いよいよ2018年もカウントダウンに入った。
今年は「平成」最後の年末で、しんみりとこの30年間の思い出に浸りたいところだが、さすがに30年間は長く、いろんな出来事があった。
日本の元号では昭和(64年)が第一位の長さ。続いて、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 なお、応永は1394年から1428年までの期間。この時代の天皇は後小松天皇(在位:1382~1412年)、称光天皇(在位:1412~1428年)。室町幕府将軍は足利義満(在位:1368~1394年)、足利義持(在位:1394~1423年)、足利義量(在位:1423~1425年)だった。
天皇陛下は、2003年に前立腺がん、2012年に心臓手術を受けている。長期間のご公務に感謝したい。来年4月30日に退位し、長男の徳仁皇太子さまが翌日即位する予定だ。
今上天皇は12月20日、23日の85歳の誕生日に先立ち行われた記者会見で、平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、「心から安堵」していると語られた。
思い起こせば、もう60年も前になる美智子皇后陛下とのご成婚は、「ミッチー・ブーム」と呼ばれ、社会現象になる。1959年のご成婚の年に生まれた女の子はこぞって『美智子』という名前を付け、名前ランキング4位となった。(明治安田生命名前ランキング参照)
「皇太子妃には旧皇族・華族から選ばれるのが当然」と考えられていた時代に「昭和のシンデレラ」になった、正田美智子さん(当時)は驚きを持って迎えられた。まだ9歳だった自分もよく覚えている。
1958年、宮内庁で行われた11月27日の婚約記者会見で美智子さんが「とてもご清潔でご誠実なご立派な方で心からご信頼申し上げ」と皇太子の印象を述べた発言が大きな注目を集め、当時の流行語になった。
パレードの一週間前に NHK の受信契約数(いわゆる普及率)は、200万台を突破。またテレビ製造メーカー、週刊誌各社は大量消費社会へのテイクオフを果たし、テレビコマーシャルや週刊誌の消費が伸びる契機となった。
皇后は音楽に造詣が深く、学生時代からピアノが得意とされる。バチカン訪問の際の音楽会では、即興でグノーの『アヴェ・マリア』の伴奏を。このほかハープも得意とされる。そして、2009年のカナダ訪問時に訪れたトロントの小児病院では子供たちを前に、子育てのとき子供たちに歌って聞かせた「揺籃のうた」(北原白秋作詞、草川信作曲)を歌唱されたこともある。
そして、ねむの木の子守歌(作曲:山本正美)を作詞、1966年、吉永小百合と梓みちよの競作でシングルレコードとして発売された。
吉永小百合/ねむの木の子守歌(1966年)
最近は政治家の教養のなさと、あまりの言葉の軽さに落胆していたが、天皇の記者会見は、正に「国民に寄り添う」ことを実践されていたそのお言葉の重厚さに感動したものだ。
心から30年のご公務に感謝したい。
●平成の思い出
平成元年の1989年は、自分が38才のとき。地方の営業所長だったが、初めて一拠点の責任者になった年だった。
個人的にも目まぐるしく変化した30年だったが、世の中の大事件については、テレビや新聞で何度も特集しているので、「政治」の1点だけに絞って紹介したい。
■消費税導入
そして、同年は消費税導入の年。そのときは初回で、4月1日に3%となった。1997年4月1日に5%。そして、2014年10月1日に10%になるはずだったが、世間の反発を恐れて、2014年4月1日に8%となり、さらに導入から30年後の来年の10月1日に10%になる。
消費税の目的は、消費税法 第一条2項にこう書かれてある。
「消費税の収入については、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする」
いずれこんなことになるのではと危惧していたが、この目的は、なし崩しにされるとともに、逆進税である消費税の税率が上がる程、低所得者の生活に打撃を与える。
今回は、過去、増税のたびに内閣が危機に瀕したことに鑑み、一時しのぎの泥縄対策に躍起のようだが、そんな無駄なことをする位だったら増税など止めたらいいのにネ。
しかし、ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら自民党の有力者は軒並みリクルート事件に関与していたため身動きが取れず、河本敏夫は三光汽船経営危機問題から敬遠され、さらに伊東正義や田村元、坂田道太、後藤田正晴からも断られて後継の総理総裁選びは難航する。
これが、「竹下裁定」と呼ばれるものである。
■バブル景気
ときはバブルの真っ只中。「バブル時代」というが、バブルといわれる時期は1986年12月から1991年の2月まで。
その前は「円高不況」と称された深刻なときが続き、輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場には倒産が続出していたが、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのはブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり、円高不況という文字がメディアから消えた。
バブルの象徴と言われた、1989年に、三菱地所が約2,200億円で買収したニューヨークのロックフェラー・センター(写真)。
このような成金的な「ジャパンマネー」による海外資産買いあさりは、アメリカ国民とニューヨーク市民の大きな反感を買い、ジャパン・バッシングの火に油を注いだ。しかし、後に不動産不況(バブル崩壊)で莫大な赤字を出すことになり、運営会社は破産。三菱地所が買収した14棟のうち12棟は売却され、現在は下記の「タイムライフ・ビル」と「マグロウ=ヒル・ビル」の2棟のみが三菱地所の所有となっている。
ところで、宇野内閣後は海部内閣、宮澤内閣、細川内閣、羽田内閣、村山内閣、橋本内閣、小渕内閣、森内閣、小泉内閣、安倍内閣(一次)、福田内閣、麻生内閣、鳩山内閣、菅内閣、野田内閣と続き、現在の安倍内閣(二次)に続く。30年の間に74代の竹下内閣から98代の安倍内閣まで改造まで含めると、24もの内閣が替わった。1年に1度に近い早さである。
■民主党政権誕生
この間の最大のハイライトは、2009年(平成21年)の民主党政権誕生だろう。
■現政権と民主党政権の違い
振り返ってみると、民主党政権は現在の安倍内閣とは真逆の政権で、前者が国民や弱者に重きを置き、後者は国や富裕層に重きを置く。前者は「決断力がなく決められない」、後者は「生煮えでも決める」。前者は結果的に「迷走」に終わったが、後者は「暴走」しているという違いだ。
政治責任を取らなかったということでも安倍政権は歴史に残るであろう。
「政治責任が有効に機能しないところには民主主義が存在しない」という憲法学の杉原康雄・一橋大名誉教授の言葉の意味は重い。
民主党政権に対する期待が多かっただけに、その反動と言うか、落胆も大きかった。しかし、現在の政治の混迷と劣化ぶりを見ると、民主党政権がもっと頑張ってくれていたならと悔やまれてならない。日本が模範国として世界の尊敬を集めるチャンスを逃してしまった。
30年にわたる元号「平成」には、「平和の達成」という意味がある。
特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法などを強引な手法で成立してきた安倍政権には危険が一杯だ。
自分もホワイトハウスに向けた「辺野古の埋め立て中止」を求める嘆願書へ署名した。
日本国民なのに、日本の首相が国民の声を聞かないので、アメリカ大統領に嘆願しなければならないとは異常事態である。忸怩たる思いだが、仕方ない。
天皇は日本が戦争に巻き込まれなかった平成の30年間に安堵されたが、平成の次は戦争の時代だったと後世に残らないよう祈るほかない。(Wikipedia 参照)