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イントロが印象的な日本のフォーク【その1】

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 印象深いイントロの曲の続きだが、1960年代後半から70年代にヒットした、日本のフォークソングには何故かイントロにいろんな楽器を使っている。

 それは、彼らが歌専門の歌手ではなく、シンガーソングライターであり、いろんな楽器も使いこなすからだと思う。

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 例えば、五つの赤い風船(1967年~1972年、写真左)。2000年に再結成(写真右)したが、どちらもリーダーの西岡たかし(74歳)は、作詞、作曲、編曲、歌、演奏をほぼ全て一人やってのけるマルチ・プレイヤーである。

オートハープ

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 オートハープ(写真左)は、一連のコードバーを持つ弦楽器で、その名前にもかかわらず全くハープではなく、むしろツィターだという。アメリカではブルーグラスとフォークの楽器として使用されてきた。

 最も有名なのは、1927年から1943年まで活躍した、カーター・ファミリー(The Carter Family) の メイビル・カーターとサラ・カーターによって使用されたことである。(写真右ではサラ・カーターが持っている)(Wikipedia参照)

イメージ 7 五つの赤い風船の代表曲「遠い世界に」の出だしにも使われている。

 次の映像は2000年再結成した元シモンズ青木まり子さん(写真)のボーカルによるもの。

 ちなみに新メンバーは、竹田裕美子(キーボード)、中川イサト(ギター)、西岡たかし(ボーカル・ギター)、青木まり子(ボーカル)。現在も全国でコンサートやイベントで活躍中だ

五つの赤い風船/遠い世界に(1969年)


ヴィブラフォン 
 
 
五つの赤い風船の「遠い空の彼方に」も、何度聴いても飽きない素敵な曲。歌詞も素晴らしく、日本の「反戦歌」の最高傑作だと思っている

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 リーダーの西岡たかしは伴奏にヴィブラフォン(写真)を使っていて、それが幻想的な雰囲気の曲に仕上げている。


 ヴィヴラフォン(ヴァイブともいう)は1921年にアメリカの楽器メーカー、ディーガン社が開発した鉄琴の一種。
 
 元来、ジャズ用の楽器として開発されたが、その後、ポピュラー音楽や現代音楽でも幅広く使用されている。
 
 ヴィブラフォンがマリンバ木琴と大きく異なる機能は、共鳴パイプの上にファンが電気モーターによって廻っており、それによって音のふるえ(ヴィブラート)を起こし、この楽器特有な甘い音色を出すところで、ヴィブラフォンという名前で呼ばれるのは、ここに起因する。

 音板が金属製のヴィブラフォンは、たたくと音がとても伸び、長い時間をかけて消えていく。
 
 ただし、木のように疎密がなく均一なので、出る音は無機質。そこで音に変化を付けるために、ファンが回り、ヴィブラートがかかる仕組みになっている。
 
 共鳴パイプの上にファンがいくつも付いた軸が1本通り、電気で軸を回すとファンが回ってパイプの口が開いたり閉じたりする。
 
 開いた時に音は大きくなり、"ワーンワーン"と音に変化が生まれる。回転スピードを速くも遅くもでき、好みのヴィブラートが出せる。

 音の伸びを止めるためにあるのが、ダンパー。ペダルを踏むと音板の下に当たり、振動が止まる。ファンもダンパーも、音がそれほど伸びないマリンバにはない仕組みである。


 次の映像も新・五つの赤い風船青木まり子さんのボーカルによるもの。曲は原曲を少しアレンジしている。

 この曲、「五つの赤い風船 フォークアルバム第1集」で歌ったのは、今は亡き「フーコさん」という愛称で知られた藤原秀子さんだった。

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 その、レコードジャケット(写真)、左からリーダーの西岡たかし長野たかし(ベース)、藤原秀子(ボーカル、2013年、67歳で没)、東祥高(シンセサイザー、2012年、64歳で没)。

 なお、彼女は東祥高と結婚し、グループ解散と共に引退した。しかし、二人ともすでに鬼籍に入ってしまった。

 彼女が歌うオリジナルは抒情的な感じだが、これはアップテンポで、青木まり子の野太い声も曲にマッチしている。自分はこの方が好みだ。

五つの赤い風船/遠い空の彼方から(1969年)

 

トランペット

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トランペット(写真)は金管楽器の代表で、ステージの王様

 トランペットが純粋に音楽の合奏として用いられるようになったのは17世紀のことで、そのころもまだ自然倍音しか出ない、いわゆるナチュラル・トランペットだった。現在のバルブ構造のトランペットが普及してくるのは1820年頃からで、1850年頃にはかなり一般的なものとなったという

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 昨年の2017年12月2日、72歳で亡くなったはしだのりひこは伝説のフォークグループの「ザ・フォーク・クルセダーズ」(本人は写真左)を1968年に解散後、5年間の間に目まぐるしくグループを変えた

