●大学別の著名な歌手(続)
◆東京音楽大学(旧:東洋音楽学校)
織井茂子は、10代の頃は、童謡歌手として、リーガル(コロムビアの廉価盤)の専属として活躍。
東洋音楽学校を卒業後、歌謡曲歌手となるべく当時有名であった大村能章歌謡学院の門下となり、大村の紹介により「都能子」の芸名で1947年にキングレコードからデビュー。
1949年、芸名を本名の旧姓である織井茂子に戻して、コロムビアに移籍し、『安南夜船』で再デビュー。
正統派歌手が敬遠されはじめていた時代、織井の名を不動のものとしたのは、やはり同年に開始された連続放送劇『君の名は』の主題歌をレコーディングしたことによる。
続く、第2部の主題歌『黒百合の歌』、佐田啓二とのデュエットである第3部主題歌『君は遥かな』もヒットし、織井は全国的なヒット歌手としてスターダムにのし上がった。
織井茂子/君の名は(1953年)
菅原都々子は、青森県上北郡三本木町(現・十和田市)出身。個性的なビブラート唱法が特徴。現在は、特定非営利活動法人 名曲慰問団 名誉顧問として老人福祉施設にボランティア活動を行っており、90代に入った今でも歌謡番組に定期的に出演している。
2011年8月16日に二葉あき子が亡くなり、第1回NHK紅白歌合戦に出演した最後の存命者となった。(下表)
ちなみに、第1回NHK紅白歌合戦は、今日から68年前の1951年1月3日にNHK東京放送会館第1スタジオで行われ、20時から21時に生放送された。当時はラジオ放送。テレビ放送が始まったのは、第3回の1953年から。ちなみに大晦日になったのは第4回以降である。
菅原都々子は『憧れの住む町』(1950年)で紅組トップバッター及び先攻トップバッターを務めた。紅白には計4回出場している。
『江の島悲歌』(1951年)が大映により映画化され共に大ヒットとなり、菅原の名前は全国区となる。その後続編的な作品として『佐渡ヶ島悲歌』『博多エレジー』『海峡エレジー』などが製作され独特のビブラートが掛かったうなり節、悲壮感のある声質も相まって「エレジー(悲歌)の女王」との異名をとるようになった。
エレジーものが飽きられ始めたころ、イメージチェンジを図って売り出した『月がとっても青いから』 (1955年)が、現在の市場規模の30分の1の時代、100万枚を超える大ヒットとなり、この曲で歌手としての地位を不動のものとした。
菅原都々子/月がとっても青いから(1955年)
渡辺真知子は、歌手、女優、シンガーソングライター。神奈川県横須賀市出身。一般にニューミュージックに分類される。洗足学園短期大学卒業。
1975年、高校生時代にヤマハポピュラーソングコンテストに「PIA」というグループで参加したが、エントリー時はすでにソロ活動を行っていた。『オルゴールの恋唄』で審査員特別賞(川上賞)を受賞。
渡辺真知子/迷い道(1977年)
米良美一は、宮崎県西都市出身。3万人にひとり程度の割合で発症する難病、先天性骨形成不全症を持ち生まれる。身長138.7cm。
1990年、神奈川県の洗足学園音楽大学の声楽専攻にトップの成績で入学。在学中、テナーから女声の音域を歌うカウンターテナーに転向する。1994年、大学を首席で卒業後、アムステルダム音楽院にオランダ政府給費留学。
1997年、映画『もののけ姫』の主題歌を歌ったことで大衆的人気を獲得。その当時は真面目な好青年のイメージで売り出したが、2012年以降はひょうきんな言動をするオネエ系のバラエティタレントとして活躍。2017年、母校の洗足学園音楽大学50週年記念コンサートに出演している。
米良美一/映画「もののけ姫」同名主題曲(1997年)
平原綾香は、シンガーソングライター、サクソフォーン奏者。
芸能界デビューのきっかけは、洗足学園大学附属高等学校(現洗足学園中学校・高等学校)高校の文化祭の時にミュージカル『天使にラブソングを2』でリタ役を演じ「Joyful Joyful」を歌い、ドリーミュージックの社長の目に留まったことからである。
洗足学園音楽大学ジャズコースサックス専攻入学。サックスを二宮和弘とボブ・ザングに師事。2007年卒業。卒業時には「学長賞」を受賞した。
平原のデビュー曲「Jupiter」は、イギリスの作曲家、グスターヴ・ホルスト(1934年、59歳で没)の組曲「惑星(Planets)」の第4曲、「木星」をモチーフにしたものだが、吉元由美(現在58歳)により、その第4主題に新たな歌詞が付けられたもので大ヒットした。
平原綾香/Jupiter(2003年)
(Wikipedia 参照)続く。