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日本の誇り「辻井伸行」

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 全盲のピアニストで、作曲家の辻井伸行氏(写真)は現在30歳だが、昭和64年(1988年)9月13日の生まれで、前作「平成のスター」の一人とは言えない。

 しかし、日本が生んだ若手の大スターであることには変わりない。間違いなく「日本人の誇り」といえる貴重な存在の一人だ。

目の衰え

 今年の1月13日、老化現象「ハメマラ」という、ちょっと言葉としては不謹慎なテーマのブログを作成したことがある。

 そこで述べたことは、古希を迎える歳になり、身体の勤続(金属)疲労を至るところに感じているが、一番気になる「目の衰え」だ。

 目の疲れが激しいことと、視力が落ちたことだが、毎日の通勤の電車にはいつも本を持ち込んでいるが、ここのところ目の疲れで、読書は長続きしない。

 ブログの最後に、『これからいろんな臓器が弱くなるだろうが、目が見えなくなるのは最も怖い病気の一つだ。目が見えないとこれまで経験した多くの楽しみが失われる。行動範囲も限られる』とし、『その代り、健常者には分からない感性が発達する。彼を見ればその凄さが分かる』と、何気なく辻井伸明の名前を出した。
辻井伸行

 しかし、実は当時、辻井伸行のことをよく知っていたわけではなかった。

 それで、それからYouTubeで辻井さんのことについて新事実を知ることになった。いくつかの映像を繰り返し見て何度感動で泣かされたことだろうか。どうやら、歳をとって涙腺も弱くなったようだ。次は長いが、一番彼のことが分かりやすい動画だ。

 

 彼は、開業医の父と、元フリーアナウンサーの母の愛情一杯に育てられた。それが、演奏技術だけではなく、「何よりも音と心が美しい」といわれる音楽性の所以だ。

 辻井流「子育て術」、母の子育ての方針は次の通りだった。(フジテレビ・サキヨミより)

1.子供の”らしさ”を見つける
2.ひらめき、即行動
3.とにかく褒める
4.大切なものを見失わない

 先の動画にこんなシーンがある。

 「僕、目が見えないんだね」と言った後、母・つき子さんが返答に困っていたら、「でもいいや。僕はピアノが弾けるから」と自分でフォローしたとき、ここまでよく成長してくれたなと思った。(動画では17分50秒ごろ)

イメージ 1
 しかし、褒めて褒めまくる母に対し、父・孝さんは常に厳しかった。

 それでも、息子が高校生のとき「僕は目が見えなくても幸せ。でも1日でいいからお母さんの顔がみたい」と言ったことを、上を向いて涙をこらえながら話したのには、自分ももらい泣きをしたものだ。(動画では22分ごろ)

 母は、彼が「絶対音感」の持ち主であること生後8カ月のときに知り、2歳3カ月で初めて『ジングルベル』を弾いてから、ピアノの腕はどんどん上がって行く。彼が弾く演奏を聴いて、いつも「すごーい! のぶりん、上手!!」「どうしてこんなに弾けるの!」と褒めてきた。私自身は、ピアノが弾けず「バイエル」で挫折しましたので、なぜ右手と左手が別々の動きをする難しい楽器が弾けるのか、上手だなぁと心の底から感じるのだ。すると彼は「じゃ、次はこの曲を聴かせてあげるね」なんて言って、積極的に練習をする。

 母は一度も「練習しなさい」と言ったことはなく、いつも、自分から進んで練習をしていた。彼も、ピアノを弾くことがとても好きで、やめたいと思ったことは、一度もないと言っていたという。
 

 2005年、最年少の17歳で参加した第15回ショパン国際ピアノコンクールで、彼の演奏をつぶさに見ていた河合優子さんが、こんなことを言ってくれたという。

 「伸行くんはステージで演奏することを本当に理屈抜きに純粋に喜んでいます。それをお客様が喜んでくれて、伸行くん自身も幸せになる。そのような聴衆との幸せの好循環を理屈抜きにしっているのだと思います」(のぶカンタービレ!(アスコム刊))
 
