今日は1月8日。もう、すっかりお屠蘇気分も無くなったところだろうが、今日から小学校も始まり、勤め先の前の通学路もにぎやかになる。
自分は年末年始は5連休だったが、寝正月でゆっくり休むことが出来た。
官公庁は12月29日(土)から1月3日(木)までの6連休。(図)
民間では12月29日(土)から1月6日(日)までの9連休というところも多い。
自分のサラリーマン時代は9連休のところが多かったが、今ではそんな長い休みが懐かしい。5日連休はアッと言う間に終わった。
●年末年始の行事
森高千里/一月一日(1995年)
正月には定番の行事がある。
◆正月以前(下図)
1.まずは大掃除。(12/13~12/28)
2.しめ縄、しめ飾り、門松を飾る。(12/27、12/28)
3.鏡餅を飾る。(12/27、12/28)
*29日は9が「苦」となり縁起が悪いとされ、31日に飾るのも「一夜飾り」と言って神様に失礼だと言われている。
4.年越し蕎麦を食べる。(大みそか)
5.除夜の鐘を聞く。(大みそか)
◆お正月以降(下図)
6.初日の出を拝む。(元旦)
7.初詣に出かける。(元旦)
8.おとそをいただき、おせち料理、お雑煮を食べる。(元旦)
9.お年玉をあげる(貰う)。(元旦)
6.初日の出を拝む。(元旦)
7.初詣に出かける。(元旦)
8.おとそをいただき、おせち料理、お雑煮を食べる。(元旦)
9.お年玉をあげる(貰う)。(元旦)
10.書き初めを行う。(1月2日)
11.七草粥をいただく。(1月7日)
12.鏡開きを行う(1月11日)
13.左義長(自分の地域ではとんどと呼んでいた)を行う。(1月14日夜/1月15日朝)
11.七草粥をいただく。(1月7日)
12.鏡開きを行う(1月11日)
13.左義長(自分の地域ではとんどと呼んでいた)を行う。(1月14日夜/1月15日朝)
*しめ縄やしめ飾りは、「松の内」が終わる頃に外すのがよいとされる。
松の内とは、門松を飾っている期間で、元々は1月15日までを指していた。しかし、1月11日の鏡開きの時にもまだ門松を飾っているのはおかしいと、関東地方では1月7日に松の内を早め、それに合わせてしめ縄などの正月飾りも外すようになったとされている。しかし、関西地方では「松の内」が1月15日で、しめ縄やしめ飾りを外す地域が多い。
そして、外したしめ縄やしめ飾りは、1月15日に神社で行われる〝どんど焼き〟に出して処分するのが一般的である。どんど焼きに行く事が出来ないという場合は、通常のゴミとして扱いますが、神様に関する物なので出来れば紙に包んだり、他のゴミとは区別するなどした方がよいとされる。
昨日の朝お参りした神社には、既にしめ縄やしめ飾りを処分する場所が備えられていた。
●自分のお正月
子どもの頃や、転勤先が実家に近く、父母や義父母が元気なころは、家族が全員揃い、上記の行事はほとんど網羅して正月らしいときを過ごしたものだが、段々らしさが無くなってきた。
結核で夭折した天才作曲家、滝廉太郎(1903年、23歳で没、写真)作曲の唱歌「お正月」(1900年)。
一番の歌詞は、「♪お正月には 凧あげて こまをまわして 遊びましょう♪」と男の子向けの正月遊び、二番の歌詞では「♪お正月には まりついて おいばねついて 遊びましょう♪」と女の子向けの正月遊びが歌われている。
「♪もういくつ寝るとお正月…♪」という歌い出しも本当の気持ちだったし、歌詞にある遊びも実際に正月ならではの遊びだった。
人混みや長い間待つのが苦手なので、三が日の「初詣」を避けるようになって久しいが、初出勤の1月4日に通勤の途中にある神社にお参りした。
しかし、三が日を超え、しかも朝早い7時だったこともあり、人通りもなく、賽銭箱も置いていない寂しい初詣だった。
そして、鬼門の年賀状。昔から年賀状を出すのが苦手だ。
最近は「終活年賀状」というのがじわじわ広がっているそうだ。文章にしたためたことはないが、結果的には自分は随分前から行っている。
遠くて、間違いなくもう二度と会うことがなさそうな人に年賀状を出さないと、相手からも来なくなった。
それで、今や年賀状は本当に少ない。正月に来る年賀状は本音を言えばとても楽しみであるが、自業自得というか、転職を繰り返した経験は、会社にいたときだけの「お付き合い年賀状」が大半だったことを痛感させられるときでもある。
