生命が助かっても心臓の細胞が死んでしまう壊死の範囲が広い場合は、その後にさまざまな合併症が起こる可能性があった。
今のところ、薬と定期的通院は死ぬまでお付き合いしなければならないようだが、何とかなっている。
今がどんなに幸せでも人間はいつかは死ぬし、病気にもなる。
生きていても、寝たきりになったかも知れないし、障害を抱えていたかも知れない。
彼女は50歳頃より、執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始め、全国の身障者および健常者に大きな生きる力と光を与えた。
全国を回る講演の中で自分の奇異な生い立ちを語るとともに、自分の体について恨む言葉も無く、むしろ障害のおかげで強く生きられる機会を貰ったとして感謝の言葉を述べ、「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と語っている。
全国を回る講演の中で自分の奇異な生い立ちを語るとともに、自分の体について恨む言葉も無く、むしろ障害のおかげで強く生きられる機会を貰ったとして感謝の言葉を述べ、「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と語っている。
そして、幾度もの苦難を乗り越えて自分で生き抜いてきた彼女は次の言葉を残している。
「良き師、良き友に導かれ、かけがえのない人生を送らせて頂きました。今思えば、私にとって一番の良き師、良き友は両手、両足のないこの体でした」
「『無手無足』は、私が仏様から賜った身体です。この身体があることで、私は生かされている喜びと尊さを感じています」
「逆境こそは本当に私の恩寵(おんちょう)だったのでございます」
「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ」
自分がその立場になったとしても、そんな境地にたどり着くとはとても思えない。
「良き師、良き友に導かれ、かけがえのない人生を送らせて頂きました。今思えば、私にとって一番の良き師、良き友は両手、両足のないこの体でした」
「『無手無足』は、私が仏様から賜った身体です。この身体があることで、私は生かされている喜びと尊さを感じています」
「逆境こそは本当に私の恩寵(おんちょう)だったのでございます」
「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ」
自分がその立場になったとしても、そんな境地にたどり着くとはとても思えない。