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タンゴの起源と日本への到来【その1】

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 タンゴを始め、19世紀から20世紀前半に相次いで生まれたポピュラー音楽の発祥については諸説があり、明確ではないものが多い。

 前作で船村徹「別れの一本杉」のリズムが「ハバネラタンゴ」だという聞きなれない言葉を話していた。

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 早速Netで調べたがよく理解できなかった。生明俊雄著の「タンゴと日本人」には分かりやすい説明がされている。

タンゴの起源

 「タンゴには誕生の原点として三つのリズムがある。それは父親ともいえるハバネラ、母親ともいえるカンドンベ、そしてそのような両親から、タンゴより少し先に生まれていた、兄貴分のミロンガである。この三つのリズムとその相互の関係、そしてそこからタンゴが生まれた経緯を確認していく」とし、その後それぞれの解説がある。

まずは、キューバから渡ってきた父親「ハバネラ」から

 「ハバネラ」はあのカルメンのハバネラである。そして、その名が示すようにキューバの首都ハバナの音楽である。

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 19世紀前半にアルゼンチンのブエノスアイレスを流れるラ・プラタ河口当たりの港町やその対岸のウルグアイのモンテビデオにキューバの水夫たちが運んできたハバネラという音楽が人気となっていた。(地図)

 しかし、その源流は19世紀初めのイギリスで生まれたカントリー・ダンスと言う舞曲とされる。それがフランスに渡ってコントラダンサと呼ばれるようになり、さらにスペインを経由してキューバに持ち込まれハバネラと呼ばれるようになったという。

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 ハバナでブレイクしたハバネラから世界的なヒット曲が生まれる。

 それは、当時キューバに滞在していたスペインの作曲家、セバスティアン・イラディエール(1865年、56歳で没、写真)が帰国後に発表した、「ラ・パロマ(La Paloma)、鳩」「エル・アルグリートEl Arreglito)という二つの曲である。

 1840年代に発表された「ラ・パロマ」は今でも各国でスタンダード・ナンバーとして演奏されている。日本でも大正時代には楽譜が発売され、レコード化もされたが、戦後来日したメキシコのトリオ・ロス・パンチョスの歌でさらに知られるようになった。

ミレーユ・マチュー/ラ・パロマ

 もう一曲は、同じ1840年代に発表の「エル・アルグリートである

 フランスの作曲家、ジョルジュ・ビゼーによるオペラ『カルメン』の中の第一幕で歌われるアリア『ハバネラ』(Habanera)は、冒頭の歌詞から「恋は野の鳥」(仏:L'amour est un oiseau rebelle)の題名でも呼ばれる。彼は、セバスティアン・イラディエール作曲のハバネラ「エル・アルグリードをスペインの民族音楽と誤解して流用した。

エリーナ・ガランチャ/歌劇「カルメン」より「恋は野の鳥」

 上記2曲の世界的流行は、ハバネラを使った名曲を生むことになった。

 イタリアのカンツォーネ「オー・ソレ・ミオ」もハバネラのリズムであり、アメリカのジャズの名曲「セント・ルイス・ブルース」も中間部に典型的なハバネラが現れる

ルチアーノ・パバロッティ/オー・ソレ・ミオ

 日本の民謡にもハバネラのリズム使われている。熊本民謡の代表格で、明るくて陽気な歌詞が特徴の「おてもやん」、それに長野の木曾地方の民謡で大正年間に盆踊り唄として全国に広まった「木曾節」がその例である。

市丸/おてもやん 三橋美智也/木曾節


アフリカの黒人が連れてきた母親「カンドンベ」

 カンドンベはアフリカから南米に奴隷として連れてこられた黒人たちが持ち込んだ、アフリカの宗教の儀式やそれに伴う行進の音楽である。

 カンドンベは太鼓を中心とする多くの打楽器が同時に打ち鳴らされ、テンポも速くリズムのパターンも複雑だが、その中にタンゴのリズムに酷似しているものがある。そのためカンドンベもハバネラと同様にタンゴのリズムの誕生に強い影響を与えたと言われている。

 カンドンベはハバネラにおける「ラ・パロマ」のような世界的に有名な曲は生まれなかったが、強烈であるが浮き立つような陽気なリズムは、世界各国の土着の踊りや古謡の中に類似するものが多い。ちなみに、日本の栃木県の民謡「八木節」の太鼓のリズムはカンベに限りなく強い。

八木節

後は、兄「ミロンガ」の誕生

 タンゴより一足早く生まれたミロンガにはリズム・パターンは同じだが、テンポが違う2種類があった。

 一つはテンポの緩やかなミロンガで、ミロンガ・カンペーラmilonga campera、田舎のミロンガ)、またはミロンガ・パンペアーナmilonga pampeana 、草原のミロンガ)と呼ばれた。

 都市を離れたアルゼンチンのフォルクローレの代表的なジャンルとして定着する。
 
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 そこでは第一人者として、アルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキ(1992年、84歳で没、写真)がいる。

 そのローカルなミロンガはいかにも田園地帯の音楽らしい、ゆったりした曲が多い。ユパンキの代表作「牛車にゆられて」(Los ejes demi correte)はその典型である。

アタウアルパ・ユパンキ/牛車にゆられて

 もう一つのミロンガはテンポの速いミロンガで、ミロンガ・シウダーナ(街のミロンガ)と呼ばれる。

 ミロンガの多くは即興演奏で、後世には残らなかったものが多い。ただし1990年前後に作曲されたタンゴの中で、「エル・チョクロ」「ラ・モローチャ」「エル・エントレリアーノ」などはタンゴ・ミロンガと呼ばれることもあり、タンゴよりむしろミロンガのリズムで演奏され、ミロンガを踊るのに適していたようだ。

ミロンガの弟「タンゴ」が誕生

 20世紀になってしばらくは、ミロンガとタンゴは区分のはっきりしない状態にあった。

 しばらくすると2拍子のミランガのリズムとは明らかに異なる、4拍子のタンゴが現れたのだ。

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 その代表曲は1917年に生まれた、ウルグアイのヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲス(1948年、51歳で没、写真)が
作曲した「ラ・クンパルシータ」(La Cumparsita)である。

 その少し前に作曲された「夜明け」「フェリシア」などのタンゴの名曲も同様に4拍子のリズムである。

ファン・ダリエンソ楽団/ラ・クンパルシータ  フェリシア

 タンゴが生まれてからもミロンガは生き残っている。Wikipediaによると、タンゴのサイトの Todotango でも、ミロンガと分類されている曲が300曲ほどあるという。

 タンゴ誕生以降、ミロンガの新曲には、「ミロンガ・センチメンタル」(1931年)、「ミロンガ・トリステ」(1937年)、「天使のミロンガ」というように、タイトルにミロンガという名称を入れてタンゴと区別している。

アストル・ピアソラ/天使のミロンガ

 続く。

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