 そのとき2次予選で落ち、決勝へ進めなかった。そこで演奏した際は、コンクールであるにもかかわらずカーテンコールが4回も起き、周囲の誰もが、伸行が2次予選を通過しファイナリストに選ばれると思っていた。しかし、発表されたなかに彼の番号は無かった。「なぜ、ツジイがファイナリストではないのか」という抗議が世界中からコンクールの事務局に寄せられた。周囲もショックを隠せなかったが、そのとき「みんな何を泣いているの?僕は平気だよ。また、次頑張ればいいよ」と明るく語ったという。彼は、大好きなショパンのコンクールで演奏できたことを、本当に楽しんでいたのだ。
 帰国してから猛烈に練習するようになった。「そのとき優勝していたら自分はここまで成長できなかったと思う」と言う、この「明るく、楽しく、あきらめない」性格が新しい道を拓いた。

 大きな転機は、2009年(当時20歳)にやってきた。ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールにて、日本人史上初優勝。中国のチャン・ハオチェン(現在28歳、写真)と共に優勝。

 日本人として同コンクールでの優勝は史上初、アジア勢としても史上初の快挙だった。
 
 伝説のピアニスト、ヴァン・クライバーン(2013年、78歳で没、写真)も「奇跡のピアニスト」と最大限に彼を称えた。

 このとき、母と一緒にお世話になった、テキサス州・ダラスのホストファミリーではこんな逸話があるそうだ。

 普通、ピアノの練習の音がうるさいと言うのが普通だが、近所の人から「彼の演奏を聴きたいので窓を開けて下さい」と言われたとか、ホストファミリーの飼い犬が、彼の演奏のときスタンウェイのピアノの下にもぐりじっとしていた。彼が帰国すると落ち込むので彼のCDを買って犬に聴かせたという。

 これは、そのホストファミリーとの再会の場面。


 こんな動画も見つけた。アメリカ・カーネギーホールでのコンサート。2011年の東日本大震災のことを思い出し、何と、演奏中に涙しているのだ。素晴らしい演奏だけではなく、心優しい日本の音楽家、誰しもファンにならずにはいられないはずだ。


今日の風、なに色? 全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで

 これまでの歩みは順風満帆というわけではなかった。それは、母つき子さんにとっては特にそうだった。

 そのことは、彼が生まれてから12歳までをまとめた、辻井いつ子『今日の風、なに色? 全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで』(2000年、アスコム、写真)で語られている。

 彼が誕生したのは彼女が28歳のとき。出産の喜びを全身に感じながらも、いつまでたっても眼を開けない彼に対して不安が芽生えてきた。そしてその不安は、日々少しずつ大きくなっていった。結局、夫の孝から眼科の先生の診断結果を聞いたのは、病院から退院したあとだった。

 生まれつきの小眼球症で光も感じない全盲。「この子は一生眼が見えない」と知ったとき、母いつ子さんは「深い谷底に突き落とされたような」絶望感を覚えた。

 当時の日記帳をめくってみると「私や孝(夫)の顔を一生見ないで終わるのかと思うと、泣いても泣ききれない」「生まれたときからこんなハンディを抱えて、それでも伸行は生きている方が幸せなのか」「もう毎日が辛い。何をしていても辛い」と、悲痛な言葉が殴り書きのように残されていたという。 

 それからしばらくは、外出して美しいものを見ても、自然と涙がこぼれて仕方なかった。西の空に広がる夕焼けや、クリスマスのイルミネーションなど、季節と共に移り変わる街や自然の表情を眺めるのがとても好きなのだが、「伸行にはこの光景が一生見えないんだ」と思うと、視界が涙でかすみ、いたたまれなくなってしまったという。

 しかし、深い絶望感と同時にこんな気持ちもあった。それは、私が落ち込んでいたら、私もこの子もだめになってしまう。私の沈んだ気持ちが伸行に伝わってしまったら、この子はきっと明るい子には育たない、と焦るような気持ちだった。

