ここのところ音楽への興味が高まり、逆に読書量が減ってきていたが、どうやら最近は読書への関心も元に戻ったようだ。
図書館で借りるのはいつも通りだが、ぼちぼち書店に寄って本を買うことが増えてきた。それも読んで面白いものが多く、ブログでなかなか紹介することができない能力と書くことに対する集中力のなさがもどかしい。
●山折哲雄「こころ塾<2>」
肺結核で夭折した生涯の友・高野公男(1956年、26歳で没、写真右)とは東洋音楽学校(現:東京音楽大学)で出会い、大学在学時に、作詞家の高野と組み作曲活動を開始した。
そのこてこての日本の演歌と思っていた曲が何と「ハバネラタンゴというタンゴのリズムを乗っけて作った曲」だというのだ。
春日八郎/別れの一本杉(1955年)
●タンゴのリズムの歌謡曲
日本の歌謡曲でタンゴのリズムの曲は幾つかは知っている。
戦前では「マロニエの木陰」(1937年、松島詩子)、「或る雨の午後」(1938年、ディック・ミネ)、「新雪」(1942年、灰田勝彦)、「湯島の白梅」(1942年、小畑実)。二葉あき子が1947年に歌った「夜のプラットホーム」は1939年・淡谷のり子のカバーだ。
松島詩子/マロニエの木陰(1937年)
灰田勝彦/新雪(1942年)
小畑実&榎本美佐江/湯島の白梅(1942年)
二葉あき子/夜のプラットホーム(原曲は淡谷のり子:歌、1939年)
戦後はたくさんの曲がタンゴのリズムだ。
●タンゴと日本人
それで、ネットで探していたらこんな本に出合った。
その帯封の表には「石原裕次郎も美空ひばりもみんな「タンゴ」を歌った」とし、
「夜霧よ今夜も有難う、みだれ髪、有楽町で逢いましょう、別れの一本杉、上海帰りのリル、銀座の恋の物語、与作、柔、函館の女、霧子のタンゴ、夜霧のブルース、アンコ椿は恋の花、だんご3兄弟」が書いてある。納得の曲もあるが、ほとんどが初耳で驚いてしまう。
そして、裏には「さて、日本人とタンゴについて考えるときに、もうひとつ忘れてはならないことがある。
それは、ブエノスアイレスから持ち込まれたアルゼンチン・タンゴや、欧米から届けられるコンチネンタル・タンゴだけではなく、ある時期からは日本独自のタンゴが生まれ、広く聴かれるようになったことである。(中略)
歌謡曲のなかでも最も日本的といわれる演歌にもタンゴ調の曲がある。また子供たちに歌わせ、聴かせるために作られたいくつかの童謡のなかにもタンゴのリズムが使われた。そういう曲を聴いたり、歌ったりするときに、タンゴを意識しているかどうかは別にして。
こう考えると、やはりタンゴは日本人にとって何か特別なものであるということは言えそうだ」(「はじめに」より)
もう興味津々、一日も早く読んでみたいと思い、仕事の帰りがけにある、大きな書店に在庫を問い合わせてみた。それが「有る」という。早速その日に飛んで行って買った次第である。
それでは、この本を参考に、「日本人とタンゴ」について何回かブログを作ろうと思う。
続く。