 それは、最初のグループで、「風」「さすらい人の子守唄」のヒットで有名な「はしだのりひことシューベルツ」のベース、井上博が急死したからである。

 それでも「はしだのりひことクライマックス」では「花嫁」、「はしだのりひことエンドレス」では「嫁ぐ日」と、スマッシュ・ヒットを続けた。

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 「はしだのりひことシューベルツ」
のデビュー曲「風」は、青春の旅立ちのやるせなさを歌った曲。勇んで旅に出たのが当時吹き荒れた学園闘争(写真)とすれば、挫折は闘争の終わりである。

 その虚しさをこの歌は「ただ風が吹いているだけ」というフレーズでうまく表現している。「風」は学園闘争に敗れ、挫折し疲れはてた若者たちの心の中を吹き抜ける、正に「風」だったのだ。 

はしだのりひことシューベルツ/風(1969年)


オカリナ

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 オカリナ(ocarina、写真)という名称は、イタリア語の「oca(ガチョウ)」に由来する造語で、「-ina」は "小さな" を意味する接尾語であるから、「小さなガチョウ」といった意味である。

 オカリナは、外形だけでなく指穴の数や配置まで自由に変更できる。
 
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 NSP(写真)は、岩手県一関市出身の天野滋(ヴォーカル・ギター、2005年、52歳で没)、宮古市出身の中村貴之(ヴォーカル・ギター、65歳)、花巻市出身の平賀和人(ヴォーカル・ベース、64歳)の3人組フォークグループ。一関工業高等専門学校の同級生であった三人が在学中の1972年に結成した。

 アマチュア時代にはニュー・サディスティック・ピンク(New Sadistic Pink)として、当初はロックを中心に活動していた。しかしフォーク調の曲でデビューするのにこの名前が似合わないという理由で、頭文字だけ取り出したNSP(N.S.P )というアルファベット三文字のバンド名に変更された。
 
NSP/夕暮れ時はさびしそう(1974年)


フルート

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 フルート(写真)の歴史は長く、先史時代まで遡るという。

 現在のフルートは横型だが、これは19世紀の中ごろドイツのT・ベームによって作られたもので、先史時代においてはほとんど縦型だったそうだ。
 

 フルートは「豊穣」、「生命」、「再生」に関係あると昔から信じられていて、お葬式や儀式などに欠かせず、求愛のための大きな力を持つ楽器と考えられていた。

 バッハなどが活躍をしていたバロック時代には木で作られていたが、材質もそれまでの木から銀や金の金属へと変わっていった。以来、木製のものが発展した楽器なので、金管楽器ではなく、木管楽器に分類されている。

 細く軽いため、指の動かし方が比較的簡単なことから、管楽器の中で運動性能が最も高いといわれ、かなり速い楽曲の演奏をすることも可能である。

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 マイ・ペース(写真)は、秋田県の昭和町飯田川町組合立羽城中学校(現在の潟上市立羽城中学校)の同級生である、森田貢(リード・ボーカル、ギター、ベース、64歳)、伊藤進(フルート、ボーカル、65歳)根次男(リード・ギター、ボーカル、65歳)の3人で結成。 

 同郷のシンガーソングライター山平和彦のバックバンドを経て、名古屋に活動拠点を移す。1974年にシングル『東京』でメジャーデビュー。累計で100万枚のヒットを記録したロングセラーとなる。その後は東京に移り住む。

マイ・ペース/東京(1974年)


リコーダー

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 同じエアーリードである現代のフルートが横笛であるのに対し、リコーダー(写真)は縦笛である。
 
 奏者が自らの口形によって吹き込む空気の束を調整をしなければならない横笛に対し、空気の束が一定に保たれ、吹奏が比較的に容易である。また構造もシンプルで安価に量産できるため、日本では教育楽器として多用されるようになった。
 
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  「岬めぐり」は、1974年にリリースされた山本コウタロー(70歳)、一美(元・黒崎とかずみ)、板垣秀雄(元・ピピ&コット)の3人組フォークグループ「山本コウタローとウィークエンド」(1976年以降はウィークエンドに改称、写真のファーストシングルである。作詞は山上路夫、作曲は山本厚太郎(山本コウタローの本名)。

 オリコンシングルチャートでは最高5位を記録し、約40万枚ほど売り上げた。山本コウタローとウィークエンドでは最高の売り上げであった。
 
 山上によれば日本各地の岬を歩きまわってできた総合的なイメージを基に書いたということであるが、神奈川県三浦市では三浦半島がモデルであると信じられており、山上も「三浦の人たちに愛され、この歌は幸せですね」と述べている。
現在は京急三浦海岸駅の電車到着メロディーに採用されている

山本コータロー/岬めぐり(レコーダー:見崎孝雄、1974年)




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