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ブラックフライデー

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 今日の朝刊のチラシ普段より厚かった。

 イオンイトーヨーカドーしまむらAvailRight-onバースデイAOKIと、7社「ブラックフライデー」と銘打ったチラシだった。(画像は昨年のチラシ)

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 ブラックフライデーセールは、大体11月23日(金)~25日(日)のようで、主な開催企業はの通り。


 実は、昨日までこの言葉すら知らなかった。

 ブラックフライデー(英語: Black Friday)とは、小売店などで大規模な安売りが実施される11月の第4金曜日のこと。 今年は本日(23日)だ。

 Wikipediaによると、『アメリカ合衆国では感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日にあたり、正式の休暇日ではないが休暇になることが多く、ブラックフライデー当日は感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セール日にもなっている。買い物客が殺到して小売店が繁盛することで知られ、特にアメリカの小売業界では1年で最も売り上げを見込める日とされている。また、年末商戦の幕開けを告げるイベントでもある』そうだ。  

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 昨日仕事の帰りがけ、イオンに買い物に寄ると「ブラックフライデー」(写真)という看板を見つけ、ギョッとした。

 「ブラックマンデー」(暗黒の月曜日、1987年10月19日の世界的株価大暴落の開始日)という悪いイメージが重なったからだ。

 「ブラック・サーズデー」(暗黒の木曜日、1929年)というのもあった。

ブラックマンデー(暗黒の月曜日)

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 ブラックマンデーの当日は、ニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がった。(図)

 この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった、1929年の暗黒の木曜日ブラック・サーズデー、下落率12.8%)を上回った。

 これが翌日アジアの各市場に連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした。欧州の各市場でも機関投資家の売り注文が殺到、世界同時株安となった。イギリス連邦は経済的に解体された。

 しかし、日本はすでに1986年頃に始まっていたバブル景気が更なる膨張を続け、1989年(平成元年)12月29日には史上最高値(38957円44銭)を付けることになり、海外の機関投資家にとって日本株は売り対象ではなく、買収の対象だった。

  日経平均株価は翌日2037.32円高(9.30%)となり、これは上昇幅で当時の歴代1位、上昇率で当時の歴代2位の記録である。金融緩和を続けた日本では、日経平均株価は半年後の1988年(昭和63年)4月には下落分を回復した。(Wikipedia 参照)
ブラック(黒)のイメージ

 以前、「ブラック企業」「ブラック企業・続編」「ブラック研修」という題名のブログを投稿したことがあるが、特に政治経済の分野ではブラックという文字を使った言葉がよくやり玉にあげられ、可哀そうな気がする。

 例えば、「ブラックボックス」「ブラックリスト」「ブラックサイト」…。

 最近では北海道地震で「ブラックアウト」という現象も起きた。

 悪い噂のことを「黒い噂」ともいう。

 ところが、この「ブラックフライデー」は日本語に訳すと、「黒字の金曜日」ということのようだ。

 一方で、黒は、その「黒字」とか「黒帯」「漆黒」など、いい意味に使われることもあり、名誉挽回のため「良い黒(ブラック)【その1】」良い黒(ブラック)【その2】」と特集を組んだこともある。

 「黒」の付いた苗字の有名人も多い。

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ブラックフライデー(黒字の金曜日)

 本題の「ブラックフライデー」に戻ると、Wikipediaによると、この言葉は、『1961年ごろからアメリカ・フィラデルフィアで始まり、1975年にはかなり広まった比較的新しい言葉で、当日は買い物客で道路が混むことからそう呼ばれている。

 名付けたのはフィラデルフィアの警察で、人が外に溢れて仕事が増えるために「真っ暗な金曜日」と呼んだことがきっかけとされる。当初、小売店などはこの言葉に不快感を示して「ビッグフライデー」という言葉を作ったが、一般には「ブラックフライデー」で広まった。その後、フィラデルフィアの新聞が「小売業者が儲かり黒字になる」という解釈を発表してからは、良い意味で使われるようになった』

 そして、『日本でも11月は年末商戦を控えて売り上げが伸び悩むため、消費喚起を狙って、ブラックフライデーのセールが開催されるようになった。2016年には、ノジマイオングループが初めて本格的なブラックフライデーのセールを開催した』 
とある。 

 自分もどこかのお店に顔を出してみたい。

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「黒」が付いた苗字の歌手の歌

沢年男/時には娼婦のように(1977年)

 黒沢年男(74歳、写真)は俳優・歌手。

 1992年に大腸癌が発覚し、それまでアイパーをかけていた頭髪を短く刈り込み(現在はそれに加えて白く染めている)、2008年に膀胱癌の内視鏡手術を行い、その後は無精髭(長さは2mmにそろえている)を生やし、ニット帽を被るようになった。2010年、著書『二流芸能人が、何度がんになっても笑って生きている理由』(講談社刊)を上梓した。 

 「時には娼婦のように」作詞・作曲はなかにし礼なかにしが全曲作詞・作曲・歌唱したアルバム『マッチ箱の火事』がフォーライフから発売され、本曲はこのアルバムからのシングル・カット。

 性的な歌詞できわどい内容であるが、男女間の感情をうまく表現した歌としてヒットし、黒沢盤の累計売上は70万枚に達し、黒沢の歌謡曲における代表作となった。 

黒沢年男/時には娼婦のように(1977年)


摩季/ら・ら・ら(1995年)
 
 大黒摩季(48歳、写真)も大病を患い、休業していた。

 2010年8月24日に13枚目のアルバム「すっぴん」の発表とともに1996年には発覚していた子宮疾患の治療のため、2010年10月末で無期限活動休止を発表した。彼女が闘っていた病気は、重度の「子宮腺筋症」、「左卵巣嚢腫(子宮内膜症性のチョコレート嚢腫)」、「子宮内膜症」、「子宮筋腫」の4つ。10年近く誰にも相談できず、一人で病気に向きあってきたという彼女は「私がこの現状をお知らせすることで同じ病気を持ち、一人で悩み苦しんでいる女性の皆さんの励みやちょっとした参考になって頂ければとも思い公表いたしました」と、病状を公開した真意も明かしている。

 しかし、2015年11月に子宮全摘出の手術を受け、長年患ってきた子宮疾患を完全克服し現在は復帰している。

 「ら・ら・ら」は、10枚目のシングル。テレビ朝日 (ANB)系ドラマ『味いちもんめ』の主題歌となるとともに、ミリオンセラーかつ彼女にとって最大の売上を記録した。

大黒摩季/ら・ら・ら(1995年)
 


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