Wikipediaの季語一覧の「冬の季語・植物編」を見ると、下記の通りだ。どう考えても記述が少なすぎる感は否めない。
自分の職場であるマンションは、山茶花(以下「サザンカ」と言う)の花が今真っ盛りだ。(写真)
前作ではイチョウの落ち葉の処理に困っていることをお伝えしたが、これには落ち花はあるが、悩むほどの量ではない。
●ツバキ(写真左):花が散る時に、花首から落ちる。
花首から落ちるツバキの散り際から「首が落ちるので縁起が悪い」と武士には嫌われていたというエピソードが有名。
●サザンカ(写真右):花が散る時は、花びらが落ちる。
大川栄作/さざんかの宿(1987年)
サザンカという言葉を聞くと、童謡の「たきび」の次のフレーズ、「♪さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき♪」を思い出す。
●たき火
■童謡「たきび」
付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。当地には現在も「たきびのうた発祥の地」の看板が立てられている。(図)
しかし、ちょうど日米開戦と同じ時期であったため、放送が打ち切りになったり、軍部から「たき火は敵の攻撃目標になる」とクレームがついたりしたが戦後復活し、軽快なメロディーとともに長く人々に愛される童謡となった。
戦後の1948年より日野市に居住。各地の学校の校歌を数多く作詩、日野第四小学校・七生中学校の校歌も聖歌の作品である。1999年、日野市・旭が丘中央公園にたきび会によって「たきび」歌碑(写真)が建てられた。また、JR中央本線・豊田駅の発車メロディに「たきび」が使われている。
童謡「たきび」(1941年)【さざんか さざんか咲いた道】
■たき火の現状
今では、私有地であっても近隣住民の苦情やトラブル(洗濯物が汚れる、住居の外壁に煤がつく、悪臭が発生する等)に気を使い、決定的だったのは、1997年のダイオキシン騒動で、すっかりたき火は悪者扱い。また、日本国内の山火事の原因は、落雷など自然発火によるものはまれであり、最も多い原因がたき火だとされ、たき火はしにくくなった。
左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なり、とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼きとも言われるが、自分の地元の広島県では「とんど祭り」と呼んでいた。
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松やしめ縄、お守り、破魔矢、祈願成就した「だるま」、書き初めで書いた物を持ち寄って焼き、その火にあたったり、餅を焼いて食べて無病息災を願うものだ。
「とんど祭り」は、待ちに待った年始の風物詩であった。
●枯葉と落ち葉
■枯葉(Les Feuilles mortes )
「枯葉」は、1945年にジョゼフ・コズマが作曲し、後にジャック・プレヴェールが詞を付けたシャンソンの代表的なナンバーだが、イヴ・モンタンと言えば「枯葉」というように、「枯葉」は、彼の代名詞の曲となっている。
当時台頭してきたムッソリーニのファシスト政権を嫌い、1923年に家族でフランスに移住した。マルセイユで育ち、港で働いたり、姉の経営する美容室で働くなどしていたが、次第にミュージック・ホールで歌うようになる。1944年にエディット・ピアフに見出され、彼女はモンタンにとって助言者また愛人となり、2人の関係は数年の間続いた。
1945年に映画デビュー。1946年に出演した『夜の門』で、主題歌の「枯葉」を歌ってヒットさせた。
しかし、この曲が本格的に広まったのはインストゥルメンタル版でポピュラー・ピアニストのロジャー・ウィリアムズがヒットを飛ばしてからであった。ウィリアムスのバージョンは、枯葉の舞い散る様をピアノで模したきらびやかなアレンジが大衆に大受けして1955年に全米ヒットチャートで4週連続第1位を達成している。
イヴ・モンタン ロジャー・ウィリアムス/枯葉
五輪真弓/恋人よ(1980年)【枯葉散る 夕暮れは】
■落ち葉(落葉)
次のアルバート・ハモンドが歌う「落葉のコンチェルト」(For The Peace of All Mankind、1973年)も、ABBAの歌う「落葉のメロディ」(Hasta Mañana、1974年)も、「落葉」という言葉はどこにもない。前者の題名を翻訳すると英語で「全人類の平和のために」であり、後者はスペイン語で「おやすみ」とか「また明日会いましょう」という意味だ。
これはいつものことで、日本人が独特の感性でタイトルを付け直したもの。ただし、ご当人からクレームが入ったという話はいまだに聞いたことがない。
アルバート・ハモンド「落葉のコンチェルト」/ABBA「落葉のメロディ」
奥村チヨ/終着駅(1971年)【落葉の舞いちる停車場で】