「喪中のあいさつ」も年ごとに多くなった。姉の家もご主人が亡くなったので年賀状は無い。
世間的にも年賀状は減る一方で、人口の減少、他人との付き合い方の変化、慣習に対する姿勢の移り変わり、核家族化など多種多様な理由が考えられるが、やはりインターネットとソーシャルメディアの普及によるところが大きいと見て間違いはない。
右図の通りだが、直近2018年発行・2019年用のデータに関しては、2018年8月30日に発表された2019年用年賀葉書の当初発行枚数の24億21万2千枚。ちなみに2018年用の当初発行枚数は25億86百万8千枚だったので、前年比▲約7.2%となっている。
年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(最新)(ガベージニュース2018/8/31)
●寒い毎日
寒い毎日が続き、ニュースもそのことを強調しているが、巷では地球温暖化と言われているのに、本当にそうだろうか。
もちろん、今と過去では住んでいるところを始め、環境が違うので比較は出来ない。
しかし、子どもの頃、今より体感的には間違いなく寒かった。
暖房と言えば、火鉢、炬燵に湯たんぽ(写真)。
毎年冬はしもやけやあかぎれでとても辛い。しもやけは温めるとかゆくなる。それも辛かった。今の子たちはしもやけやあかぎれを知っているのだろうか。
気象庁の調査による、日本の冬(前年12〜2月)平均気温偏差の経年変化(1898〜2018年)
によると、日本の冬(前年12~2月)の平均気温は、上昇傾向が続いており、長期的には100年あたり約1.10℃の割合で上昇しているという。(下図)
【細線(黒):各年の平均気温の基準値からの偏差、太線(青):偏差の5年移動平均、直線(赤):長期的な変化傾向。基準値は1981~2010年の30年平均値】
こと東京ではこの140年あまりの間に年間で3℃、夏は2℃強、冬は4℃ほど平均気温が上昇しているという。(下図)
夏の熱中症も怖いが、冬のヒートショックによる突然死の方がもっと怖い。ましてや、心筋梗塞で手術した身だ。風呂に入るときが一番緊張する。姉の夫は昨年風呂場で亡くなった。これまでずっと朝風呂だったが、最近は止めた。
今の仕事は寒くても夏のように汗をかく。違うのは醒めたときの冷たさだ。冬は本当に注意しなければならない。
下図の様に1月、2月という冬の死亡率が年間で一番高い。特に老人にとって冬の健康管理が一番大切だ。
●冬の曲
ボンド/Viva
ボンド(bond)は2001年、ロンドンで 「21世紀対応、超美形ストリング・クァルテット!完璧なテクニックを身につけた美女4人組」 というキャッチ・フレーズで登場したオーストラリア人とイギリス人の女性4人からなる「元祖クロスオーヴァー」ストリングカルテット。
「Viva!」は、ヴィヴァルディの四季より「冬」の第一楽章をポップアレンジしたボンドの楽曲。日本ではトヨタ・istやCyberdamのCMやプロレスラー佐藤耕平の入場曲、ドラマ「小早川伸木の恋」の挿入歌などで使われた。
原曲もどうぞ。
土居裕子/冬の星座
「冬の星座」は、1947年(昭和22年)に中学の音楽教科書に掲載された歌曲。歌いだしは「♪木枯らしとだえて さゆる空より♪」。
原曲は、19世紀に活躍したアメリカの作曲家ウィリアム・へイスによる1871年の歌曲「モリー・ダーリン(Molliey Darlin')」。内容は、モリーという女性に対して、「僕の事好きだって言ってくれ」と悶々とする男の狂おしい心境を歌ったラブソング。
「冬の星座」との関連性はないようにも思えるが、2番の歌詞では「星」というテーマにおいて共通点があるようだ。
日本語の訳詞を手がけたのは、作曲家・作詞家・音楽評論家の堀内敬三(1983年、85歳で没、写真)。株式会社浅田飴の創業者である堀内伊三郎の三男として生まれ、ミシガン大学、次いでマサチューセッツ工科大学大学院を修了。本来は工学専攻であったが、ミシガン大学併設の音楽学校でも学び、帰国後は作曲・作詞活動を始めた他、、音楽之友社創立(1941年)にも携わった。
原曲もどうぞ。