 しかし、生後8カ月のときにある発見が。この子は私たち以上の耳をもっている。音楽に敏感なんだ、と気づいたことだ。スタニスラフ・ブーニン(52歳、写真)が演奏するショパン『英雄ポロネーズ』を聴くと上機嫌(手足をバタバタさせて全身で喜びを表現する)だったが、他の演奏家の英雄ポロネーズを聞かせても機嫌が直ることはなかったそうだ。

 それからというもの、彼の音楽への反応は明らかに豊かになっていく。筆者をさらに驚かせたのは、彼が2歳3カ月のとき、クリスマス・イヴの出来事だった。

 自分が口ずさんでいる『ジングルベル』のメロディーのに合わせて白いおもちゃのピアノの前に座って、両手の10本の指を開いて鍵盤を叩いているではないか。それまでは、ピアノが好きとはいってもただやみくもに鍵盤を叩いていただけだったのに。(写真)

 彼女は、「まだおむつも取れない伸行がピアノを弾いている。しかも私の歌声に合わせてキーを取って。その時の私には、無邪気にピアノを弾き続ける伸行の後ろから、柔らかい光が差し込んでいるようにも思えた」と記している

幸運な出会いに恵まれた

 「人とのつながりが才能を育てる」「辻井伸行はなぜ17歳でショパンコンクールに出場できたのか」という記事の一部)

 先の動画を見ても、多くの人との出会いが彼を育てたことが分かる。

まずは彼が2歳のとき、既にピアノが弾けるようになったときだったが、母子で都内の病院で闘病生活をしていた世界で活躍しているピアニスト・梯剛之(かけはし たけし、41歳、写真)親子を訪ね、生後1ヶ月で小児癌のため失明した梯に、お互いの視覚障害者としてのアドバイスをもらったことだ。

それから、1997年(当時8歳)のときのモスクワ音楽院教授のワレリー・カステルスキーとの出会い。母はある日、新聞で「将来アーティストになりたい人のためのコンサートがモスクワで開催。出場者募集中」という記事を読み、これはチャンスだと思い演奏会への出場が決定した。初めての海外遠征だったが、満足のいく演奏ができ、カステルスキーからも「ノブユキは演奏がうまいだけでなく、音と心が美しい」と最大級の褒め言葉をもらった。

その縁で出会ったのが、作曲家の三枝成彰(76歳、写真)だった。三枝は自身が企画した数多くのコンサートに辻井を出演させた。彼が同世代のピアニストと大きく異なる点の一つは、若い頃からいくつものオーケストラとのコンチェルト(協奏曲)を経験してきたことだ。国際的なコンクールでは、ファイナリストには必ず課題曲として出される。三枝が多くの演奏会を経験させたおかげで、辻井は大舞台でも「コンチェルトが楽しみ」とまで言うようになった。

 その三枝は、辻井いつ子著『今日の風、何色?』に『伸行くんがここまでたどりつくには、母親のいつ子さんの並々ならぬ苦労があったと思います。子供の道筋をどうやってつけるかは、どの親にとっても大きな課題。幼い子供が一人で自分の道を見つけられる可能性はほとんどありません。

 子供が好きそう、合いそうだと思ったら、親が道筋をつけてあげるべきです。時には強引でもいい。子供が大きくなってから「これがやりたい」と思っても、間に合わないこともあるからです。

才能がないとためらうことはありません。伸行くんと接するいつ子さんの気持ちの揺れや、目標に向かって一心に進む姿は、子育てに悩む多くの方のヒントになるはずです』

 と寄せ書きを送っている。 

 ところで、辻井伸行は、これまでに、増山真佐子、川上昌裕、川上ゆかり、横山幸雄、田部京子に師事している。

その中でも、一番濃密な時間を過ごしたのが東京音楽大学の川上昌裕(53歳、写真)だ。これは「ピアニスト辻井伸行 奇跡の音色 ~恩師・川上昌裕との12年間の物語」(2011年、アスコム)に詳しい。

 彼は、 東京音楽大学(ピアノ演奏家コース)と留学先のウィーン・コンセルヴァトリウム私立音楽大学を首席で卒業し、国際大会で4位に入賞した実力者。辻井が小学校に入学してから大学進学の時期まで、12年間、週2回のペースでレッスンをした。

 ショパン国際ピアノコンクールを終え、辻井は18歳。大学入学を期に、川上氏のもとを離れ活動の幅を広げた。

 世界的な指揮者・佐渡裕(57歳、写真と出会ったきっかけは、母が起こしたアクションだった。親しくしていたライターが、たまたま佐渡さんの取材をしていると知り、「佐渡さんに聴いてほしい」と、伸行の演奏を収めたテープを渡していただくよう依頼した。お風呂に入っていたとき、多分ショパンのエチュードだったと佐渡は述懐しているが、美しい音に驚いて妻にボリュームを上げてくれと頼んだという。
すぐに「すぐにこの子に会いたい、演奏を生で聴きたい」と思ったという。

 その年のクリスマス、演奏会後の佐渡の楽屋を訪ね、中学1年生の伸行は備え付けのアップライトのピアノで演奏した。ふと気づくと、私の横で聴いていた佐渡さんが大粒の涙を流していました。この日以来、「伸くんのためなら、何でもやるよ」と言ったそうだ。

 「伸くん、今度の春にパリでデビューしないか?」辻井が2002年、14歳の時に、こう声をかけた。佐渡は、まだ中学生だった辻井に、パリの伝統あるコンサートホール「サル・ガボー」でのラムルー管弦楽団の定期演奏会に招いた。そして、彼の指揮のもと、パリで初の演奏が実現したのだ。

ウラディーミル・アシュケナージ81歳、写真)も彼を支えている。

 アシュケナージは、ソ連出身のピアニスト、指揮者である。親日家であり、初来日は1965年のことで、以後は頻繁に日本を訪れている。2000年10月に初めてNHK交響楽団の定期公演の指揮台に立ち、2004年から2007年までは音楽監督を務めた。退任後は桂冠指揮者に任じられている。就任を記念して放送されたNHKの特集番組では、ルツェルン湖畔の自宅に和室がしつらえてあり、様々な日本の文物が飾られている様子が紹介された。2010年、洗足学園音楽大学の名誉客員教授に就任。後進の指導にあたる。
 
 現在はスイスのルツェルン湖畔に居を構え、シドニー交響楽団及びEUユース管弦楽団の音楽監督として主に指揮に重点を置きつつ精力的に活動している。

 
BSフジの番組で、「辻井伸行×アイスランド~継がれゆく音楽の絆~」2018年、
10月7日( 日) 18:00~19:55 、再放送:2019年1月3日(木)22:30~24:55もYouTubeで観た

 2018年4月、辻井伸行は、アイスランド交響楽団と共演のためアイスランドを初訪問。20世紀を代表するピアニストでありアイスランド響桂冠指揮者のウラディーミル・アシュケナージをはじめ、楽団員や現地ミュージシャンと交流。また、氷河のトンネルなどを訪れ、アイスランドの素晴らしい大自然の音に触れる旅となった。 アシュケナージ(指揮)との共演でショパンのピアノ協奏曲第2番の演奏も放映された。
 これは、2013年7月16日イギリスBBCプロムスで、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」、アンコールにリスト「ラ・カンパネラ」を演奏したシーン。

最後は、母・つき子さんの言葉。

 『あれ(注:ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール)から8年(記述は2017年)が過ぎ、伸行はプロのピアニストとして、世界中を駆け回る毎日です。夢中で子育てをしていた日々を振り返り、その核心を一言で表すなら「明るく、楽しく、あきらめない」ということです。

 やれば必ずできる、とは言いません。結果的に上手くいかない、思い通りにいかないこともあるでしょう。けれど、あきらめなければ、希望は必ず心の中に根を下ろします。明るく、楽しく、前向きに頑張れば、やがてその子に適した道が見つかり、その子にしか咲かすことのできない花を開かせることができるでしょう。

 これらはすべて、伸行から教わったことなのです』


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